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かたつむりのように

のんびり、ゆっくり、ゆっくり、・・・歩いていこう
時には アンテナをたてて・・・

クリスマスに手作り童話のプレゼント

2018年12月22日 15時00分37秒 | 日記

今年も孫に、クリスマスプレゼントを贈る時期になりました。

クリスマスプレゼントの中に

プリンターで作ったささやかな手作り童話を入れました。

 

Yちゃんへ

この童話はパパが小学1年生と2年生の時書いた16の童話の中の一つです。

とってもかわいくて、バァバが大好きな童話でした。 

Yちゃんが生まれて、元気に成長していく姿をながめながら、 

バァバは、いつかYちゃんが大きくなって字が読めるようになった時

パパの童話にさし絵を描いてプレゼントしたいと思い続けてきました。

でもね、バァバは絵がうまく描けません。

迷い迷っているうちに、Yちゃんはどんどん成長して4年生にもなってしまいました。

もうずいぶん難しい本も読むようになったYちゃんに、バァバはあせりました。

(もうこれ以上のばすことはできないわ)

バァバは、パパの童話の続きを書いてみました。そしてさし絵を入れてみました。


お家のプリンターで作りました。

これはパパとバァバから、Yちゃんにプレゼントの童話です。 

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じぃじモーニング

2018年12月01日 13時56分15秒 | 日記

 こんにちは ♪

昨年のGWには、私は帯状疱疹を発症してしまいました。

連休とあって治療が遅れ、それから1か月半はかなりたいへんな状況になって

しまいました。

 日頃、お湯を沸かすことぐらいしかしたことのなかった夫が、買い物から、朝、昼、晩、

の食事作りに奮闘してくれたのです。

それ以来、自然と朝食は夫の担当になり、私は毎日「じぃじモーニング」にありつけて

おります。


 今朝も、洗濯、掃除を始めていた私に「できたよ~」 の声がかかりました。

「ありがと」

主婦は、おむすび1個だけでも、コヒーとトーストだけでも、手を汚さずスッとでてくる

食事は、ありがたいですよね。


  今朝の朝食は 

ピザトースト(ちりめん ピーマン たまねぎ トマト チーズ)

サラダ(サニーレタス 玉ねぎ トマト 卵 柿)

バナナにヨーグルト 牛乳

でした 。


 日頃 夫に「老夫婦二人暮らしの生活では、いつ何が起きても困らないように

簡単なものぐらいは作れるようになるといいね・・・」

と それとなく話しておりましたが、

「今時コンビニもあるし、スーパーには何でも出来合いがあるから困ることなんてないよ」

と、応じず、作戦は不成功に終わっていました。

 しかし、帯状疱疹で苦しい思いをしたものの、これがいい契機となり

それからの夫は、料理に関心をもってくれるようになりました。

食卓の料理を見ながら 「この味付には、何を使うの?」

買い物に行けば「牛乳がもうなかったなあ。ドレッシングもあと少ししかないよ」

今までの荷物もち係とはちがい、料理係の顔になっております。

 

  先日もスクランブルエッグにチラチラと緑のものが入っていました。

「この緑は、なに?」

「オクラが残っていたから、入れてみたよ」

「え~ オクラなんか私は入れたことなかったわ~」

と、時々新発見があります。

 

 息子たちはごく自然にキッチンにはいります。

しかし、私は息子世代とちがって夫の朝食づくりに「しめ しめ」と思いながら、

ちょっぴり後ろめたさも感じてしまいます。それで

「ありがと、助かるわ~」 と 感謝の雨を降らせております (笑)

 

  先般 息子家族がやってきた時「今朝は じぃじモーニングよ」に、

「おお!」 「へ~」と ちょっと驚きの息子の声。

じぃじモーニングだ~」 の孫の声。

 みんなの顔が輝いて、朝食がもりあがりました。

 

ばぁばは、少しづつ「じぃじランチ」も期待しはじめました。

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白内障手術を終えて

2018年11月26日 19時19分39秒 | 日記

 みなさまこんばんは ♪

しばらくお休みしておりましたが、その間にもこのような拙いブログに、

ご訪問くださいまして、ほんとうに有難うございました。 

 

  この10月に白内障の手術し、1か月半が過ぎました。

まだ術後の目薬は必要なものの、いろいろの制約から解放されて、世の中って

こんなにも美しかったのかと日々感動しております。

 

