私は、19歳の時から一人暮らしを始めました。
生活費その他はもちろん自己負担。
都内に実家がありながら都内で一人暮らしを始める私に、
「親元にいて、もっといろいろなことにおカネを使えるほうがよくない?」
と言う人も少なからずいました。
しかし私にとっては、「おカネを多く使えること」よりも、「自分の力で生きること」や「自己責任による自由」といったことのほうに、より価値を感じていました。
いわゆる「パラサイトシングル」といわれる人たちは、「自分の力で生きること」や「自立」といったことに、あまり価値を感じていないのでしょうか。
それよりも「安定した基盤」を親に与えてもらい、その分のあらゆる意味での自己負担を軽減したいと考えているのでしょうか。
確かに、「パラサイト」といいながらも機密性が保たれる個室が完備され、行動も殆ど自由という環境であるならば、そのほうがいいと思うのは当然かもしれません。
多分、「一人暮らしをしたい」という欲求は、「損得勘定」ではない、一種「カッコよさへの憧れ」的な欲求からくるものなのでしょう。
(「HOTEL」に連れ込もうとするより「部屋にこない?」と言うほうが安易という「損得勘定」はあるかもしれませんが)
また「パラサイト」ではあっても、
「家におカネも入れてるし、独立しているのと殆ど変わらない」
「いざ一人暮らしとなった場合でも、やっていける経済力も計画もある」
という人もいるでしょう。
しかし、いざ一人暮らしを始めてみると、思った以上に親が「世間の荒波の防波堤」になっていた、ということに初めて気付くことになるかもしれませんし、また、「計画どおりになど物事は運ばない」という現実にぶつかるかもしれません。
そのような生き方を否定するつもりはありませんが、そういう人たちがある程度の年齢になって初めて一人暮らしを強いられるようになったとき…。
「出掛ける時に脱ぎ散らかした衣服が、全く同じ状態で置いてある」
「自分で動いたとおりにしか変化がない」
「3食全て、自分で考えなければならない」
「帰宅した時はいつも真っ暗」
「食事はいつもひとりきり」
「自分に及んでくる物事は、全て自分が受け止めなければならない」
など…。
当たり前のことが当たり前ではなくなることが多いかもしれません。
ところで一昔前までは、「結婚を期に親元を離れる」という人も多くいたと思います。
この時は「パラサイトシングル」などという概念ではなかったように思うのですが…。
昔と今と、どこが違うのでしょう?
「いつまでいるか」という、年齢の差なのでしょうか?
それとも他に何かあるのかな…?
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一度も一人暮らしをしないまま、お見合いをして同居をすれば「パラサイトシングル」でもないまま一生を過ごす人もいるのではないでしょうか。
>自分で動いたとおりにしか変化がない」
>「3食全て、自分で考えなければならない」
>「帰宅した時はいつも真っ暗」
>「食事はいつもひとりきり」
>「自分に及んでくる物事は、全て自分が受け止めなければならない」
これら全て、母親や妻がしてくれ、老いてからは息子の嫁がしてくれる男性は、思ったより多いかもしれません。
こんな男性が、もしもいわゆる「亭主関白気質」だったとしたら‥
うう。。。 身震いがしますけど‥(^^;;;
m(_ _)m
昔の男にはこういう人も多かったかもしれません。
「全て母親や妻がしてくれ、老いてからは息子の嫁がしてくれる男」が「亭主関白」であるというのも、典型的な昔の男の姿なのかもしれません。
このあたり、価値観の変化ということなのでしょうか。
(私自身、「昔がよかった」などというつもりはありませんので、念のため)
「パラサイトシングル」というコトバには、「収入という意味においての自活能力がない」というニュアンスが含まれているように思います。
結局のところ、「否定的」にとれたり「肯定的」にとれたりといった線引きは、「生活形態」ではなく「稼ぐ力」というところで決まるのでしょうかね?
昔の日本は「村社会」でその「場」が大切で、
今でも「個人」より「場」の空気が大事で‥
で、共同体の一員として受け入れられていないと「村八分」にされて生きて行けない。
でも、核家族化が進み、共同体が壊れ、急に欧米人並みの「個」が求められてきて
「アイデンティティーの確立が大切」と言われて‥
でも、制度や生活様式が変わっても「村意識=場の論理」は脈々と残っているまま、
「個」としての意識が無いまま急に放り出されて‥
でも、核家族の中だけで両親の元にぬくぬくとしていれば、
とりあえず「個」の確立をする必要もなくラクに生きていける‥
そんなことなのだろうと思っています。
「親から早く自立したい」と思わない限り‥
例えばお役人で高給取りでも、パラサイトシングルである可能性は充分にありますよネ
で、同じく独身で親と同居をしていても、自分が稼いで両親の面倒を見ている人もいるでしょうし‥
だから、意識の問題なのではないでしょうか‥
ぬくぬくと親の庇護の元でラクができる、と思っていた人は、急に親にガタが来て、社会の重みが急に自分に振られてくると、ようやく40歳50歳になって「反抗期」が訪れて、
大変なことになる事例が多いようです。
適切な時期の「反抗期」と「自立」って、大切ですよね、きっと‥
毎度、長々になっちゃって‥(^^;;;(^^;;; m(_ _)m
『ぬくぬくと親の庇護の元で…』の部分。
実は、今回の記事で私が言いたかったのは、正にこのことです。
また、
『適切な時期の「反抗期」と「自立」って、大切』…
私もそう思います。