Centraal Station Antwerpen gaat uit zijn dak!
動画、いかがでした?素敵だったでしょ?
ミュージカル好きとしては幸せな気持ちになってくれたら嬉しいなぁ~(^^)
世界には面白い活動している人たちがいるんです。
これはどこでもいきなりミュージカルをやってしまおうと言う試みです。
先日、あるミュージカル俳優さんのミュージカルな結婚イベントをご紹介しましたが
本来ミュージカルってこういうものだと思います。
言葉も歌も踊りも自分の奥底から湧き上がってくるもの。
やっぱ“人生、それこそがミュージカル!”だなぁ!
残念ながら日本人ってこういうのあんまり肯定的じゃないですよねー。
楽しいのになぁ~って実は思ってても盛り上がれない(^^;)
8、9年位前のことですが、アメリカンの友人から、
いきなりアメリカから自分の親を呼ばれてまでのプロポーズされましてねー、
(なんと、年の差13、4歳くらいあったんじゃないでしょうかね・笑)
その時にディズニーランドに行ったんですね、ファミリーと。
で、パレードやらショーやら、アトラクションに乗ったわけです。
そんで、彼らの感想は「日本人は何を見ても面白くないの?」と(笑)
「なんでぇ?」「だって誰も踊らないし、笑ってない」
「いや、喜んでるよ、十分。これでも激しい表現の集団です。」
「( ´゜д゜`)えーーー!」
本気でびっくりしてましたね。日本人のシャイさには(笑)
ええ、あたしはアメリカ人といるとさらにアメリカ人になるので
人一倍元気ですからねぇ(笑)めっちゃ盛り上がりますよ(^^)
いまや、こんなマダミーな雰囲気をかもし出せるようになりましたが(嘘)
以前は私服着てるのにディズニーランドの人だと思われてたんですよ!(マジで!)
確かにね、普通に衣装着てるよね?って言われてたもんね、あたし。
ああ、いまや、想像できないっ!
俳優仲間とガンガン、アトラクションジャックとかしてたし(笑)
ツアーキャストのお兄ちゃんやお姉ちゃんのトークを
芝居しながら横から掻っ攫って更に盛り上げると言うね、
非常に高度な、いや迷惑な技術を駆使して楽しんでました(笑)
でも誰も盛り上がらないから、ショーなんか仲間とがんがん歌って踊るので
必ずキャラクターやキャストに囲まれて楽しかったですね~。
やっぱり、ショーは楽しんでナンボですよ、みなさん。
ああ、ミュージカルな日々、早くそうなんないかなー。
絶希望!
脱線しました。
はい、今日のテーマは「自由」です。「リベルテ」でござりますよ。
自由っていろんな定義があると思います。
こんだけ人が居るんだから、すべてのことにいろいろ定義があると思いますけどね。
その人がこれだよ、と思えばそれが真実なんで、どれが善いとはいえませんが、
今日は私の中の「自由論」を語っちゃってみようかな、と(笑)
私はどうやら多くの人に「自由な人」と思われているらしいです。
でも、それは「自由」じゃなくて「自分勝手」って事なのねぇ
とちゃんと皆さんの意図は解釈してますが。ははははは(^^;)
でも自分でもかなり自由な人間だと想います。
この場合、「自分勝手」じゃなくて、ちゃんと「自由」ですよ(笑)
なんていうかね、うん、結構どんなときでも最終的に羽ばたけるほうです。
そこが自分の人間としての善きところとも思っちゃってたりします。
そんなアメリカンな自称「自由人」の私はかなり保守的です。
なぜなら自由は「ルールがあるもの」だと思っているから。
ルールに守られない自由はないと言っても善いくらいにそう思ってます。
えー、世間一般では自由人というカテゴリーの他に
私は「シュタイナーの人」ってイメージがある様です。
はいっ!全然違いますね(笑)
シュタイナー世界に居たときの私を知る人は皆、
私がシュタイナー関係をやってると聞いて「嘘!」と思ったくらい、
仲間内では「アンチシュタイナーな人」で有名でした(笑)
でも、言っておきたい。
私は「アンチシュタイナー(人智学嫌い)」ではなく
「アンチシュタイナー人(シュタ狂の人)」なだけです。
そこ大きいんで間違えないように。
人智学の中には大きな叡智や感動があり、
特に教育については現場に居たので大きな関心も喜びも持っています。
ですがぁ~~~~、
シュタイナーを学んでる人間、もしくは教えている人間はあまり好きくないです。
つか、かなり苦手です。
シュタイナーといえば「自由」を育てる教育と言われます。
でもねぇ、人智学は神秘学と言う霊学(スピリチュアル)な学問なせいか、
なんというか、シュタイナーの言った事を丸々信じてるんですよね。
シュタイナーさん自身も自分で考えや~っていってるんですけどね。
そこにいる人は(あたしの見た人はですが)全然自由じゃなかったです。
だって自分の頭と心、使わない人間ばっかなんだもん(--;)
シュタイナー教育の優しい雰囲気にだけあこがれて
自分も優しくされるのを待っている、そんな人ばっかりでした。
そうかと思えば、自分の意見だけを通そうとする
自称「本当の自由を求めてる」派の方々ばっかりで。。。。
正直あの世界は疲れました。
だから、行って3日で見切りをつけました(笑)
唯一、救いだったのは子ども達。
彼らは本当の自由を知っていました。
偉そうなこと言っちゃってごめんなさいなんですが
本当にねー、自分にはありえない自分の無さだったんです。
相手を見る、と言うけれど、だあれも相手の事なんか見ていない。
見ているのは自分の世界にいる相手です。
目の前の世界はちゃんと見ていない。
優しさを期待してばかりだから、自分の思いが通らないと
お互い主張ばっかりし合ってトラブルばっかり起こる。
果てには親同士や教師との不倫騒動ばっかり。
相手がソウルメイトだったとか、運命の相手だとか~。
そんな事をほざいて、手に手をとって子どもを置き去りに消えてゆく。
お前らの都合で子どもの気持ちや立場はどうなんねん!
