KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

手しごと日和

2010-10-12 | KOFUKU日記
今朝は早くから冬のブランケット類を洗って干しました。
その後は友達に贈るコースターや帽子など編み物をあみあみ。
  

時々、ぴーちゃんを連れてお買い物へ。
近所に3軒あるホームセンターと大型電気やさんは入店OK!
ついでに食材もペット商品も買えますです。便利~。

ぴーちゃんはお子ちゃまズと一緒でカートに乗るのが大好き(笑)
そんでもって、動いてないと嫌なのですな(^^;)
世のお子ちゃまと同じですー。

  

さて、今日はこれからジャム作り。
シロップ漬けの梅をジャムにします。
少しスッパ味が強いので、相方さんのご実家から頂戴した
豪華な桃や梨やりんごの缶詰の果物を細かく刻んで
シロップも少し足して、昨日のうちにさっと下煮して味を含ませてあります。
これから煮込んでシロップを減らし、煮詰めてまいります。
どんな味になるかなぁ~。

煮た缶詰と言えば海外名作児童書の「飛ぶ教室」の中で
果物の缶詰を煮て食べるシーンがあるんです。
いつかやってみたいと思っていたので、プチ願い事叶いました(^^)

秋はいいです。時間がゆっくり流れます。
手をうごかすには素敵な季節です。

「最高の教育は自分の頭で考えること」

2010-10-11 | KOFUKU日記


先日、旅して学んだ北海道でたまたまそこに居たシュタイナー系の人々の多くが
自分の心と頭を使わない系で、更にすべて自分に都合よく解釈するという人が多く
自分はそういうのがとってもとっても苦手で嫌になってしまいましたとさ、
ってお話を書きました。

いえ、ほんと一分の人、それも私が出会った人々がって言うだけで
シュタイナーやってる方が全員そうとかって話ではありませんが、
学校の校長やら、団体の代表やら、シュタイナー芸術の指導者やらって
そう人たちに限って、人間的に???????な人ばっかりで
偏見持つのに時間はかかりませんでした(笑)

だって、シュタイナー的繊細さかなんか知らんけど
そういうのを理由に挨拶ひとつまともに出来ないんだよ?どうよそれ?
最近、シュタイナー(人智学)をベースとする
○○ゾフィーなんつのがとっつかまりましたが
出会った人々を思うにつけ、あんまり変わんないんじゃないの?と思います。

ってか、どうしてシュタイナーの第一人者って人々は
みんなほとんど不倫とか、略奪愛とかやってる人ばかりなわけ?
真実の愛って言うのは、その愛を成就さえる為なら
周りにいる人を平気で傷つけてもいいって事なのかい?
愛が泣きます。ほんと愛を勝手な行動の理由にしないで欲しい。
事実、そんな、人を傷つけた上の愛なんて実らないってーーーー。
そこに愛はあるのかい?ってあんちゃんはいいますよっ!
自分が行ったとこだけかと思ったら、現場ではどこもそんなに変わんない様子。
あーあ、、、、がっかりしちゃうよねぇ。。。。
(すいません、教え子がそんな親に傷つけられたの見てきてるので完全に愚痴です)

なんで子どもに教えたりとか正義を訴える人がまして親が
そういう事を平気で出来るのか、私はいまだ分かりません。
先日の記事の続きじゃないけれど、大人の自分勝手な夢に引きずられ
遠いシュタイナー学校につれてこられ、果てに親は不倫して友達の親と居なくなる。
それでも当の本人達は変な自由論を唱え続け…
そんな大人の近くにいる子どもたちはあまりに不幸です(--)
これ以上、変な自由に走らない、子どもを愛するまともな大人が
シュタイナー教育の現場近くに居てくれることを心から願います。


話は変わりますが、我が家は基本的にテレビを見ません。
だから未だに地デジ対策もなんもしてません。焦りが全く無いので(笑)
我が家でテレビがついているときは野球の放送(阪神)がある時か
オリンピックとか、サッカーの試合などがある時、
台風情報や地震情報の確認、防犯対策でつけっぱなし、とかの時です。
だから情報はもっぱらインターネットで収集します。
だから流行の歌もドラマもCMもお笑いの人も全く知らないです。
現代の浦島太郎ですな。
もう基本的にテレビを見ない生活は8年続いてます。
おかげで他のことに使う時間があるのでありがたいです。

