道頓堀
2013-05-28 | 日記
大阪に道頓堀という場所がありますが、この名前の由来について
書かせて頂きます。
安井道頓という戦国時代の商人がいました。
安井道頓は大阪城の外堀工事を行ない、その功により城南の地を
拝領しました。
城南の開発の為、水路が必要と考えた安井道頓は、豊臣氏の
許可を受け、私財を投じて水路の工事を始めました。
しかし1615年の大阪夏の陣で豊臣家に味方し、大阪城内で
討ち死にしてしまいました。
水路の工事は道頓の死後、松平忠明の許可を受けて道頓の
従兄弟の安井道卜(どうぼく)や、平野藤次(安藤藤次)らが
跡を継ぎ、同年11月に完成しました。
松平忠明は安井道頓の功績を讃えて「道頓堀」と名付けました。
道頓堀と堺筋の交差する場所に、安井道頓・安井道卜の紀功碑が
建立されています。
道頓堀を調べると、道頓堀裁判というものがありました。
安井道卜の子孫が1965年に道頓堀川の川底の所有権を主張して、
大阪地方裁判所に起こした民事裁判です。
また、1707年(宝永4年)10月の宝永地震および、
1854年(嘉永7年)12月の安政南海地震では、大阪湾に
押し寄せた津波が河川を遡上し、道頓堀付近まで水没したと
伝えられています。
南海トラフ地震など、今後想定される地震で道頓堀まで津波が
来るならば・・・とても恐ろしいです。
「絶対に津波が来ない」とは思わず、来るかもしれないという
危機感を持って、普段から備えておきたいですね。
書かせて頂きます。
安井道頓という戦国時代の商人がいました。
安井道頓は大阪城の外堀工事を行ない、その功により城南の地を
拝領しました。
城南の開発の為、水路が必要と考えた安井道頓は、豊臣氏の
許可を受け、私財を投じて水路の工事を始めました。
しかし1615年の大阪夏の陣で豊臣家に味方し、大阪城内で
討ち死にしてしまいました。
水路の工事は道頓の死後、松平忠明の許可を受けて道頓の
従兄弟の安井道卜(どうぼく)や、平野藤次(安藤藤次)らが
跡を継ぎ、同年11月に完成しました。
松平忠明は安井道頓の功績を讃えて「道頓堀」と名付けました。
道頓堀と堺筋の交差する場所に、安井道頓・安井道卜の紀功碑が
建立されています。
道頓堀を調べると、道頓堀裁判というものがありました。
安井道卜の子孫が1965年に道頓堀川の川底の所有権を主張して、
大阪地方裁判所に起こした民事裁判です。
また、1707年(宝永4年)10月の宝永地震および、
1854年(嘉永7年)12月の安政南海地震では、大阪湾に
押し寄せた津波が河川を遡上し、道頓堀付近まで水没したと
伝えられています。
南海トラフ地震など、今後想定される地震で道頓堀まで津波が
来るならば・・・とても恐ろしいです。
「絶対に津波が来ない」とは思わず、来るかもしれないという
危機感を持って、普段から備えておきたいですね。