 私は強度の近視(0.05)で、 その上乱視に、老眼ですから、 今までは、朝目覚めると

枕元の眼鏡をまさぐり、まず眼鏡をかけなければ一日が始まりませんでした。

それが白内障手術により、近視が軽くなり中距離にあるテレビはぼけるものの

家の中では、裸眼の生活にほぼ支障がなくなりました。


 白内障の手術は、単焦点レンズを挿入する場合は、焦点を手元か遠方かのいずれかに

設定することになりますが、私は手元40㎝(パソコンの位置)に焦点を合わせました。

それで手元は老眼鏡がなくても全く不自由なく、約款のような小さな字も読むことが

できますし、なによりパソコンの位置に焦点を合わせたことにより、パソコンの画面は

色鮮やかで、文字は色濃くクリアな画面に驚いています。

 

 しかし中間距離(15m位)や、 遠方を見るには、今までよりぐっと軽いながら眼鏡が

必要になります。

でも眼鏡通して見る世界は、今までと違ってベールが切って落とされたように鮮やかで、

木々の葉1枚1枚がくっきりと色濃く見え、紅葉した木々の美しさは驚くばかりです。


 

  今まで眼鏡を通してなんの不思議もなく見ていた世界が、本当はこんなにも

美しかったのだ・・・と感動しながら、鏡の中に鮮明に写るわが顔には、

ぎょっとしました(笑)

こんなにもシミも皺もあるばばちゃんだったのか・・・(知らなんだ、知らなんだ・・・)

 

 でも気を取り直して、 これが今の私!

久々に鏡の中に眼鏡のない自分を見て、ちょっと笑ってみた。 

そして手を振った。  これからもよろしくね・・・って。 



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台風21号で停電

2018年09月05日 19時59分08秒 | 日記

 台風21号は強風で、各地に被害をもたらしましたね。

denko地方もかなりの強風で、玄関横の植木鉢が倒れ、直径50~60cmほどの大きな鉢が

割れてしまいました。

午後4時ごろから8時近くまで、4時間ほど停電し、電気の有難さをいやというほど知ること

になりました。

 

 停電になって、当然ながら、エアコン、テレビ、冷蔵庫が切れ、

「さあ食事はどうしよう」 ということになりました。

炊飯器も、電子レンジもだめだわ・・・パンも朝たべてしまったし、ガスがきているから

ソーメンにしようと、ソーメンチャンプルを作りました。

家中の灯りをテーブルに集めての食事です。



 灯りを眺めながら、停電が長引けば、電池の替えもたくさん必要になるね。

ストックは大丈夫かな?

冷凍庫は満杯だけど、意外とすぐ食べれるものの買い置きがないわ。

地震が起こるたび、 「各自 3日間の食糧、水をストックしておいてください」

という、言葉が身に沁みました。

 

 食洗機もだめだし、食事のあとかたづけは暗がりだから後まわし。

そうだ、お風呂も入ることができないんだ。 不自由だらけでした。

風雨はおさまり、暗がりの中、ラジオの音だけがひびいていました。

その時、ドアをどんどんたたく音がして、お隣の若奥さんが小学生の子供さんといっしょに

「Yさん、 灯りは足りていますか? 心配になって・・・」

と卓上ランプをもってきて下さいました。 老人2人を心配して下さったのです。

もう、気持ちがぱっと明るくなって、気づかっていただいた幸せに

胸がいっぱいでした。

 

 今回の停電は、いい体験でした。 

さあ、真剣に災害のための、備蓄、心の準備、そしてご近所さんたちにも心配りを

と気づかされることの多い停電でした。

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庭の改造も老い支度

2018年06月30日 20時30分27秒 | 日記

「お母さん、ひとりになったら庭の芝刈りできるかぁ」

夫の言葉に、

「ええっ、 芝刈りなんてしたことないし、そうなったらシルバーさんにでも頼むわ~」

笑いながらそんな会話をしたのは4月頃だったか・・・

冬枯れの芝生が青さを増した頃でした。

芝刈り機の調子が悪くなり、夫は、老人二人の今後を考え、

この際、芝を剥ぎ、手入れの簡単な庭にしようと言い出したのです。

 