私は元々テレビをだらだ見るのが好きじゃありませんでした。
って言うか、これもアンチシュタイナー人種と理由が同じでして、
テレビを盲信したり、テレビに時間を奪われる人が苦手なんです。
テレビの番組自体は素晴らしい物も数多くあります。
そういうのは録画しでもやDVDなど手にいれてまでも見ます。
多くの優秀な作品には同じ業界に居る物として心から賛辞を捧げたいと思ってます。
なのでこれもテレビが嫌いなわけじゃないんですよ。


昔、親友のうちに行くと、親友のお母さんが玄関に出てきて、
友達の名前を大声で呼ぶと「おばちゃん、テレビ見てるから」
とすぐに奥に引っ込んで、それから出てくることがありませんでした。
親友はそれがちょっと恥ずかしそうで悲しそうでした。
私も、そういうおばちゃんの態度がなんだかとても嫌でした。
テレビの方が子どもより大事なんだなって思えたからです。
もっとやることあるだろ~とか思う、まるで旦那みたいな子どもでした。
でも、結構、そういうお母さんが多いんだなぁってその頃あちこちに行って思いました。

今も昼ドラや韓流ドラマにはまってるお母さん、きっと多いですよね。
もちろんいまでは忙しい主婦の生活の中での安らぎだったんだろうなって思えます。
でも今でもちょっぴり、それにしては時間とられすぎとか思っちゃうけど。

我が家は母がテレビを見ているから、何かをしないってことは全然無かったのです。
友達が来ると、何をしていても手を止めて迎えてくれ、
心づくしのおやつを作ってくれて、時には一緒に手仕事をしたり
あそんだり、話をして聞かせてくれたりしました。
父も同じ様で友達には良くしてくれました。
友人の多くは母や父が優しくて、話も面白かったので、
父母が目当てでいつも家に来ては入り浸っていました。
私がいない時でさえ、遊びに来ては家に居たくらいでした。
外人の友人達も同じで「オカアサーン」と言いながらまとわりついていました。
悪友(笑)のアメリカ人男性は「ユーアーマイサンシャイン!」と言いながら抱きついてました。
我が家で人よりもテレビが優先されることは無かったのです。

逆にテレビと言う物は団欒のテーブルのまんなかに置かれた花のような存在でした。
楽しみにしている番組の前に席について、主題歌を皆で歌ったりとか、
いろいろと番組の後に家族でディベートしたりとか、
家ではテレビってそういうものでした。
意味も無くかかってるものじゃなかったなぁ。


そのせいか、今もテレビに翻弄されるのは嫌いです。
テレビやニュースを見る度に自分の意見が変わる人間も苦手です。
家ではニュースでもアニメの話題でもなんでも
時には親子喧嘩になるくらい、どう思うか?を話したりしてました。
自分の心と頭で判断することが大事なんだなって、
この頃から自分の中にしっかりとありましたが、
それはやっぱり、自分で考える必要が常にある家だったからかもしれません。

でも気がつけば多くの人は自分で調べることも実験する事も無く、
色々な情報をただ信じる。
そんで、まるで自分の考えのごとく、その情報をしゃべる。
せめて辞書くらい引いてみよう、ネットくらいサーフィンしてみて欲しい。
あなたの心はそれをどう思っているの?
みんな、心も頭使おうね。そう思っちゃうのです。

そういうことを言いますと、以外にもそれは
あたかも単純に「疑う」行為のように思われるらしく
特にナチュラル系と頭を使いたくない系の方には反発を受けます。

あーあ、そんな、考えるってダメなのかい?と思っていた矢先、
家に帰りますと防犯用にかけて置いたテレビから面白そうな言葉が飛び交っていました。
流れていたのはNHKの「ハーバード白熱教室」です。
「戦争責任を議論する」のがテーマの番組でした。