と張り倒したくなるような気持ちに何度なったことか。
それでも、本当の自由を求めてるからだってさ。。。。あほか。
あそこで私が学んだのは「自由」はやっぱり世界の中にあるってこと。
自分の中にある世界しか見えてないときは、見ているのは相手じゃなくて自分。
自分の中の世界の自由の中には自由なんて無い。
だって自分以外に居ないんだから自由なんて必要ない。
自分の目が初めて世界を捉えたとき、本当の自由は訪れる。
そこにはちゃんと相手がいて、そして世界が動き出すから。
相手の目の中にいる自分の姿が見えて、初めてほんとうの自分の姿が見える。
私はあなた、あなたは私。
私とあなたは私たち。
私たちはひとつ。
シュタイナー学校で最初に習うことの中に真実はある。
世界の中にいることを知らずに自分はきっと見えない。
世界があるから私は在る。
あなたがいるから、わたしがいる。
だから自由になれる。はばたける。
それが自由。私の自由観。
自由は世界の中に輝いている。
動画、いかがでした?素敵だったでしょ?
ミュージカル好きとしては幸せな気持ちになってくれたら嬉しいなぁ~(^^)
世界には面白い活動している人たちがいるんです。
これはどこでもいきなりミュージカルをやってしまおうと言う試みです。
先日、あるミュージカル俳優さんのミュージカルな結婚イベントをご紹介しましたが
本来ミュージカルってこういうものだと思います。
言葉も歌も踊りも自分の奥底から湧き上がってくるもの。
やっぱ“人生、それこそがミュージカル!”だなぁ!
残念ながら日本人ってこういうのあんまり肯定的じゃないですよねー。
楽しいのになぁ~って実は思ってても盛り上がれない(^^;)
8、9年位前のことですが、アメリカンの友人から、
いきなりアメリカから自分の親を呼ばれてまでのプロポーズされましてねー、
(なんと、年の差13、4歳くらいあったんじゃないでしょうかね・笑)
その時にディズニーランドに行ったんですね、ファミリーと。
で、パレードやらショーやら、アトラクションに乗ったわけです。
そんで、彼らの感想は「日本人は何を見ても面白くないの?」と(笑)
「なんでぇ?」「だって誰も踊らないし、笑ってない」
「いや、喜んでるよ、十分。これでも激しい表現の集団です。」
「( ´゜д゜`)えーーー!」
本気でびっくりしてましたね。日本人のシャイさには(笑)
ええ、あたしはアメリカ人といるとさらにアメリカ人になるので
人一倍元気ですからねぇ(笑)めっちゃ盛り上がりますよ(^^)
いまや、こんなマダミーな雰囲気をかもし出せるようになりましたが(嘘)
以前は私服着てるのにディズニーランドの人だと思われてたんですよ!(マジで!)
確かにね、普通に衣装着てるよね?って言われてたもんね、あたし。
ああ、いまや、想像できないっ!
俳優仲間とガンガン、アトラクションジャックとかしてたし(笑)
ツアーキャストのお兄ちゃんやお姉ちゃんのトークを
芝居しながら横から掻っ攫って更に盛り上げると言うね、
非常に高度な、いや迷惑な技術を駆使して楽しんでました(笑)
でも誰も盛り上がらないから、ショーなんか仲間とがんがん歌って踊るので
必ずキャラクターやキャストに囲まれて楽しかったですね~。
やっぱり、ショーは楽しんでナンボですよ、みなさん。
ああ、ミュージカルな日々、早くそうなんないかなー。
絶希望!
