Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2009年1月号 カクマ・コミュニティの2008年を振り返る

2009年05月29日 | コミュニティーとカルチャー
【写真】カクマ・タウンの新しいエチオピア正教会
2008年、カクマキャンプの難民は宗教、社会生活、政治、教育に関してさまざまな出来事や、キャンプ化を体験した。これらは喜びにもなり、不幸を増すことにもなった。
この年は大きな不安のうちに始まった。「ここにいた我々の誰もが毎夜の銃声を忘れることはないと思う」と、ある難民が言った。毎晩「ほぼ半年の間、我々は太陽が沈まないことを望んだものだ」。不安定な状況は2007年11月から始まり、GSU(ケニア警察のGeneral Service Unitという部隊)が2008年中頃に配備されるまで続いた。
2008年3月にUNHCRナイロビ事務所代表がキャンプを訪問した。彼女の来訪は、難民コミュニティリーダーに初対面の挨拶をし、キャンプの確固たる安全確保に向けた解決策で支援することが目的だった。
キャンプ来訪者に、2008年9月9日の地方長官がいる。コミュニティリーダーは長官に、キャンプ永続的にGSUを配備するよう頼んだ。
2008年6月2日にUNHCR 再定住事務所はと呼ばれるブルンジの人々との面接を始めた。「グレート・レイクス・プロファル(アフリカ大湖地域プロファイル)」と呼ばれる政策の一環だ。次の週にはコンゴ人も面談を受けた。このプログラムは2ヵ月半続くとのことだったが、ルワンダ人とウガンダ人が呼ばれることはなかった。現在のところ、UNHCRは大湖地域の他のコミュニティへの政策に関して、何の情報提供もない。
2008年7月23日、カクマキャンプに移転されるソマリア人の最初の一群が到着した。ソマリアの現在の政治的不安定により大勢のソマリア人がケニアとの国境に向かい、ダダーブキャンプにたどり着く。BBCのスワヒリ語通信員はダダーブキャンプは収容可能な人数の3倍の人口に膨らんでいると報告している。今度の移転はダダーブキャンプの人口過剰を解決することを目的としている。
移転したソマリア難民はソマリアでは安全でなかったと、KANEREに次のように話した。「エチオピアとソマリアの暫定政府の兵士支持者でなければ殺されてしまう。一方、その支持者ならば今度はアルカイダ[アルシャバブ]に殺されてしまう。そして、どちらも支持しない者も、誰かに殺されてしまう」
2008年10月、カクマ難民キャンプはUNHCR 支所長に新たにモハメド・カシーム氏を迎えた。
2008年11月9日~13日、クラス8に登録された全てのキャンプの子どもたちはケニアの初等教育認定(KCPE)試験を受けた。1200人以上が、キャンプ中の15のテストセンターで試験を受けた。3つのセンターは女子専用に用意された。
2008年12月28日、エチオピア正教の難民コミュニティは新しい宗教センターとなるドゥブレ-ヘイル聖ガブリエル教会を開いた。教会は美しく精巧に作られていて、素晴らしい装飾が施されている。カクマの地元信者はこの教会で精神的恩恵を受ける。
2008年12月22日、難民のフリープレスであるKANEREが誕生した。「KANEREが我々のもの、我々全員のためのものならば、我々の声となるだろう」と、ある難民が言った。「KANEREは我々の代弁者、現実的で実際的な変化をもたらすことができるだおう」と、別の難民が言った。
2008年12月31日はキャンプでの祝賀の素晴らしい日だった。女性、子ども、年配の難民は新年を祝った。ドラム叩きと夜のダンスは、ブルンジとコンゴのコミュニティでクライマックスに達したと報告された。鶏は一羽500ケニア・シリングで売られ、ほとんどの家族が買い求めたため市場には一羽も残らないほどだった


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