以下はNHKのHPに寄る番組概要です。
「創立1636年、アメリカ建国よりも古いハーバード大学の歴史上、
履修学生の数が最高記録を更新した授業がある。
政治哲学のマイケル・サンデル教授の授業「Justice(正義)」である。
大学の劇場でもある大教室は、毎回1000人を超える学生がぎっしり埋まる。
あまりの人気ぶりにハーバード大学では、
授業非公開という原則を覆し、この授業の公開に踏み切った。
ハーバード大学の授業が一般の目に触れるのは、史上初めてのことである。

サンデル教授は、私たちが日々の生活の中で直面する難問において、
「君ならどうするか?何が正しい行いなのか?その理由は?」と、
学生に投げかけ、活発な議論を引き出し、その判断の倫理的正当性を問うていく。
マイケル・ジョーダンやビル・ゲイツはその仕事で、
すでに社会に貢献しているのになぜ税金を納めなければならないのか。
また代理出産、同性愛結婚、人権など最近のアメリカ社会を揺るがす倫理問題も題材となる。
絶対的な答えがないこのような問題に、世界から選りすぐられた、
さまざまな人種、社会的背景を持った学生が大教室で意見を戦わせる授業は、
ソクラテス方式(講義ではなく、教員と学生との闊達な対話で進められる授業形式)
の教育の最高の実例と言われている。

世界の若き頭脳たちの堂々たるディベート能力、知的探求心、考える力など、
世界最高レベルの知的エリートの能力は、私たちに強烈な知的刺激を与える。
さらには、宗教、人種、貧富など複雑に入り組んだアメリカ社会の構図を読み解く糸口にもなる。
また副音声による英語放送によって、今のアメリカの生きた英語を学ぶ絶好の教材ともなるはずである。」


さて、この「正義」と名のついた講義をとっているのはマイケル・サンデル教授です。
このところこの方のこの番組が話題なっていて著書なども書店で見かけます。
ネットでこの番組の内容とこの方の講義をよく読んでいました。
この方の持っている基本論が自分に近いこともあり、共感を持っています。
そんな気になる番組だったので、ついぞそのままかけっぱなしで聴いておりました。

さて、あたしは音に寄って刺激される人です。
物事や本質を捉えようとする時、見えている視覚が邪魔になるのです。
見えていることは偽りのことが多いから、騙されたくないんですかね(笑)
とにかくまず音からその本質を探ろうとします。なので時にまず画面は見ません。
その頭を働かした上で、視覚を取り入れるとより一層自分の目で見える気がするからです。
それから見る事をすると、そこに隠れている些細な物が見えてくる気がするのです。
なのでそういうときはものすごい集中して聞きます。
昨日もそうでした。とても面白いディベートでした。

何よりもサンデル教授が最後に言われた言葉が自分に喜びをもたらせてくれました。
彼が言った言葉は今日のタイトルです。

「最高の教育とは自分の頭で考えること」

なんだかんだと考えを述べると相手の考えと違うので気に入られず
果てには考えた内容でなく、私の考えるスタンスを否定されたりしてたので、
この言葉、ものすごーく嬉しかったです。
この言葉が真実を伴って耳に入ってきました。

感動したのは、多くの聴講生方が涙を流したりして授業に感動していたのですが
誰よりもこのサンデル教授自身が常に感動をしながら授業していたことです。

私は人は究極、自分の中で感動できる物しか人に感動を与えられない、
と思っていますが、それを実証するような素晴らしい授業でした。
哲学って、やっぱ、自分で考えるって美しいことだなーって思いました。

だって自分の目を通してしか世界は見つめられない。
自分の心を通してしか相手を感じることは出来ないからです。

けれども、ただ見ているだけ、聞いているだけではいけない。
一歩間違えば、自分の意思を持たず、ただ感じただけになってしまう。
それは、自分しか見ていないのと同じ結果を生む。

だからこそ、心と一緒に頭をつかわなくちゃいけない。
頭を使うって、心を同時に動かさないと出来ない。
私の魂にあるものが自分の指針となるわけだから。
心を使い、頭を使って、自分は何をどう考え、相手をどう受け止めるかを探る。
相手を感じる為に自分を深く探る。心と頭を使うということはそういうことだと思う。
そして、その探求こそが他者である世界と通じる窓口であって、
真実、相手を知ること、そしてそれそのものが自分を知る事になると思うのです。

