
(1977年8月8日(第457回)・同8月15日(第458回)放送分については「曲目リスト(53-3) 1977年7~8月③」を参照のこと)
<1977年08月22日(第459回)>
・わがまま金曜日 榊原郁恵
詞:藤公之介 曲:森田公一 R:1977/07/01
・もう戻れない 桜田淳子
詞:阿久 悠 曲:筒美京平 R:1977/09/05 HC:8位
・みなとブルース 青江三奈
詞:たかたかし 曲:花 礼二 R:1977/08/-
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(11回)
・It's Getting Sweeter All The Time(想い出の17才) ショーティ詞・曲:Wayne Bickerton R:77/07/-<日>
※<ショーティ(SHORTY)>
南アフリカ出身の6人組バンド。77年夏に「想い出の17才(It's Getting Sweeter All The Time)」が日本の音楽専門誌やラジオの洋楽チャート番組でも上位に入るヒットとなり来日し、コンサートツアーを開催。ヒットスタジオにも来日プロモーションの一環として出演した。メンバー全員が身長162cmと小柄な体型であったことから「SHORTY」なるバンド名が付いたといわれている。
・【メドレー】愛しのティナ~サクセス ダウン・タウン・ブギウギ・バンド南アフリカ出身の6人組バンド。77年夏に「想い出の17才(It's Getting Sweeter All The Time)」が日本の音楽専門誌やラジオの洋楽チャート番組でも上位に入るヒットとなり来日し、コンサートツアーを開催。ヒットスタジオにも来日プロモーションの一環として出演した。メンバー全員が身長162cmと小柄な体型であったことから「SHORTY」なるバンド名が付いたといわれている。
・愛しのティナ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:1977/03/20 HC:2位
◆年間チャート(77年)22位(44.4万枚)
※「サクセス」両A面
※「サクセス」両A面
<1977年8月29日(第460回)>
・らぶ・すてっぷ・じゃんぷ 岡田奈々
詞:有馬三恵子 曲:森田公一 R:1977/07/10
・男が酒を飲む夜は ダーク・ダックス
詞:山口洋子 曲:猪俣公章 R:1977/08/21
・あなたと生きる テレサ・テン
詞:千家和也 曲:猪俣公章 R:1977/08/21 HC:60位
・星降る街角 敏いとうとハッピー&ブルー
詞・曲:日高 仁 R:1977/05/25 HC:36位
・哀愁トゥナイト 桑名正博
詞:松本 隆 曲:筒美京平 R:1977/06/05 HC:99位
※<桑名正博>
①関西で鉄鋼会社「桑名興業」など広く事業展開をしていた「桑名財閥」の御曹司として1953年、大阪で生まれる。71年、サンフランシスコへの一時渡米後に、バンド「ファニーカンパニー」を結成し音楽活動を開始。72年にシングル「スウィートホーム大阪」でレコードデビューを果たし、その後2枚のアルバムをリリース。伝説のロックバンド「キャロル」や内田裕也らと行動を共にし、全国縦断ライブツアー「ロックンロール・カーニバル」や浅草国際劇場で開催された「ニューイヤーロックフェスティバル」にも参加するなど、日本のロック本流の中で活動を続けていたが、74年にバンドは解散。75年、アルバム「WHO ARE YOU」でソロ活動を始動させる。
②77年、松本隆・筒美京平という当時の人気作家コンビによるシングル「哀愁トゥナイト」が注目され徐々に人気を獲得するも、ほどなく不祥事を起こし一時休業。78年にシングル「サード・レディー」を発売し活動を再開し、79年、カネボウのCFソングとしてリリースされた「セクシャルバイオレットNo,1」がオリコンチャート1位、累計売上59.2万枚(オリコン調べ)のヒットを記録。過激かつ妖艶なステージパフォーマンスやソウルフルなボーカルにより多くの音楽ファンを魅了する。通常のライブ・テレビ音楽番組での演奏活動の傍ら、この年には岩崎宏美を相手役に迎えたロックミュージカル「ハムレット」で主役を熱演するなど、活動の幅を徐々に広げてゆく。
