Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2010年7-10月号 児童保護裁判と被害者のその後

2011年01月02日 | 人権
悲しいかな、カクマでは性的児童虐待の裁判訴訟は困難だ。被害者家族に対するその後のコミュニティーの影響もさらに事態を悪くしている。

フセイン・モハメッドとアシュケ・サラはソマリアのダロド族の出身。2000年にモガディシュで結婚し、二人の子供、娘のアミナと息子のハッサンがいる。アミナは戦争中ソマリアにとり残され、今では生きているのかいないのか、両親にもわからない。家族は2009年、UNHCRのダダーブ移転計画にともないカクマ難民キャンプにやって来た。

8歳のハッサン・フセインは二人にとってたった一人の子供だ。困難な難民生活の中で、二人は愛情豊かに細やかな心遣いで息子を育ててきた。それだけに、息子が性的虐待を受けたと知ったのは、家族にとって恐ろしい経験だった。母親のアシュケは、息子の受けた虐待とコミュニティーでの裁判の影響について、カネレ記者に話してくれた。

「私達は国外に逃亡し、まずダダーブキャンプの難民になり、その後2009年1月にカクマ難民キャンプに移され、カクマ4に家を貰いました。

息子は頭が良く、イスラム教の子ども達にコーランを教えられるような才能があったので、マドラサ(イスラムの学校)に通っていました」そのマドラサは家からそれほど遠くはなかった。

2009年3月、ハッサンはマドラサからの帰宅途中で、ある男と出会った。その男はお茶とお菓子をあげるから一緒に家に来ないかと誘った。 

ハッサンは無邪気に男の家までついて行った。お菓子を食べ終わると、男は写真やおもちゃを見たくないかと誘った。ふたりでベッドに座っているときに、男はハッサンの体を触り始め、その後性的虐待を加えた。

ハッサンの母親は涙ながらに、カネレ記者にこのように話した。

「ハッサンはその日遅く家に帰ってきたが、私にも父親にも何も言いませんでした。次の日も放課後、男は通りでハッサンを待っていて、息子は嫌だと言い張ったのに、家に連れて行かれ、同じ事が一週間ほど人知れず続きました。

「息子がマドラサから遅く帰るようになった時も、近所の年下の友達と遊んでいるのだろうとしか思わず、何も疑いませんでした。ある晩、息子はよく眠れないようで、たびたび目を覚ましていましたが、突然金切り声をあげました。飛んで行ってみると、お腹と肛門が痛いと訴えました。

「次の朝すぐに、IRC(国際救援委員会)クリニックに連れて行き、検査をするためにその後IRCメイン・ホスピタルに行きました。 医者から、子供は具合が悪くなったのはいつか、友人は誰か、父親はどこにいるか、などとたくさん質問されて驚きました。驚いたなんてものじゃありません、男色者の生け贄になっていたと聞いた時には、腰を抜かすほど、びっくりしました。信じられなかったし、涙が止まりませんでした。

「私たちは診断書を貰い、ケニア警察に回されました。警察はその男をすぐさま逮捕しましたが、犯人は2週間拘留されただけで、保釈金を払い釈放されました。拘留されたものの、犯人の家は金持ちだから、金を払って自由の身になれたのだと思います。その男が堂々と我が家のそばを通るのを見たときには、我が目を疑いました。息子も家族の誰も、二度とあの男を見たくありません。カクマで裁判訴訟が9ヶ月ほど続いたのですが打ち切られて・・・・・・どのような経過で裁判が却下されたか、私たちには何も知らされていません」

ルーテル世界連盟(LWF)の児童保護担当者によると、キャンプ内で報告されている事件数は一般的に減少してきている。2009年の最初の性的児童虐待事件は3月だった。2件目、3件目の事件は今年の5月にあり、直近の事件は2010年8月だ。「我々の役割は、暴力の犠牲者が法的保護を受けられるように援助することです。しかし、どこかに行き届かない部分があるのでしょう」と、担当者は語っているが、UNHCRの法的保護ユニットに事件が委託された後、その事件がどのように扱われるかについては答えられなかった。

事件全容がコミュミニティーに知れ渡った時、正義は公平に行われなかったと家族は思い知らされた。コミュミニティー内でこの家族は新たな被害者になってしまったのだ。家族が言うには、事件はでっち上げだという情報が流れ、今では誰もがそう信じている。なぜなら、そのような問題を表沙汰にしないのが社会の規範だ、と言っている人たちもいる。「水道の蛇口の下に置いていた我が家のジェリー缶が蹴飛ばされたり、石が投げられたりするのはしょっちゅうで、とても怖くて不安で、家では眠れない夜もあります」と、アシュケは言っている。

KANEREとのインタビューで、LWFコミュミニティー・サービスのアルフレッド氏は、この家族が裁判所の法的手続きに満足できないなら、彼の事務局に報告すべきだと述べている。「今では我々の権限を越えてしまっている。我々は事件の根底にあるものを知るべきだが、LWFは委託元機関にすぎない」

被害にあった子どもはもう学校にもマドラサにも通っていない。「遊んだり話したりできるようにと子どもがいる親戚の家に預けていたが、息子は今でも外出できないし、悪夢に悩まされている。昨晩も息子が飛び起きてベッドで泣いているので目を覚ました」と、父親は話している。

「犯人は警察の独房に20日間拘留されたが、保釈金を払って釈放された。2009年4月20日、我々は依頼人に付き添って審問に行った。裁判所によると、この事件には証拠が乏しく、2010年5月28日ついに打ち切りとなった。家族は上告しようとしたが、実際には行動を起こさなかった。家族は今でもたえず怯えている」と、LWFジェンダー平等・人権担当の職員が述べている。


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