そんな自分の中にある思いに、「大丈夫、さらに考えていきなさい」
と肩をたたかれた様な気がしました。

サンデル教授に心から感謝です。

素敵なお店のご紹介~箱根芦ノ湖畔「停車場」さん

2010-10-11 | KOFUKU日記

≪「停車場」のテラス席で楽しむぴーちゃん^^≫
“停車場情報”
箱根芦ノ湖畔 軽食・喫茶・居酒屋「停車場」
営業時間 ランチ11-14時
     居酒屋(食事OK)17-23時
足柄下郡箱根町箱根571-31
電話 0460-83-7220


先々週の事になりますが、用事があって伊豆のほうまで遠出をしました。
その時、帰り道に大好きな箱根をこえて海側の道を通って帰ることにしたのですが
帰りの道々で探したのだけれどもペット連れで入れる飲食店が無く
もしかしたら箱根方面であるかもと思って行ったのですが、
時間も8時と遅かったので、お店はどこも閉まっていました。
芦ノ湖の商店街を通り過ぎようとして居た時です。
このお店に出会いました(^^)

箱根の芦ノ湖沿いの一号線上を三島方面に向かうとセブンイレブンがございます。
その2軒隣にテラス付のログハウス風の建物が「停車場」さん(^^)
軽食と喫茶、そして夜は居酒屋さんなんです。
もちろん駐車場もありますよ~。

実はここは「ペット可」なんて書いてなかったんですが、
テラス席があったので犬連れでテラスで食事できないか聞いてみたのです。
ちょうどご自身たちの晩御飯中だったご夫妻様が
「もちろんいいですよ~。ここもペット可にするつもりですから~」
と本当に快くお迎えしてくださいました。
ほんとお食事中に申し訳ないくらいでした。

しかしペット連れOKのところに入るつもりだったので昼食も摂ってなくて
おなかペコペコで疲れ果ててた私たちはとってもありがたかったです。
テラスは夜は寒いでしょうと中からクッションを持ってきてくださったり、
楽しくお話させてくださったりして、とっても嬉しかったです。
伺うと7月の後半にオープンしたばかりだそうです。
今後はテラス席はペットOK!だそうですよ!
オーナーご夫妻様のお人柄がとても親しみやすくて、
ぴーちゃんにも優しくしてくれて、犬連れにはありがたいお店でした。

そして皆さん、何よりも食事がメチャメチャ美味しいのです!
これはデスね、おなかが空いてたから、とかってことではありません。
いや~、ほんとにいお味だったんですよ。男性は特に好きなお味かも~。

そんでもって、ものすごーーーーーーーくリーズナブル!
二人で食べて、コーヒーも頂いて1500円でした!

私たちはボンディカレーと豚焼肉どんぶりをいただいたのですが
ボンディカレーは自慢の一品と言う事で、スパイスの香りも高く
煮込みもしっかりで高級カレーやさんに絶対負けないお味!

豚焼き肉どんぶりはお肉も厚くって、柔らかく
細かい千切りキャベツとの相性がこれまた美味。
心を込めて入れてくださったコーヒーも薫り高くておいしかったぁ(^^)

この場をお借りしまして、店主のこまつざきさんご夫妻様、ありがとうございました~!
また絶対、絶対、行きますね!
商売繁盛、祈ってマース!!

箱根方面に行かれたらぜひぜひお立ち寄りになってみてください。
観光地は飲食が高いでしょ?一皿1800円、2500円としますよね。
そんな中、こんなに美味しくてお値段もずーっとずーっとお得、
更に素敵な立地とオーナーご夫妻のお人柄に心地よい時間が味わえます。
箱根芦ノ湖畔「停車場」
ぜひとも旅の足をとめてゆっくりと過ごして欲しい場所です。

私たちももう一回行こうと思って居たのですが、
残念ながら、その前に相方さんが不在になったので
次のお休みの来月のはじめくらいにまた伺う予定です。
次は綺麗な紅葉の中でしょう(^^)

