ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

被災その後 阪神大震災 私の場合

2012年05月21日 | Weblog
 災害の少ない神戸といわれ
住みよい街とされていた神戸
確かに、台風にせよ神戸はこれまで大きな災害は
直撃されたことが無かった。

 風水学的に言って、「背山地水}といって
北側に山を背にし、南に水を配するその間に道路が走る
発展する都市の理想の原型で
神戸は六甲山脈を背にし、瀬戸内海を眼前にし、
波静かな神戸港を中心にこの街は発展してきた。

 もっとも神戸の開港は、明治維新にさかのぼるのだが
維新はまさに国の夜明け、300年続いた徳川幕府の鎖国が
一気に快方され、欧米列強が砲艦外交でもって開国を迫った
のをきっかけに大政奉還という形でもって幕府から天皇へと
権力の移譲が行なわれたのである。

 維新前夜、神戸の港は勝海舟率いる水軍の修練所、そして
坂本竜馬たちが作った海援隊の基地があったとされ、
さらにさかのぼり平清盛が京都から神戸の福原の都へと半年
遷都を行なった。 
 宋との交易を行なうためのものであり、すでに清盛は
すでに世界にその目を向けていたともいえる。

 今日の港の原型は清盛の時代に築かれたとも言われ
源氏中心でこれまでの日本史は語られてきたのだが、神戸を
深く覗けば新しい歴史が展開してくる。