ほんのちっぽけな庭なのに、手入れは結構たいへんです。

芝は刈れば刈るほど美しくなると言いますから、雑草取りの他、夏場の月に一度の

 芝かりに夫は汗まみれになっていました。

私も、花の手入れや草取りには、腰が痛くなり

すぐには立ち上がれなくなってきたのです。

だんだん植えっぱなしで咲いてくれる花ばかりを選ぶようにもなりました。

そろそろ考え時かな、

 老い支度よね・・・と

 

 手入れが簡単な庭にするといっても、

芝生をなくすことには未練がありました。

ちっぽけな庭にも春がくると、

芝生が生き生きと緑によみがってくる時のワクワク感、

夏の強い日差しもやわらげてくれ、足の裏に伝わる感触の心地よさは、

すてがたいのです。

迷い迷ってるうちに芝はどんどん伸びて、

10センチほどのモサモサ状態になってしまいました。

 

庭師さんに相談すると、

最近は、共働きの家では、手入れの簡単な人工芝にする人も増えてきたとか。

人工芝も枯葉が混入したごく自然に見えるものもあるというのです。

でもね、

「 人工芝なんて、プラスチックのお茶碗で食事するような、味気なさだわ

やっぱり安物でも陶器のお茶碗で食事したいわぁ~」

私のへんな例えに庭師さんも笑いながら、

結局、少しの芝を残し砂利を入れることにしました。

 

(芝が伸び放題になった庭)

(少し芝を残し変身した庭です)

費用をかけない改装も老い支度(笑) 

これでずっと楽になりそうです。

 

庭の変身をお嫁ちゃんにメールすると、

 「お父さんどこか検査でひっかかったんじゃあないか・・・って、◯◯さん(息子)が

言うんですよ。ふたりで心配してますが、大丈夫ですよね」

とメールがきました。

「ありがと。ありがと。大丈夫よ。 お父さんは 『息子より元気だい』 と言っています」

と、 大笑いしながら、気遣ってくれるメールに、返信しました。

 

心もほっこり 老い支度の一歩です。

 

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今頃 めじろ君はどこにいるかな・・・

2018年03月27日 13時54分16秒 | 日記

お正月が過ぎた頃だった。

今年も、庭にめじろがやってきました。

夫は 「お~い お年玉だぞ~」

なんて呼びかけながら庭木にみかんをつるしていました。

 

 

そのみかんを狙ってひよどりもやってきます。

ひよどりはめじろたちを追い払うと、みかんの果肉ばかりか、ほろまで食べつくし

見事に皮だ残して飛び去ります。

憎らしいほどの強欲ぶりです。

 ひよどりが止まれないような枝を探してはみかんをつるす夫と

ひよどりの戦いは、滑稽だし愉快でした。

 

 

 めじろは、つがいでやってくることが多いですね。

 目の周りの白い縁取りが名前の由来だそうですが、その仕草にはかわいく癒されます。

春を告げる小鳥はめじろと鶯。

姿をみせず鳴き声でアピールする鶯にくらべ、めじろは警戒心が少なく

よく姿をみかけます。

枝に押し合うように並ぶくせがあるらしいのですが

 

こんな風に押し合いへし合い並んでいるのを見たことはありません。

家ではカップルが仲良く並んでいるのを見かけましたが、

 めじろの押し合いへしあいの姿は「目白押し」の語源だそうです。

知らなかったわ~

 

今年は、みかんがお高かったですねぇ。

「〇〇さんちには、 みかんがあるぞ~」と 

連れ立ってやってくるめじろがかわいくて、せっせと木につるし続けました。

 

しかし、2か月ほど毎日やってきためじろ君も、温かになってくると

姿を見せなくなりました。どこにいったのでしょうか?

みかんのお礼もなく、お別れの言葉もなく

来年のお約束もしたかったのに・・・

いつの間にか姿が見えなくなりました。

 

めじろは果汁や花の蜜を好むのだそうですから

今頃は満開になった桜に蜜を求めて、 あちこち飛びまわっていることでしょう


 先日のサークルでは、アニメを学びました。 

イラストのめじろ君を動かしてみました。

わが家に来ていためじろ君も、どこかでこんな風に楽しんでいることでしょう

 