お店でペットちゃんにはお水もご用意くださいます。
人間用にクッションをお出しくださいますが、
ペットちゃんにお使いになられるときは
ご持参のタオルなどを敷いたりするなどの
ご配慮をお忘れにならないでくださいね。
そうすればペットちゃんも家族と一緒にイスにつけますよ。
ほら、写真のぴーちゃんも楽しそうでしょ?
みんなが楽しく過ごすマナー、宜しくです(^^)


寒くなってきたので…

2010-10-08 | KOFUKU日記
小さなひまを繋いで、家族に今年初めてのニットキャップを編みました。

こちらはメンズ大人用




こちらは我が家のおこさま用(チワワ専用耳だし穴付)(^^)
注:似てますがムーミンに出てくるメソメソではありません(笑)




もちろんおそろいです。大きさは違っても柄は一緒(^^)
これは大好きなハニカム模様。
表と裏を組み合わせて作るブロック模様。
大きな鹿の子編みみたいで、蜂の巣みたいなかわいい模様です。
さらに、裏表でかぶれるリバーシブル仕様。
一度で二度美味しいの。

今年は家族にニットをたくさん編みたいです。


自由は世界の中に

2010-10-07 | KOFUKU日記
Centraal Station Antwerpen gaat uit zijn dak!


動画、いかがでした?素敵だったでしょ?
ミュージカル好きとしては幸せな気持ちになってくれたら嬉しいなぁ~(^^)

世界には面白い活動している人たちがいるんです。
これはどこでもいきなりミュージカルをやってしまおうと言う試みです。
先日、あるミュージカル俳優さんのミュージカルな結婚イベントをご紹介しましたが
本来ミュージカルってこういうものだと思います。
言葉も歌も踊りも自分の奥底から湧き上がってくるもの。
やっぱ“人生、それこそがミュージカル!”だなぁ!
残念ながら日本人ってこういうのあんまり肯定的じゃないですよねー。
楽しいのになぁ~って実は思ってても盛り上がれない(^^;)

8、9年位前のことですが、アメリカンの友人から、
いきなりアメリカから自分の親を呼ばれてまでのプロポーズされましてねー、
(なんと、年の差13、4歳くらいあったんじゃないでしょうかね・笑)
その時にディズニーランドに行ったんですね、ファミリーと。
で、パレードやらショーやら、アトラクションに乗ったわけです。
そんで、彼らの感想は「日本人は何を見ても面白くないの?」と(笑)
「なんでぇ?」「だって誰も踊らないし、笑ってない」
「いや、喜んでるよ、十分。これでも激しい表現の集団です。」
「( ´゜д゜`)えーーー!」
本気でびっくりしてましたね。日本人のシャイさには(笑)
ええ、あたしはアメリカ人といるとさらにアメリカ人になるので
人一倍元気ですからねぇ(笑)めっちゃ盛り上がりますよ(^^)

いまや、こんなマダミーな雰囲気をかもし出せるようになりましたが(嘘)
以前は私服着てるのにディズニーランドの人だと思われてたんですよ!(マジで!)
確かにね、普通に衣装着てるよね?って言われてたもんね、あたし。
ああ、いまや、想像できないっ!
俳優仲間とガンガン、アトラクションジャックとかしてたし(笑)
ツアーキャストのお兄ちゃんやお姉ちゃんのトークを
芝居しながら横から掻っ攫って更に盛り上げると言うね、
非常に高度な、いや迷惑な技術を駆使して楽しんでました(笑)
でも誰も盛り上がらないから、ショーなんか仲間とがんがん歌って踊るので
必ずキャラクターやキャストに囲まれて楽しかったですね~。
やっぱり、ショーは楽しんでナンボですよ、みなさん。
ああ、ミュージカルな日々、早くそうなんないかなー。
絶希望!


