KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

信頼と友情

2010-10-07 | KOFUKU日記


すっかり秋になりましたね。
うちの近所には郷土の歴史と自然をそのままにのこした村と森があります。
そのまわりにある田んぼ道は彼岸花で一面真っ赤でした。
ぴーちゃんも秋風の中、田んぼ道やお山の中をお散歩。
そして森の中ではこんなキノコちゃんと遭遇(笑)

その存在感に思わず撮ってしまいましたー。
落ち葉もちらほらと落ちていました。


今年はなんだかバタバタしている年明けで、
その後も何かとバタバタすることが多い前半でした。
そして、夏と共に我が家には更に大きな変化がありまして、
毎日をバタバタと過ごしています。
バタバタと言っても「焦る」と言うのではないのです。
変化が大きくて毎日何かしらあるので「めまぐるしい」って感じです。
相方さんが不在のときが多いので逆に自分の時間もあるので、
心の中に余裕があるときは手紙を書いたり、手しごとをしたりしてすごしています。

そんな大きな生活の変化の中、いろいろ考えたこともありました。
生活だけではなくココロにも大きな変化があった様に思います。
一番の変化は「人に対する気持ち」かもしれません。

早い物で丸7年、もうすぐ8年になりますが、
当時ソウルメイトを失った私は一人鹿児島から北海道と渡り歩きました。
それこそ10年に渡って積み重ねた環境を一瞬にして失くした私は
一歩目から歩きなおしをすることになりました。
一番大きく変わったのは、まわりを取り囲む人々です。

それまで私はとても完成された世界に居ました。
友人というのは、本当にココロから信頼できる相手だけでした。
友達との間に馴れ合いの付き合いと言う様なものは存在しませんでした。
そこで見聞きする言葉や行動はそれぞれの心をそのままに表していました。
疑うことなど必要のない本物の愛や友情がそこにはあったのです。
そんな魂の家族とも言える仲間達の傍を離れ、
そして新しい人々との出会いがありました。

新しい場所は私が一番愛する場所ではありませんでした。
けれども私はそれから「私」という一人の為に
精一杯頑張ろうと思っていました。
新しい人たちとの出会いを楽しんで行こうと思ったのです。
そしてたくさんの人と出会いました。
であった人とのご縁を大切にしたいと思いました。
出会うたびに今までと同じ様に人に触れ合っていく努力をしました。
人はあれこれいうかもしれませんが私なりにそんな努力を重ね、重ねた7年だったのです。

そんな中の7年間、今までの自分にはなかったことが次々に起きました。
それは、本当に信頼できる人が少なすぎた事です。
と、いうよりも、本当に相手の事を想っている人って本当に少ないんだなって思いました。
結局は「人事」って言葉がぴったりの人が多いんだな、って。

自分がものすごく信頼したとしても、実は相手はそうではない。
たとえそんな風に言葉にしていても、本当はそうではない。
自分の都合の為ならば簡単に口にしていた思いを翻す。
親しくするのは自分の都合に必要なときだけ。
あなたを心底心配しているのよ、だから私は自分も犠牲にしているの、
そう言いながら、実は会話すらも覚えていない。
目の前にいるときは褒めても陰口ばかり。
話したことは他の人に筒ぬけで伝えてしまう、右と左の顔が違う。
そういう人たちの約束は結局「約束」じゃないのだ。

でも、人はそれを「大人の付き合い」「距離感」ていうんだな。
そして、それを当たり前だし、たとえ心にチクリとしても
「これは仕方ないよね」と自分をなでて安心させて暮らしている。

もしも、7年前の私たちならそんな事をしたり想ったりすれば
自分の心をどんなにか恥ずかしいと思い、死ぬほど悔やんだことだろう。
約束は守ってこそ約束なのだ。
これらはそれまでの人生の中で全くなかったこと。
ある意味でその事実は衝撃的でした。

最初は私が一人おかしいのかな?と想ったくらいです(笑)
それで特にこの4年くらいは、こういう感覚って好きになれない、
そう思いながらもそういう人々の中に入ってみようともしました。
そういう世間でいう「大人の付き合いという距離感」
と言うものを学んでみたいとも想ったからです。
で、いろんな事がありました(笑)
ホントそれまで経験したことのない様な「人間関係のトラブル」続き(^^;)

