伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(57-1) 1978年3~4月①

2008-08-12 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年

<1978年3月6日(第487回)>
・今夜は気取って 布施 明
 詞:布施 明 曲:Robert Hughes R:78/03/10 HC:33位
・世界は今日もまわっている トランザム
 詞:クニ河内 曲:チト河内 R:77/12/-
・青春にバラはいらない ビューティ・ペア
 詞:石原信一 曲:あかのたちお R:78/02/05
・バラの渚 あおい輝彦 
 詞:中里 綴 曲:長戸大幸 R:78/02/05 HC:53位
追いかけてヨコハマ 桜田淳子
 詞・曲:中島みゆき R:78/02/25 HC:11位 BT:10位
※「しあわせ芝居」に続く中島みゆき提供作品。中島はこの曲がリリースされた後、ブレスをする部分を挿入し忘れたことに気づき、桜田に(息づきの難しい作品を与えたことに対して)申し訳ないことをしたと、後年、この曲に関連するエピソードとして述懐している。

<1978年3月13日(第488回)>
・赤頭巾ちゃん御用心 レイジー
 詞:杉山政美 曲:都倉俊一 R:78/02/05 HC:32位
<レイジー>
①景山浩宣(現:影山ヒロノブ、ボーカル)、高崎晃(ギター)、田中宏幸(ベース)、樋口宗孝(ドラムス)、井上俊次(キーボート)の5人によるロックバンド。当初は景山・高崎・田中の3人でアマチュアバンドとして活動をしていたが、73年に樋口と井上が加入、これを機に音楽的影響を受けたディープ・パープルの作品名からバンド名を取り、「レイジー」としての活動を開始。77年初冬にテレビ番組「ハロー・ヤング」(朝日放送テレビ)に出演、ディープ・パープルのナンバーを演奏したところ、これを見ていたかまやつひろしが彼らの演奏技術を高く評価。かまやつの誘いを受けて、関西から上京、同年7月、シングル「Hey!I Love You」でレコードデビューを果たした
当初は本格派のハードロック路線での活動を希望していたが、プロデューサーである藤田浩一(のちにオメガトライブや角松敏生らのプロデュースを担当したことでも知られる)を中心とした製作サイドの意向(「和製ベイ・シティ・ローラーズ」のイメージを彼らに要求したとされる)に従い、メンバー全員に統一コスチュームと横文字のニックネームが与えられ、楽曲も歌謡ポップス色の強い作品を発表、アイドルバンドとして売り出されることとなり、78年、「赤頭巾ちゃん御用心」「地獄の天使」のスマッシュヒットにより、数多くの同年代の女性ファンを獲得するに至った。
③しかし、人気が急上昇する一方で、当初の目指していた音楽性と、実際の「アイドル」としての人気との間で疑念が生じ始め、徐々に洋楽のロックナンバーを中心としたライブツアーを敢行するなど、本来目指していたハードロック路線に傾斜した活動方針へと移行。そして、1980年夏のコンサートツアーでファンの前で「へヴィー・メタル宣言」を出し、これを機に、それまでのアイドルバンドとしての活動から決別。その直後に発売したアルバム「宇宙船地球号」は彼らの事実上の、「ヘビメタバンド」としての再デビューを物語るものとして、玄人筋の音楽ファンからもその演奏テクニックや楽曲クオリティーを高く評価された。しかし、この「ヘビメタ宣言」以降、これまでのアイドルポップ路線と本来やりたかった音楽であるはずのハードロック路線の何れを重視するかでメンバー間での音楽性の違いが生じ始め、「ヘビメタ宣言」から約半年後の81年2月に解散を宣言。同年5月末を以てアマチュア時代から数えて約8年に及ぶ活動に終止符が打たれた。解散後、ボーカルを担当していた景山は「影山ヒロノブ」に芸名に改称、主に特撮・アニメ番組の主題歌を中心にボーカリストとしての活動を展開。アニソンの第一人者として、アニメファンの間で熱烈な支持を獲得する。
④97年、「ウルトラマンダイナ」(TBS系)のEDソングを影山が歌うことになった際に、「レイジー」として楽曲製作がレコード会社内で計画され、この計画に影山を初め旧メンバーが賛同。翌98年、同番組のEDソング「ULTRA HIGH」をリリース、17年ぶりに活動を再開。その後は、個々の活動に重点を置きつつ、数年に1度のペースでレイジーとしての活動を継続して展開している。
・きっと今日からは 清水健太郎
 詞・曲:つのだ・ひろ R:78/03/21 HC:30位
・黄昏のあらし シグナル
 詞:小泉長一郎 曲:住出勝則 R:78/02/21 
・甘ったれ 森 進一
 詞:阿久 悠 曲:Salvatore Adamo R:78/02/05 HC:27位
※「雪は降る」などのヒットで知られる世界的歌手・アダモ作曲による森進一のオリジナル作品。前年、フジテレビ系「ミュージックフェア」で共演したことを機に2人は意気投合。その流れで同曲が製作されることとなった。