脱線しました。
はい、今日のテーマは「自由」です。「リベルテ」でござりますよ。
自由っていろんな定義があると思います。
こんだけ人が居るんだから、すべてのことにいろいろ定義があると思いますけどね。
その人がこれだよ、と思えばそれが真実なんで、どれが善いとはいえませんが、
今日は私の中の「自由論」を語っちゃってみようかな、と(笑)

私はどうやら多くの人に「自由な人」と思われているらしいです。
でも、それは「自由」じゃなくて「自分勝手」って事なのねぇ
とちゃんと皆さんの意図は解釈してますが。ははははは(^^;)

でも自分でもかなり自由な人間だと想います。
この場合、「自分勝手」じゃなくて、ちゃんと「自由」ですよ(笑)
なんていうかね、うん、結構どんなときでも最終的に羽ばたけるほうです。
そこが自分の人間としての善きところとも思っちゃってたりします。

そんなアメリカンな自称「自由人」の私はかなり保守的です。
なぜなら自由は「ルールがあるもの」だと思っているから。
ルールに守られない自由はないと言っても善いくらいにそう思ってます。

えー、世間一般では自由人というカテゴリーの他に
私は「シュタイナーの人」ってイメージがある様です。
はいっ!全然違いますね(笑)

シュタイナー世界に居たときの私を知る人は皆、
私がシュタイナー関係をやってると聞いて「嘘!」と思ったくらい、
仲間内では「アンチシュタイナーな人」で有名でした(笑)

でも、言っておきたい。
私は「アンチシュタイナー(人智学嫌い)」ではなく
「アンチシュタイナー人(シュタ狂の人)」なだけです。
そこ大きいんで間違えないように。

人智学の中には大きな叡智や感動があり、
特に教育については現場に居たので大きな関心も喜びも持っています。
ですがぁ~~~~、
シュタイナーを学んでる人間、もしくは教えている人間はあまり好きくないです。
つか、かなり苦手です。

シュタイナーといえば「自由」を育てる教育と言われます。
でもねぇ、人智学は神秘学と言う霊学(スピリチュアル)な学問なせいか、
なんというか、シュタイナーの言った事を丸々信じてるんですよね。
シュタイナーさん自身も自分で考えや~っていってるんですけどね。
そこにいる人は(あたしの見た人はですが)全然自由じゃなかったです。
だって自分の頭と心、使わない人間ばっかなんだもん(--;)

シュタイナー教育の優しい雰囲気にだけあこがれて
自分も優しくされるのを待っている、そんな人ばっかりでした。
そうかと思えば、自分の意見だけを通そうとする
自称「本当の自由を求めてる」派の方々ばっかりで。。。。
正直あの世界は疲れました。
だから、行って3日で見切りをつけました(笑)

唯一、救いだったのは子ども達。
彼らは本当の自由を知っていました。

偉そうなこと言っちゃってごめんなさいなんですが
本当にねー、自分にはありえない自分の無さだったんです。

相手を見る、と言うけれど、だあれも相手の事なんか見ていない。
見ているのは自分の世界にいる相手です。
目の前の世界はちゃんと見ていない。
優しさを期待してばかりだから、自分の思いが通らないと
お互い主張ばっかりし合ってトラブルばっかり起こる。

果てには親同士や教師との不倫騒動ばっかり。
相手がソウルメイトだったとか、運命の相手だとか~。
そんな事をほざいて、手に手をとって子どもを置き去りに消えてゆく。
お前らの都合で子どもの気持ちや立場はどうなんねん!
と張り倒したくなるような気持ちに何度なったことか。
それでも、本当の自由を求めてるからだってさ。。。。あほか。

あそこで私が学んだのは「自由」はやっぱり世界の中にあるってこと。
自分の中にある世界しか見えてないときは、見ているのは相手じゃなくて自分。
自分の中の世界の自由の中には自由なんて無い。
だって自分以外に居ないんだから自由なんて必要ない。

自分の目が初めて世界を捉えたとき、本当の自由は訪れる。
そこにはちゃんと相手がいて、そして世界が動き出すから。
相手の目の中にいる自分の姿が見えて、初めてほんとうの自分の姿が見える。

私はあなた、あなたは私。
私とあなたは私たち。
私たちはひとつ。

シュタイナー学校で最初に習うことの中に真実はある。
世界の中にいることを知らずに自分はきっと見えない。
世界があるから私は在る。
あなたがいるから、わたしがいる。
だから自由になれる。はばたける。
それが自由。私の自由観。

自由は世界の中に輝いている。