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巻爪手術がおわり これで遠出もOKだ

2018年03月22日 21時15分46秒 | 日記

2年前に左足親指の巻爪の手術をしました。

それ以来左足はとっても快適です。

でも、まだ右足の親指も巻爪なんです。

 巻爪になると、爪の角が肉にくいこみ長歩きはとっても苦痛です。

 

 残念だけど爪も老化しますね。

若い頃と違って、爪の水分が少なくなると、形も色も悪くなり、

角質化して厚くなったりします。

不潔っぽくなるのがいやで、私はつい切りすぎてしまいました。

巻爪の原因のひとつは切りすぎだと、主治医の先生はおっしゃいます。

特に爪の切り方には注意が必要で

爪は、指先と同じ長さにして、真っ直ぐに切り、サイドは引っかかったり、

くいこまないように、滑らかに少し丸くしておくといいそうです。

 

温かくなって、桜のたよりを聞くようになると、家に籠っているのがもったいない。

どこか旅行したくなりますね。

認知症予防にも、高めのコレステロールを下げるためにも、

ウォーキングも頑張らなくちゃあ・・・と切実に思います。

それで自由に歩けるようにと、思い切って陥入爪(巻爪)手術をし、 

今日で9日が経ちました。

 

この間、お風呂の中では、片足あげてシンクロです(笑)

 初めの3日ほどは、傷が圧迫されるため靴下が履けませんでした。

温かくなってきたとはいえ、床暖のないフロアーを素足で歩くと

冷えが上がってきます。

処分しようとしたゆるゆるの古い靴下が、傷にはとっても優しく快適です。

外出は、指が出るほどのベランダのデカサンダルをつっかけて、

ペタペタ歩いています(笑)

 

巻爪の手術は巻いている方の爪を5mmほど縦に切り取り、

 根元を焼いて生えてこないようにして終わりです。

簡単な手術なのですが、手術前、

「麻酔で吐くといけないので絶食できてね・・・」

なんて看護師さんから言われると、経験済みなのに、緊張してしまいます。

 

爪は生命力も旺盛です。

根元を焼いてもまた生えてくる場合があるそうで、 

10%は再発してしまうそうです。

 

 不自由なく靴がはけるようになるのには1ヵ月ぐらいかかりそうですが、

これからは、苦痛なく遠出もできるかと思うと、とても楽しみです。


遠い昔、

 ヒールでアスファルトを、カッ、 カッと、歩いていた頃が懐かしい・・・

 ばばちゃんになったdenkoは、これからはウォーキングシューズを履いて、 

ちょっぴり爪の幅も狭くなった親指で、大地を踏みしめて歩いていきます。

 

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可睡斎のひなまつり 1200体のお雛様

2018年03月14日 10時33分50秒 | 日記

可睡斎のお雛まつりに行ってきました。

ボタンやユリで有名な袋井の可睡斎ですが、こんな大規模なおひなまつりが、

行われているなんて知りませんでした。

時々おじゃましているブロガーさんの記事で知り、

4月3日まで開催されていることがわかり、急遽でかけました。          


可睡斎は徳川家康公ゆかりの禅寺です。 

その瑞竜閣で、 

天井まで届きそうな32段の台座に、 1,200体のお雛様が飾られていました。

ごらんのとおり圧巻です。

 

このひなまつりは、一度お役目を終え、人形供養に納められたお雛様に、 

もう一度輝いてもらおうと2015年より開催されて、今年で4回目に

なるそうです。


お雛様は菊の間だけでなく、大書院や宝物館、長い廊下のいたるところに、

 所せましと飾られいて、いろいろのお顔立ちやお衣装で、作られた時代を、

あれこれ想像しながら眺めました。

あまりの数の多さに、これを飾り、しまう手間、保管場所はどうするん

だろう・・・といらぬことまで考えてしまうほどでした。

お雛様だけでなく、 

 2000体のさるぼぼも

傘福も

室内ボタン園も

写真をUPしきれないほどのたくさんの展示です。

 

そして昼食は、近くの葛城北の丸でいただきましいた。

広大な敷地に、お殿様をもてなすかのように・・・と作られた施設です。

(北の丸の門)


ゆったりとした時間が流れた非日常の空間で、

広大な庭を散策をしながら過ごしました。 

春を待ち焦がれて一斉に動き出した美しい木々を仰ぎながら、

温かな日差しをいっぱい浴びて、ちょぴり身長も伸びたような気のするひと時でした。



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「さだまさしのコンサート」 に行ってきました

2018年03月03日 16時05分23秒 | 日記

 3月2日、【さだまさしのコンサート】に行ってきました。

  

