物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

忍海角刺神社 北花内大塚古墳(埴口丘陵)

2021-11-29 | 行った所

埼玉の稲荷山古墳・熊本の江田船山古墳出土の鉄剣の銘からほぼ時代と実在が確実なワカタケルこと雄略天皇の後、継体天皇の出現までの数十年はどうもはっきりしない。4世紀後半の雄略が倭五王の最後の武として中国に上表文を送ったとされるのが478年。継体が筑紫の磐井の乱を治めたとされるのが527年、この間約50年ある。
この間実態はともかく系図上の大王として清寧・仁賢・顕宗・武烈の4人が数えられるが、ほかに特異な存在としてあるのが飯豊皇女(飯豊青皇女)である。


仁賢・顕宗、二人のオケ兄弟の姉とも叔母ともいうがおそらくは姉で清寧とオケ兄弟の間で即位したともされる女性だ。雄略の従弟で殺された市辺押磐皇子の娘で履中の孫である。宮としたのは葛城の忍海角刺宮(おしみのつのさしのみや)


角刺宮の伝承地は葛城市歴史博物館のすぐ近くだ。


「やまとべに 見まほしものは 忍海の この高城なる 角刺の宮」と謡われた立派な宮はどのようなものだったのか、大きな規模のものであれば、歴博の敷地などはその範囲内であろうが、大規模建造物の跡は出ていないようだ。
ここは葛城の地だ。当然葛城勢力にバックアップされた女王ということになる。
角刺神社から北北西に800メートルほど行ったところに北花内大塚古墳(飯豊埴口丘陵)がある。飯豊皇女の墓とされるところだ。


北花内大塚古墳から西へ行くと屋敷山古墳がある。この地域で北花内大塚に先行する古墳であり、組み合わせ式長持ち型石棺が出ており、葛城市立歴史博物館の展示にあった。古墳はきれいな公園になっている。その裏手に猫がいた。耳に切り込みの入ったさくら猫、地域のボランティアに支えられて生きている猫たちだ。

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