<1978年3月20日(第489回)>
・失恋魔術師 太田裕美
 詞:松本 隆 曲:吉田拓郎 R:78/03/21 HC:22位
・天使の爪 西村まゆ子
 詞:喜多条忠 曲:三木たかし R:78/01/21
・父娘草 森 昌子
 詞:山口あかり 曲:八角朋子 R:78/03/01 HC:42位
涙の誓い アリス
 詞・曲:谷村新司 R:78/03/05 HC:4位 BT:5位
◆年間チャート(78年)29位(40.4万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)21位
乙女座宮 山口百恵
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:78/02/01 HC:4位 BT:5位
◆年間チャート(78年)41位(31.3万枚)
◆TBS系「ザ・ベストテン」年間ランキング(78年)24位
※シングル曲としては、「イミテイション・ゴールド」以来3作ぶりの宇崎・阿木夫妻コンビによる提供作品。乙女座の女性の恋の行方を銀河系横断の旅に例えて表現し、星占いで登場する星座が数多く歌詞に登場するところから話題となった(ちなみに本作の中で登場するのは、乙女座・ペガサス座・牡牛座・蟹座・山羊座・さそり座・魚座・獅子座の計8星座である)。

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・03/01 日本社会党の委員長選で、現役の横浜市長である飛鳥田一雄が選出される(即日、飛鳥田は横浜市長の職を辞任)。
・03/01 東京・池袋に高層ビル「サンシャイン60」が完成(4/6に開業)。高さ・地上239.7mは、完成当時、東洋一の規模を誇った。
・03/10 新潟の雑居ビルで未明に漏電事故による火災発生、10人死亡の惨事にに。
・03/18 東京・原宿にブティック「竹の子」開店。 


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4 コメント

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レイジー (達)
2008-08-13 08:50:06
 高崎晃さんは「ラウドネス」というヘビメタバンドをレイジーの後に結成しましたね。(「夜ヒット」
には出演があるのでしょうか)

 影山さんの実家は大阪の散髪屋で、10年以上前に
彼のご両親からデビュー前の影山さんのことを
聞きました。影山さんと高崎さんが幼馴染だった
ことを初めて知りました。

 影山さんは今、多忙です。金曜日からの
「アニメジャパンフェス 2008」や月末の
「アニメロジャパン」では、彼がリーダーの
JAM Projectのステージが控えています。
フォーク全盛時代にロック路線に注目した先駆者。 (resistnce-k)
2008-08-13 09:11:28
ラウドネスは80年代に数回確か出てたと記憶してます。
出演者一覧にもたしかラウドネスというバンド名を書いた記憶があるんで・・・。

彼らは元々、記事の中でも触れたように、当初、アマチュアバンドとして関西で活動していた時期は、ハードロック路線に傾斜していたにも関わらず、上京しプロデビューするや、アイドルバンドとして売り出され、あくまでもアイドルとして人気を獲得したことに対して相当な葛藤を抱えていたようですね。

結局現実と理想の間を完璧に生めることができないまま、わずかデビューして4年足らずで解散となってしまいました。

もっと長くバンドを続けていたとすれば、日本でいち早くハードロック路線に目を向けた先駆者的存在として、様々な更なる音楽界への貢献もできたはずで、それを考えると、短期間の解散は非常に惜しいようにも思いますね。

よくよく考えると「地獄の天使」は衣装こそアイドルしていますけども、曲自体はディープ・パープルなど洋画ロックに対する造詣の深さを窺わせる激しい曲調になっていますよね。30年前の作品である、ということを念頭において改めて聞いてみると、相当この曲は前衛的であったように思います。クオリティーが高いです。

ただ、前作が「赤頭巾ちゃん―」だったことも考えると、当時、この曲が発売された際のアイドルとしての側面からファンになった人々の心情としては恐らく相当意外に感じたんじゃないかな・・・という気もしなくはないですけどね。