でも今年になって、いろいろあって自分を振り返りました。
そして、先日、親友のお父さんから久しぶりにメールを貰ったのです。
そこには親友が実家に帰ってきたことが書いてありました。
お父さんのメールには私の状況は全然書いてありませんでしたが、
親友には私の状況を伝えていましたので、私の事が話題になって
それでお父さんが心配してメールをくれたのだと想ったのです。
それで、「お聞きになったかも知れませんが…」と近況報告。
すると後から
「びっくりしました。娘に確認したら、話さないでと言われたから話さなかったと言っていた。」
とお返事を貰ったのです。
重ねるようにもう一人の親友からも信頼と愛に満ちたメールを貰いました。
いつも傍にいてくれるカンナちゃんは言わずもがな、
大きな愛と信頼を寄せてくれ、また私も心底から同じ気持ちを捧げています。

ああ、やっぱりだ。そうでなくちゃいけない。
約束を守るとはこういうことなのだ。
だから信頼が積み重なっていくのだ。
そう思いました。

私は今の相方さんを心から尊敬しています。
これも人の意見はまちまちでしょうが(笑)
神様のような、天使のような人だと思っています。
私には天からの言葉を伝えてくれる素晴らしい人です。
ただアタシはおつむが今ひとつなので、それらの叡智をぱっと理解が出来ませぬ。

何度か書いたことがありますが、出会った頃に彼は私にこう言いました。

「人を信じるのは善いことだ。
けれども、人を疑わないのは人間として罪。」

はいぃ?何?なにそれ?なにいっちゃってんの?
なんで人を信じることがいけないの?
そう思っている私に彼は更にこう言った。

「人を信じるのは楽だよね。自分が気持ちが善い。
だって疑わなくて善いんだもん。信じてれば嫌な思いをしなくて済む。
でも、それは本当に人を信じているのではない。
信じることから逃げているだけ。
人は心底から信じる為に疑わなくてはいけない。
心を使ってあれこれ疑ってそして、その疑いを一つずつとり除いていく。
そうすれば、疑わなければならないものは何もない。
そこに残るのは愛と信頼だけ。」

この人は天使だ、そう思った瞬間でした。
その後も名言は彼の口から降りてきます。

ある先生が子どもを怒る話をしていたときの事、彼は言った。

「でも本当に子どもを怒っていない。」

一瞬、えっ?と皆が彼を見た。彼は語る。

「大人は皆、自分が怒りたいから怒る人が多い。
自分が起きている事に腹が立つから怒ってるんだよ。
本当に子どもを想って怒っているのとはぜんぜん違う。
子どもは繊細だから、自分の怒りで怒っているのか、
自分を想って怒っているのかすぐわかるよ。
だからそういう大人の嘘に心が無条件に反発するんだよ。」

そばに居たお母さんが息を呑んだ。

そんな天から降ってくる言葉が最近良くわかるようになりました。
私は無条件に信じることを美しいと想おうとしたのだな。
何かあっても自分で相手を美しく飾って、それを見ようとしてたのだ。
それは結局自分も相手も偽ることだった。
それで「こういう人間の付き合い方ってやっぱり自分にはあってないよ」と思ったわけです。
そういう人間関係に関する在り方をすっぱりと昔の感覚に戻しました。
とても楽になりました。

もちろん、そういう人たちと縁を切るとかって話じゃありません。
本当の意味で距離感を取る努力をするということです。
相手の押してきた力で返す。そういうことかな。

本当の友達は近くに居なくても相手を近くに感じるものです。
私は本当の友達を忘れた事がありません。
忘れているようで心がちゃあんと覚えているのです。
今でも7年前に仲良くしていた人々とは付き合いがかわりません。
そんな風に変わらず成長するものです。
そして本当の友達がいれば、たくさんの友は必要ないなぁと想う今日この頃です。

7年前、私はきっと仲間とあんなに信頼が持てたのは
志しを同じくしていたからだと想っていたんだとおもいます。
だから、志だけじゃなく大きなカテゴリーの中で友情を作ろうとしたのでしょう。
でも、そうじゃなかった。
あんなふうに信頼がもてたのは本当の愛情があったからなのでした。
この7年で3人の新しい親友が出来ましたが、彼らとの繋がりがまさにそうだと思うのです。

すべては愛だなっ(笑)