reikoのヘタレ日記with時々身体作りに株・・とか

日記です、愚にもつかないあれこれ叫んだり呟いたり。
生存報告でもありますw
綺麗な身体作りやど素人の株も、更新中。

でまあ一番古いのが、一番基地に近かった

2013-07-05 08:15:04 | 思い出ってほどでもないけど
お早うございます。

朝から南の風強し、関東地方。
雨はと言うと、予報ほど降らなかったようです。

土の部分、あまり濡れてない。
蒸し蒸ししてるのは、事実です。

さて物心ついたときに住んでいた某所、ここは一番基地に近い町でした。
隣の駅に米軍基地、歩いていける場所にも米軍基地。

近くには行かないように言われてましたが、近所に米軍の兵士が日本人女性と結婚して住んでた長屋(式の一戸建て)もあったりして。
まあ日常に入ってきてました、アメリカが。

駄菓子屋さんに、明らかに米軍からの流通だとわかる・・・つか多分、兵士から買ったんだろうなあ。
ガムが置いてあったりして、うん・・・・米語の漫画の包み紙に包まれた、とっても大きな風船ガム。
何しろ良く膨らみました、噛みごたえあったなあ。

他の地域に住んでた人に、後に聞いたんですが。
このガムは、知ってる人はいなかったようで・・・・放出品だったのだろうね。

住んでた家の最寄り駅はともかく、隣の駅の周辺は。
電車から見ても、米語の看板ばかりでした。

戦後の子供と言っても、戦後10年も経っていないうちに生まれた世代ですので。
意外とアメリカが身近でしたねえ、うん。

ちなみに家は借家でした、3人で住んでたんですが。



こんな感じ、平屋でした。
プライバシーもへったくれもございませんw
茶の間が4畳半で、何でも部屋が6畳だったかなあ。

何でも部屋は、寝室で、私の勉強部屋で、遊び部屋で、難易でも使う。
建て増し部分は(貸家で建て増しOKしちゃう大家さんも凄い)、廊下みたいなもんでしたが。
母親のミシンとか、私の本とか。

廊下部分にも本棚、父親が器用な人で手作りの棚ばっかりだったような記憶が。

トイレは勿論、汲み取りー♪
風呂も建て増しだった、玄関は昔風の引き戸ね。

ちなみに賃料は、5千円でした。
安いと思ったあなた、スチュワーデス(CA)の初任給が5万円で。。
高給取りだったんですから、そこから考えると・・・安い・・・かなあ。

高校生までこの家に住んでました、不自由なかったです。
そこまで基地の町で暮らしてましたが、危険なことも無かったです。

とってもラッキーだったのかもしれませんが、おかげでアメリカに親近感持ったのも事実です。

夏の花火大会は、米軍基地が打ち上げ場所貸してくれたので。
基地で打ち上げてましたね、あの時は基地解放されてたのかなあ。
行って見れば良かったと、今にして思うのですww

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