 チケットは、発売当日(昨年末)パソコン前にスタンバイし、時計とにらめっこで、

「それっ」とばかりにネットで申し込みしました。

取れた席は、2階の最後列の一番端っこ。 双眼鏡が必要かと思うような席でした。

 

 さだまさしのコンサートは、今回で3回目。

もう霞んでしまいそうな昔のことです。 長崎に住んでいた頃、

街が一望できる稲佐山の野外コンサートに行ったのが最初でした。

ばばちゃんの私も、当時は若かった なあ~(笑)

記憶も薄らいでいますが、若者の熱気ムンムンであったことは、覚えています。

 

 今回は、市の文化会館。

若者の姿はなく、さだまさしと一緒に年取ってきたようなシニア層が多く、

女性のグループあり、一人参加の女性あり、夫婦連れの姿も多く、denkoも夫と

出掛けました。

 

 私が一番魅かれる曲は、 「精霊流し」 です。 

これってグレイプ時代の曲だから、もうずいぶん古いですよねぇ。

実際の長崎の精霊流しは、曲から想像されるのと違い、爆竹を焚き、カネやドラ、 

掛け声の入り乱れる喧噪の中で行われます。


(ネットから写真をおかりしました)

これを初めて見た時は、歌の世界とのあまりのギャップに驚きましたが、 

ある光景を目撃した時、私には忘れられない曲となりました。

 

 ご存知でしょうが、長崎の精霊流しは、

新盆を迎えた家が故人の霊を弔うため、親族、 親戚、 皆で精霊船を手造りし、その船を

家紋のついた沢山の提灯でかざり、遺影を乗せ、船を曳きながら街中を練り歩き、 

故人を極楽浄土に送りだすのです。

その船の長さは3~4メートルあるものや、道の角を曲がるのもたいへんな7~8メートル

あるものもあり、揃いの家紋入りの法被姿で、爆竹をたき、カネ、ドラを鳴らしながら

船を曳いていくのです。

 

 8月15日の長崎の夜は、あちこちの辻から大通りに精霊船が流れ込むように出ていき、

ドラや爆竹の音に、耳栓なしではいられないほどです。

そのにぎやかさは哀しみの裏返しなのかもしれません。

 

 遠い昔、沢山の大きな船が流れる中、 

若い男性が小さな舟を肩にのせ、ひとり大きな船の間を縫うように歩いている姿を見ました。

あの船に乗っているのは、いったい誰だろうか?

あの方の妻だろうか・・・こどもか・・・もしや恋人・・・ 

そんなことを思わせるような歩みでした。

その時、さだまさしの切々としたあの精霊流しの調べと重なりました。

 

 かって指揮者で作曲家の山本直純氏が

さだまさしの曲には、クラシックを勉強した人でないとかけない旋律があると

絶賛していましたが、曲にも、ストーリーのある詞にも惹きつけられます。

 

 今日もあのヴァイオリンが会場にむせび泣くように響き、遠い昔の精霊流しの夜が

思い出されました。

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「峠の釜めし」の空き容器で釜めしを作ってみました 

2018年01月27日 10時03分42秒 | 日記

今日も寒いですね。

こんな日は買い物に行くのもいやです。

掃除も洗濯もちょこちょこですますと、時間はたっぷりとあります。

 

ふと、シンクの隅にある「峠の釜めし」の空き容器が、目にとまりました。

先日、近くのスーパー ピ〇ゴで駅弁フェアーがあった時買い求めたものです。

 

「峠の釜飯」は駅弁日本一になっていますよねぇ。

私はこれが大好きなのですが、

それ以上に、この容器で釜めしを作ってみたくて、つい買ってしまうのです。

しかし作り方がわからず、今まで幾度も買っては処分するを繰り返していました。 

 

もう、随分昔になります。

長崎に住んでいた頃でしたから、かれこれ40年ぐらい前のことです。

ご近所の奥さんからお誘いを受けて、お宅におじゃましお昼をご馳走に

なったことがありました。

でてきたのは、小さな陶器のお釜で一人前づつ炊いた釜飯でした。

あつあつのお釜から、かすかにおこげの匂いがして、

もうたまらなくおいしい釜飯であり、お釜が並んだ食卓の設えもおしゃれで、

感激してしまいました。

 

