物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

難波と大和 竹ノ内街道(横大路)

2021-11-25 | 行った所

道の駅「近つ飛鳥の里太子」から少し入ったところに太子町立竹内街道歴史資料館があった。地域と対象を絞った資料館だけによく掘り下げられていて面白かった。最初の官道竹内街道の建設について、人形を使った紙芝居のようなビデオ(マジックビジョン)をやっていて、推古と小野妹子と厩戸皇子らしい人形が、外国からの使者を迎えても恥ずかしくない大道、と言っていたので、てっきり隋からの答礼使裴世清が大和に入った道だと思ってしまったが、それだと年代が合わない。推古21(613)年11月に「難波(なにわ)より京に至る大道(だいどう)を置く」は遣隋使妹子の帰国とともに裴世清が訪れた推古16年(608)にはなかった。裴世清は竹内街道より北の竜田道、大和川を主に船で移動したとみられる。


http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2019063000016/?doc_id=11119 柏原市HPより
なかなか7世紀前半の道路遺跡の証明は難しいようではある。

 竹内街道歴史資料館から叡福寺北古墳(聖徳太子墓)横穴式石室模型

御背板(オセタ)というものが展示してあった。初めて見たが巡礼の担ぐ携帯用仏壇だそうだ。木箱のようなものだ。見ているうちに鬼滅の刃のネズコが入っている箱はこういうものから得た着想かなと思った。

 資料館前の道標

 竹内街道

 太子町のマンホールのふた

道の駅に戻る途中渡った小さな橋の川は飛鳥川と気づいた。ちかつ飛鳥の飛鳥川だ。

国道166号線がだいたい竹内街道だったらしい。大和まで走ってみたが、何しろ駐車スペースがない。ただ通っただけである。

 

竹内街道は横大路とつながるという。奈良のほうから行ってみる。耳成山の少し西で奈良樫原線の広い通りから西へ路地に入る。車は通れるが一方通行。まもなく八木札の辻へ出る。

 交流館は江戸時代の旅籠だそうだ。


横大路と下つ道が交差する。下つ道を南に行くと藤原京。



おっかなびっくり通っていると八木駅前だ。駅を右手にみて西へ進む。


道標かと思った。文化3年大阪の商人が建てたものらしい。入鹿は歌舞伎「妹背山婦女庭訓」の中ではこれ以上なしの悪人に描かれている。別の見方をしていた人もいたのだな。
  交差点の表示に曽我町があった。
道がこれでいいのかだんだんわからなくはなってくるが、二上山を見て西へ進むに間違いはないだろう。

 長尾神社にたどり着く。 

 長尾神社北辺 

 道標 右 つぼさか こうや と書いてあるそうだがよく読めない。左は はせ いせ である

道は住宅街だが、登り勾配になる。しばらく行くと166号線に合流した。

コメント