脱線しました。
はい、今日のテーマは「自由」です。「リベルテ」でござりますよ。
自由っていろんな定義があると思います。
こんだけ人が居るんだから、すべてのことにいろいろ定義があると思いますけどね。
その人がこれだよ、と思えばそれが真実なんで、どれが善いとはいえませんが、
今日は私の中の「自由論」を語っちゃってみようかな、と(笑)
私はどうやら多くの人に「自由な人」と思われているらしいです。
でも、それは「自由」じゃなくて「自分勝手」って事なのねぇ
とちゃんと皆さんの意図は解釈してますが。ははははは(^^;)
でも自分でもかなり自由な人間だと想います。
この場合、「自分勝手」じゃなくて、ちゃんと「自由」ですよ(笑)
なんていうかね、うん、結構どんなときでも最終的に羽ばたけるほうです。
そこが自分の人間としての善きところとも思っちゃってたりします。
そんなアメリカンな自称「自由人」の私はかなり保守的です。
なぜなら自由は「ルールがあるもの」だと思っているから。
ルールに守られない自由はないと言っても善いくらいにそう思ってます。
えー、世間一般では自由人というカテゴリーの他に
私は「シュタイナーの人」ってイメージがある様です。
はいっ!全然違いますね(笑)
シュタイナー世界に居たときの私を知る人は皆、
私がシュタイナー関係をやってると聞いて「嘘!」と思ったくらい、
仲間内では「アンチシュタイナーな人」で有名でした(笑)
でも、言っておきたい。
私は「アンチシュタイナー(人智学嫌い)」ではなく
「アンチシュタイナー人(シュタ狂の人)」なだけです。
そこ大きいんで間違えないように。
人智学の中には大きな叡智や感動があり、
特に教育については現場に居たので大きな関心も喜びも持っています。
ですがぁ~~~~、
シュタイナーを学んでる人間、もしくは教えている人間はあまり好きくないです。
つか、かなり苦手です。
シュタイナーといえば「自由」を育てる教育と言われます。
でもねぇ、人智学は神秘学と言う霊学(スピリチュアル)な学問なせいか、
なんというか、シュタイナーの言った事を丸々信じてるんですよね。
シュタイナーさん自身も自分で考えや~っていってるんですけどね。
そこにいる人は(あたしの見た人はですが)全然自由じゃなかったです。
だって自分の頭と心、使わない人間ばっかなんだもん(--;)
シュタイナー教育の優しい雰囲気にだけあこがれて
自分も優しくされるのを待っている、そんな人ばっかりでした。
そうかと思えば、自分の意見だけを通そうとする
自称「本当の自由を求めてる」派の方々ばっかりで。。。。
正直あの世界は疲れました。
だから、行って3日で見切りをつけました(笑)
唯一、救いだったのは子ども達。
彼らは本当の自由を知っていました。
偉そうなこと言っちゃってごめんなさいなんですが
本当にねー、自分にはありえない自分の無さだったんです。
相手を見る、と言うけれど、だあれも相手の事なんか見ていない。
見ているのは自分の世界にいる相手です。
目の前の世界はちゃんと見ていない。
優しさを期待してばかりだから、自分の思いが通らないと
お互い主張ばっかりし合ってトラブルばっかり起こる。
果てには親同士や教師との不倫騒動ばっかり。
相手がソウルメイトだったとか、運命の相手だとか~。
そんな事をほざいて、手に手をとって子どもを置き去りに消えてゆく。
お前らの都合で子どもの気持ちや立場はどうなんねん!
と張り倒したくなるような気持ちに何度なったことか。
それでも、本当の自由を求めてるからだってさ。。。。あほか。
あそこで私が学んだのは「自由」はやっぱり世界の中にあるってこと。
自分の中にある世界しか見えてないときは、見ているのは相手じゃなくて自分。
自分の中の世界の自由の中には自由なんて無い。
だって自分以外に居ないんだから自由なんて必要ない。
自分の目が初めて世界を捉えたとき、本当の自由は訪れる。
そこにはちゃんと相手がいて、そして世界が動き出すから。
相手の目の中にいる自分の姿が見えて、初めてほんとうの自分の姿が見える。
私はあなた、あなたは私。
私とあなたは私たち。
私たちはひとつ。
シュタイナー学校で最初に習うことの中に真実はある。
世界の中にいることを知らずに自分はきっと見えない。
世界があるから私は在る。
あなたがいるから、わたしがいる。
だから自由になれる。はばたける。
それが自由。私の自由観。
自由は世界の中に輝いている。