その後、この駅弁の釜めしを見るたびに思い出され、 

私も作ってみたい・・・と、衝動にかられるのですが

釜めしの作り方も、あのお釜が、横川駅の「峠の釜めし」の容器だったかも 

わからないままでした。

 

 そうだ、挑戦してみよう

 冷蔵庫をのぞいてみました。

鶏肉、にんじん、きぬさやがあり、冷凍庫には茹でた銀杏が冷凍になっています。

これと乾し椎茸でなんとか釜飯にしてみよう。

ちょっと具材がさみしいが、まあ、初挑戦だしこれでいいことにしよう 。

 

ネットで調べてみると、横川駅の「峠の釜めしの容器の利用法」が載っています。

ネットって、すごいですねぇ。なんでも助けてくれます。

その中の茶飯の作り方を参考に、作ることにしました。 

 

 

米 1合   

具材を煮て、その煮汁をさまし、味を調整し180CCにして 

30分米を浸します

弱火にかけると、8~10分で吹いてきます。    

 

ふたを1cm程ずらし吹きこぼれないようにし、さらに最弱火にして、

吹きがおさまったら、ふたを0.5cmぐらいまで閉めます 

 

                             

ごはんの表面の泡立ちが無くなり、水たまりが無くなったら、 

ふたを完全に閉め、火を止めます

火をつけてから、止めるまで15分ぐらいかかります。

            

さらに、15分ぐらい蒸らす。(この時ふたはとらないことが重要だそうですが

私は心配で覗いてしまいました(笑))

これでご飯はできあがります。

 

容器が小さくて具材をまぜて炊き込むことはできず、炊きあがってから 

具材を載せてさらに蒸らしました。

できあがり

電気釜ではできないおこげができて、なんともいい香り。

 超美味 夫にも大好評 でした。

長年、一人ひとりにお釜で炊いて作ってみたかった釜飯です。

これで自信がつきました。

栗ご飯だって、釜揚げうどんだって、このお釜を利用すれば、おしゃれな食卓になります。

 

ただ、このお釜の利用は3回位だとも、ネットにありました。

確かに、洗ったお釜には小さなひびが入っています。

でもうまくいけば、何回も使えるようです。

 

レパートリーを増やし、私のおもてなし料理にしたくなりました。 


 

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お椀がはまちゃった

2018年01月15日 11時12分22秒 | 日記

お正月に、息子たちがやって来てにぎやかに過ごした時のことです。

 

2人のお嫁ちゃんとキッチンで後片付けをしていました。

日頃は、ひとりで後かたづけをするのに、女3人べちゃべちゃと

おしゃべりしながらの後かたづけは、これまた楽しいものです。

 

 その時、洗い桶の中で、ふたつのお椀がすっぽりとはまってしまいました。

あれ~ びくとも動きません。

吸い付いてしまったように動かないのです。

 

「ネットで調べてみようか・・・」 と、お嫁ちゃん。

スマホで調べると、ありました。 ありました。YouTubeに。

「お湯に1分ぐらい浸けると、はずれるんですって!」

ところが、だめです。 はずれません。

「温度をもっと高くするのかねぇ? もっと長く浸けるのかしら?」 

 

 3年ほど前にも私は同じことをやってしまい、無理やりペーパーナイフを

差し込んで漆器のお椀を傷つけてしまったことがあります。

 

そこに、孫のYちゃんがやってきて、

「ばぁば、お椀の間に洗剤を入れてぬるぬるさせたら、どう?」

「うん、うん、それもいいかもね」

でも、だめでした。

「ねぇ、パパァ~ テレビでやっていたのを見たことあるよねぇ~」

Yちゃんの呼びかけに、ごろ寝でテレビを見ていた息子が援軍です。


 

「たしか、お椀の中に氷を入れて、お湯につけるんだよ。外のお椀を膨張させて

内側のお椀を収縮させるんだよ~」

 

はずれました、 ぽっかり と、

びっくりするほど、 簡単に、

 

お椀もわずかに、収縮や膨張もするんですね。

めでたし、めでたしでした。


 