②80年、歌手のアン・ルイスと結婚し、一児をもうける(84年離婚)。同年、TBS系ドラマ「恋人たち」で根津甚八演ずる主役の不良の弟役を好演。俳優としての才能も開花させ、以後、音楽活動と並行して、ドラマ「ジャングル」(日本テレビ系)、映画「新・極道の妻たち」(東映)などに出演。1990年より故郷の大阪に拠点を移し、この時期より、障害者福祉関連の団体等を設立するなど社会慈善活動にも積極的に参加。2000年に父親の逝去により、家業の「桑名興業」の社長に就任。現在は会社経営者とミュージシャンの二束の草鞋で活動している。
・九月の雨 太田裕美①関西で鉄鋼会社「桑名興業」など広く事業展開をしていた「桑名財閥」の御曹司として1953年、大阪で生まれる。71年、サンフランシスコへの一時渡米後に、バンド「ファニーカンパニー」を結成し音楽活動を開始。72年にシングル「スウィートホーム大阪」でレコードデビューを果たし、その後2枚のアルバムをリリース。伝説のロックバンド「キャロル」や内田裕也らと行動を共にし、全国縦断ライブツアー「ロックンロール・カーニバル」や浅草国際劇場で開催された「ニューイヤーロックフェスティバル」にも参加するなど、日本のロック本流の中で活動を続けていたが、74年にバンドは解散。75年、アルバム「WHO ARE YOU」でソロ活動を始動させる。
②77年、松本隆・筒美京平という当時の人気作家コンビによるシングル「哀愁トゥナイト」が注目され徐々に人気を獲得するも、ほどなく不祥事を起こし一時休業。78年にシングル「サード・レディー」を発売し活動を再開し、79年、カネボウのCFソングとしてリリースされた「セクシャルバイオレットNo,1」がオリコンチャート1位、累計売上59.2万枚(オリコン調べ)のヒットを記録。過激かつ妖艶なステージパフォーマンスやソウルフルなボーカルにより多くの音楽ファンを魅了する。通常のライブ・テレビ音楽番組での演奏活動の傍ら、この年には岩崎宏美を相手役に迎えたロックミュージカル「ハムレット」で主役を熱演するなど、活動の幅を徐々に広げてゆく。
②80年、歌手のアン・ルイスと結婚し、一児をもうける(84年離婚)。同年、TBS系ドラマ「恋人たち」で根津甚八演ずる主役の不良の弟役を好演。俳優としての才能も開花させ、以後、音楽活動と並行して、ドラマ「ジャングル」(日本テレビ系)、映画「新・極道の妻たち」(東映)などに出演。1990年より故郷の大阪に拠点を移し、この時期より、障害者福祉関連の団体等を設立するなど社会慈善活動にも積極的に参加。2000年に父親の逝去により、家業の「桑名興業」の社長に就任。現在は会社経営者とミュージシャンの二束の草鞋で活動している。
詞:松本 隆 曲:筒美京平 R:1977/09/01 HC:7位
◆年間チャート(77年)40位(29.5万枚)
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)
※アルバム「こけていっしゅ」からのシングルカット。太田裕美の全シングル作品中、(現時点では)最後のオリコンシングルチャートベスト10入り作品となっている。
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(2回)
※アルバム「こけていっしゅ」からのシングルカット。太田裕美の全シングル作品中、(現時点では)最後のオリコンシングルチャートベスト10入り作品となっている。
【司会】 芳村真理・井上 順
(参考)この頃の主な出来事
・08/16 「ラブ・ミー・テンダー」などのヒットで知られる世界的ロック歌手、エルヴィス・プレスリーが逝去。42歳。
・08/18 福田赳夫首相、マニラにて①日本の非軍事大国化の徹底、②東南アジア諸国との間との対等なパートナーシップ構築、③経済・技術等の面での協力推進を主な内容とする東南アジア外交3原則(福田ドクトリン)を発表。

忘れましたが、一時「桑名将大」と
名乗っていましたよね。
確か彼はこの時期にもう一回何か暴行騒ぎだったかを起こしているらしく、それとの関連で心機一転という意味から芸名を変えたのかもしれませんね。
ただ、1987年頃には既にまたもとの「正博」名義に戻っていたようです。この頃に久々にソロアーティストとしてヒットスタジオに出演したことがありましたが、そのときは「正博」名義での出演でしたからね。
一時違う名前で出ていたという話は私は記憶になかったので、教えていただき有難うございました。
達さんの一言コメントは非常にマニアックなところを付いているので、コメントを頂く度にそんなこともあったのか、と新たな発見をしている次第です。これからもどうぞコメントのほど宜しくお願いいたします。