でもこの路線が本来のレイジーの音楽。だからでしょうかね、夜ヒットで歌ったシーンもこの曲に関してはみたことがありますが、とにかく影山さんの感情移入の仕方が相当なものがあり、迫力が凄かったです。

レイジーも間違いなく、日本のロックシーンの足跡を語る上では欠かすことが出来ない実力派バンドだったといえるんではないでしょうかね・・・。
レイジーは (MACKY)
2008-08-13 16:56:52
解散後、「ラウドネス」「ネバーランド」「影山ヒロノブ」の3ユニットに分裂しましたが、ネバーランドは『夜ヒット』に出たことあるのかな?
ネバーランドは・・・・ (resistnce-k)
2008-08-13 23:08:56
レイジーの派生ユニットの中でヒットスタジオにその後、そのユニット名義でも出演できたのはラウドネスだけのようです。
影山さんもネバーランドも、出演者一覧には名前が出てこないですからねぇ・・・。

レイジーの派生ユニットに関する情報を頂きましたので、ちょっと先ほど、各ユニットについても検索で調べてみましたので、分かる範囲で、ここに補足させていただきますね。

・ラウドネス(LOUDNESS)
高崎晃(同バンドのリーダーとして、プロデュース全般も担当)・樋口宗孝が中心となり、81年に結成されたヘビーメタル・バンド。他のメンバーとしてニ井原実(ボーカル)、山下昌良(ベース)が参加、同年11月にアルバム「THE BIRTHDAY EVE」でレコードデビュー(因みにシングルについてはこの8ヵ月後の翌82年5月、「BURNNING LOVE」がラウドネスとしての最初の作品)。その後、高崎・樋口以外のメンバーについては幾度かのチェンジがなされ、94年には樋口も脱退。しかし、2000年に入ってから、オリジナルメンバーによる再結成を表明。現在は結成時のメンバー構成で演奏・創作活動を展開中。これまでにシングル18枚、アルバム26枚を発表。本格的なハードロック志向を追及し続け、B'zなど現在のJ-POPの頂点に立つアーティストらにも多大な音楽的影響を与えた。

・ネバーランド
井上俊次・田中宏幸を中心にラウドネスと同じく、81年に結成されたバンド。他のメンバーは貴智明(ボーカル)、阿部たくみ(ギター)、和田眞人(ドラムス)。「スニーカーのように楽しめる音楽」の探求をコンセプトに掲げ、ラウドネスとは異なりポップス色の強い楽曲を製作。同バンド解散後、井上・田中は新バンド「HUMAN NATURE」を結成。同バンドは1990年に、影山ヒロノブをメンバーに迎えて「AIRBLANCA」というバンド名に改称。レイジー再結集に向けての期待が往時ファンの間で高まるも、インディーズレーベルでの活動であったことからあまり一般的には注目されず、わずか1年足らず、オリジナル作品もアルバム一枚を発売したのみで活動を休止。その後、井上はアニメソングを中心として音楽プロデュース業に専念。
・影山ヒロノブ(景山浩宣)
81年10月、シングル「今日を生きよう」で「影山ヒロノブ」に芸名を改称してソロデビュー。デビュー後数年間は通常のポップス・ロック系ボーカリストとして活動していたが、85年「電撃戦隊チェンジマン」の主題歌を歌うことになり、これが好評を得たことがきっかけとなり、その後、活動の場をアニメソング・特撮ソングの世界へと移行。以後、「聖闘士聖矢」(テレビ朝日系)、「ドラゴンボールZ」(フジテレビ系)など高視聴率アニメ番組でOP・EDテーマを数多く担当、水木一郎・堀江美都子と並ぶアニメソング界の第一人者としての地位を確立。現在は他のアニメソング歌手のプロデュース業にも進出している。

こうして、メンバーそれぞれ、違った音楽活動を展開していたのですが、再結成の話を持ちかけたのは、この中で、91年以降プロデューサー業に専念していた井上さんだそうです。当時、井上さんはレコード会社「エアーズ」の専属プロデューサーであり、その関係から、自らがプロデュースも担当するという前提で他の旧レイジーメンバーにも再結成の計画を持ちかけたところ、賛同を得て、98年、「エアーズ」レーベルからの再デビューが実現したとのことのようです(但、田中さんだけは、復活後第1弾シングルである「ULTRA HIGH」のレコーディング時には間に合わず、その後、フジテレビ系「HEY! HEY! HEY!」に再結成後初のテレビ出演をする際にようやく合流することになったそうです。因みに田中さんは2006年にお亡くなりになっておられます)。


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