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わが家のお正月

2018年01月09日 10時30分51秒 | 日記

 お正月の3が日は昨年と同様、ジジ、ババふたりでのんびり、まったりです。

頂いた年賀状を一枚一枚眺めながら、書かれた添え書きに想いを馳せました。


 毎年達筆な賀状をくださる方の字の震えに、お体の具合が心配になります。

年齢を忘れさせるご活躍に、羨望とまた刺激をいただいたりもします。

しかし、残念ながら年末にいただく喪中葉書も増えました。


 毎年賀状を出す時期になると、必ず夫は、「そろそろ年賀状も卒業したいなあ・・・」

なんて言い出しますが、お正月にお互いの近況を確かめ合う賀状は、若い頃よりも

一層大切に思われるのもこの歳になればこそです。

 

 6日からの3連休に、息子たち二家族がやってきて2泊3日、楽しくも大騒ぎのお正月を

過ごしました。

毎年ながら、孫娘Yちゃんはわが家で書初めです。


 パパやママたちが、〇メダ珈琲に行っている間、 夫と3年生になったYちゃんは 

楽しそうに、そして真剣に書初めです。

 

 私は毎年その様子を動画に撮っていますが、成長した今年は、

「ばぁば、緊張しちゃうから やめ~て~」

なんて言われちゃいますが、こっそり、こっそり、隠し撮りをします。

「ばぁば、やっぱり撮っていたでしょう。 音が聞こえたよ~」

なんて言われて大笑いです。

 

 思い出に4才の時、初めて書初めをしたYちゃんを付け加えておきましょう。



3枚ほど「たのしい」と書いて、

じぃじの「もう終わりにしようね」に 「もっとやりたいのに・・・」とねだったことが

今も懐かしく思い出されます。

 

 遅いお正月は、家族全員そろって、食べて、飲んで、笑って、しゃべって一年中で

一番賑やかな日でした。

あれもこれも食べさせようと、 買い込んだものを出し忘れたり、考えていたメニューを

楽なものに変更したり、相変わらずのdenkoですが、みなの大満足(?)の表情に、 

一番満足したのは他ならぬdenkoだったかもしれません。

 

 今日は朝方から小雨がちらつきましたが、今は明るい太陽が部屋いっぱいに

差し込んでいます。

山と積まれた寝具のかたづけ、たくさんの洗濯物が待っています。

ゆっくりと片付けることにしましょう。

 

 しばらく食事は、 冷蔵庫の残り物の整理です。

 

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三河万歳でお正月

2018年01月04日 20時31分07秒 | 日記

1月2日、安城市のデンパークにぶらりと出掛けてみました。

 

高校生たちの書道のパホーマンスを見るつもりだったのですが、1日間違えていました。

それは翌日に行われるとのこと。 

それでもはじめて三河万歳を見ることができました。


正直、言葉がわからず、話の内容もわかりません。

それでも、太夫役の方の恵比須顔は、とっても素晴らしい!

自然と見ている人達を笑顔にして、お正月ムードいっぱいでした。

 



家に帰ってから、ネットで調べてみると

三河万歳は、

愛知県三河地方を根拠地として、各地を回ったお正月の祝福芸で、

中啓(扇の一種)を持った太夫と、鼓を打つ才蔵が家々を訪れて、

祝言をのべたり、滑稽な掛け合いをしたりするのだそうです。

 

江戸時代には大名家や、後の東京では華族の屋敷を訪れ、

上り込んで披露したのだそうです。


 知らなんだ!  知らなんだ!



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【思い出の地 大分の旅】 ⑦友と別れて湯布院へ

2017年11月12日 15時30分10秒 | 日記

 Aさんと再会し、大分の思い出にとっぷりと浸かり、文字どうり夢のような時間を

過ごしました。

いくら話しても話は尽きません。

(大分市街)

 「また会おうね」そう言いながらも(会えるだろうか・・・)若くない自分たち

持ち時間を意識せずにはいられませんでした。

 私は、大分の街をしっかりと目に焼き付けて、九大線で由布院に向かいました。

 

 台風が去って空気中のゴミも吹き飛ばされたのか、澄み切った青空が広がり 

紅葉し始めた湯布院は美しい光景がひろがっていました。 


(由布院駅)


(金鱗湖周りの紅葉)


(金鱗湖)


(由布岳)

 街から少し離れた丘陵地帯にある「朝霧が見える宿」とうたっている【 〇由 】

泊まりました。

ロビーは全面ガラス張り、活火山でありながら優しい由布岳の姿が広がっていました。

 


 翌朝、目が覚めると朝霧が流れており、刻々と変わる由布岳と湯布院の街並は、

とても幻想的でした。

宿の方は「こんなに美しく朝霧が見られたのは、久しぶりです」 と話してくれました。

 

(ロビーから由布岳にかかる朝霧を、皆熱心にカメラにおさめていました)

 

 

(朝霧は刻々と変わっていきます。圧巻の朝霧に息をのみ、カメラをむけましたが

なかなかそれが撮れません。残念!


(由布院の駅舎)


 (湯布院の街並)

 

 朝霧を見た翌朝、Aさんより

大分合同新聞には、由布岳は久しぶりの朝霧で美しい・・・と掲載されていたよ。」

とメールがありました。

これは行きに台風で大変な思いをした後の、天からのプレゼントだったかもしれません。

 

 帰りの飛行機は 「ハエのように小さいね」なんて笑いながらも、

天候に恵まれて全く揺れず、これで空を飛んでいるのかと思うほどの快適さでした。

 

 眼下につぎつぎにくり広ろげられる夜景を眺めながら、 長年の願いが叶った満足感と

終わちゃったなとふと祭りのあとの寂しさも感じました。

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【思い出の地 大分の旅】 ⑥恥はかき捨て

2017年11月10日 15時41分56秒 | 日記

 大分で4年間が過ぎた頃、長崎に転勤が決まりました。

大分を離れがたい思いと、引越しのせわしさに追われながら、子供たちの学校に手続きに

行きました。

すると、次男の受持ちのF先生からの申し出に、驚いてしまいました。

 

 先生は、

 「【親と教師の学級通信というタイトルで、私のクラスが、OBS(大分テレビ)で

取り上げられることになったんですよ。授業風景はもう撮影が終わりましたが、 

その録画を見ながら、教育委員会主事と、教師と、父兄とで学級通信の役割など

について対談することになったんです。 これに是非出てください」

 

 びっくり仰天でした。

テレビなんて! 対談だなんて! 聞けば父兄は一人という。 とんでもない。 

お断りしました。

「引越し準備に忙しいんです。カメラの前で対談なんて、とても話なんかできません。

思っていることもうまく言葉にできませんのに・・・」

と強く、お断りしました。 私には、全く考えられない話でした。


 先生は、

「気軽に、気軽に・・・なんでもいいんですよ。 思ったことを話してください。

転勤しちゃうなら、大分の思い出になるじゃあありませんか。本当は私もテレビ出演

なんて困るんですが 恥もかき捨て・・・って 言葉もありますし、長崎に行って

しまうのですから (恥もかき捨てじゃあないですか) 大分の思い出ですよ」

 

 完全にお断りしたはずでした。

 

 なのに、OBSからの連絡があり、どうしようもなく、精神安定剤、確か 「バランス」

とか言う薬だったと思います。先生とそれを飲んで(笑) 心を鎮め、やむなく、 

崖から飛び降りる気持ちで、対談に参加しました。 長い月日が経ってもあの困惑は、 

忘れられません。

 

 先生は国語教育の権威でいらっしゃいました。

確か教師になって十数年も、毎日学級通信を発行し続けられていて、それは大分市内

ばかりでなく広く県下にも知られておりました。 それでOBSに取り上げられたのでした。

 

  先生は毎日、朝早く出勤し学級通信を印刷し(当時は謄写版印刷でした)子供に、

持たせてくださいました。

それには学校行事、連絡事項の他、先生の教育方針や子供たちに対する想い、その日の

子供たちの様子などこと細かく書かれていました。

 

 若い頃は、作家志望であったという先生の文章は、巧みで、 楽しく、子供たちの様子が

手に取るようにわかり、先生のエッセイにはいつも感動したものでした。

 

 大分を離れる寸前、これは放映されましたが、私はとてもまともに見られませんでした。

 当時はまだ一般家庭では、テレビの録画はできない時でした。

電気屋さんのAさんは、それを録画してプレゼントしてくれました。

 今もこのビデオの中には、30代の私と小1の息子が入っているはずですが、見る勇気は

ありません。

 Aさんは、「F先生は、お元気よ」 と話してくれました。

  大分の恥のかき捨て」 の思い出です。

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