KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

ガツン!~11・18日大幅に追記(^_^;)

2012-11-18 | KOFUKU日記
約束 雪村いづみ 1964年 フルバージョン


「約束」
  作詞:藤田敏雄
  作曲:前田憲男
  歌 :雪村いづみ

その日 ぼくが石けりしてると パパが家から出て来ていった
「坊や いそいで帰ってくるんだ ママがお前に会いたいそうだよ」
ぼくはパパに小声で尋ねた
「そいじゃ ママはもう死んじゃうの」
するとパパは静かにいった
「そうだ坊や ママは死ぬんだ だけど坊や 泣くんじゃないぞ
みんな誰でもいつかは死ぬんだ 坊やわかるな お前は男だ
歯をくいしばり 耐えて行くんだ どんなときでも弱音を吐くな
男らしくやるんだ頼むぞ いいか坊や 約束してくれ」
ぼくはパパに約束をした

ぼくが走って帰るとママは 白い顔してベッドに寝てたが
ぼくに やさしく笑ってみせた
「坊や 元気で大きくなるのよ」
ぼくもママに笑ってみせた

だけどぼくは見たんだ そのとき ママの瞳にうかんだ涙を
ママはママは泣いているんだ
そうさ ママは考えてるんだ ぼくのことを心配してんだ
自分が死ぬということよりも ぼくのことだけ考えてるんだ

ぼくは思わず神に祈った
「どうかママを助けておくれよ ママが死んだらぼくも死んじゃう
どうかママを殺さないでよ
どうか神さま お願い 神さま どんなことでも ぼくはするから
夜ねる前に歯をみがくから ごはんの前に手も洗うから」

だけどママはその夜おそく そっと淋しくこの世を去った
ずっとぼくの手をにぎりしめ 涙うかべてこの世を去った

ムリさムリだよ 泣くなっていったって
ダメだ そんなの そんなの絶対ダメだよ
だって だってママが死んだんだ
ぼくは泣いた やっぱり泣いた ママ

だけどぼくは ぼくは男さ そのあくる年 あの戦争で
パパが死んだと聞いたときは ぼくはそのとき 涙をこらえた
ぼくはそのとき約束まもった





これは尊敬するエンターテイナー雪村いづみさんの名唱です。
魂を鷲掴みにされるような歌詞、そして熱唱。

今日これをご紹介したのは、他でもありません。
この曲を、夜、真っ暗にした部屋のベッドの中で
目を瞑り、独り聞いて欲しい、と思う人たちがいるからです。

歌唱力に酔って欲しいのではありません。
この歌をリアルに感じて欲しいのです。
事実、これは誰の人生にも起こり得ることですから。

そして、こういった人生の上に、自分が歩いていることをもう一度考えて欲しい。
「生きている」という事実があるという事を、
もっと、もっと、もっと、リアルに感じて欲しいと思うからです。

ガツンと魂を殴られるような感覚を体験して欲しいからです。


(今日の記事は、ある意味で「愚痴」であり、「魂の叫び」です。
そういった内容がご不快な方は、どうぞここで迂回してくださいね_(._.)_)


私は役者(主にミュージカルですが)という職業を使命と受け取り、
自分で選び、プロになるために努力の日々を経て、プロとして役者になりました。
そして約20年ほど前から、教えたり、指導したりもするようになりましたが、
その長い中で、いろんな方に出会いました。

教えるという形で出会う人は、やはり若い方が多くて
当然ながら「役者になる」という大志を抱いている人が殆どです。
またクリエイターになりたい、表現者となりたい、という人も多くいます。
そんで、今もちょくちょくそんな若者と出会います。
そんでもって、時々、相談にのったり、手助けもしたりします。

でも、残念ながら、このところ出会う若者は、
相当、残念な人が多くて、心の底からガッカリしています(´・ω・`)

もちろん、私にしてみればの話で、みなさんがそう思うとは限らなのですが。
でもたぶん、同業の仲間たちから見ても、ほとんどが同じ様な感想を持つのではないかと思います。

(ここからは魂の叫びデス(^_^;)


あのね、すべての若者がそうだとは全然思わないけどさ、
あんたら人生を舐めすぎだ。

私はそう言いたい。
直接、そう言ってやりたいが、残念過ぎて、その気力すら生まれません。


先日、私は立て続けに
「夢はあるけど、辛いのが嫌、努力はしたくないから、色んなことが出来ないままの人」
「夢はあるけど、悩むばかりで自分で決めて動けないから、最後は人に決めてもらおうと頼る人」
というのに出会いました。

まあ、努力して今日まで来てる人間は「バカヤロウ」と一喝して終わりでしょうね。
一刀両断ですよ。何を甘いこと言ってんだよ、なめんなよ、ってそれだけデス。

私たちの認識からすれば、そんな人間が何かを表現するなんて、できるわけが無いからです。
だって自分もないのに、努力すらしないのに、一体何を表現するというのでしょう?

それは、表現ではなくて、その人の「これやりたい」って、ただの欲求です。
それを形にしただけのもので、芸術でも、お仕事でも、なんでもないです。
食べて出しただけ。いわば、魂のカスです。

しかも、それを人の上に勝手に落としていく。
自分の「やりたい」ってエゴを満たすためだけに。
誰かが、「それは私の命です、と本気で人生をかけている」
表現とか、アートとか、クリエイトって世界を使って飾って。
でも、周りにすれば「カス」ですから、結果、迷惑です。

どうやら、今の人は特に、欲求(本能が求める楽しみ)と
夢(人生の目標)の区別が、いつまでたってもつかない様なんです。

どこでどう間違って教育されてくるものやら、
もうね、「物事はとりあえず一生懸命だけやってればいいものだ」とかねー、
好きなこと=やってみたいこと=将来の夢、デス。。。。

ところがそれが自分にむずかしいとなると、
今度は短絡的に出来ることをすればいいと簡単に「目標」を変えたりできる。
…( -д-)
彼らの夢はそんな風に軽い。
自分の痛みには立ち向かわない。


夢は現実。
なのに、リアルにする努力をしないのです。
その努力をかっ飛ばして夢だけを手に入れようとするのです。

真剣になって、頭を使わないし、心を使わないから、
次から次に生まれてくる本能的な欲求のままに動くのです。
それがいいことだ、間違っていない、と信じてる。
だから、自分の否定的な部分は見ないし、探ろうとしない。

辛いことがあれば、世の中のせいだ、育ちのせいだ、
昔、お母さんや大人があたしの気持ちを閉じ込めたからこうなった…etc

だって、辛いんだもん。苦しいんだもん。
苦しくて辛いのはしんどいんだもん。
だからしたくないし、できないの。
習慣とか嫌なんだもん。
できないけど、それがあたしだからしょうがない。


「オレ、役者じゃなくて、俳優になりたいんです。」
…( ̄▽ ̄;)
何もしたことのない、テレビしか見たことない人間が区別がつくんですかね?

「本気なんです。やってみたいんです。人生かけてみたいんです。」
じゃあさ、いついつオーディションあるよ?チャレンジしてみる?
そう言えば、

「その日はバイトが」「学校が…」「ほかの日じゃダメですか?」
…(-д-メ)(-д-メ)(-д-メ)

お前さんの人生にかける意気込みってバイトに負けるわけ?
どんだけ軽い人生の選択やねん。

一事が万事
そんな感じ(-д-メ)


「それじゃ、君たち、夢は見るな。」


私は言いたい。
だって夢は現実にするものだよ?

私は言いたい。
いい加減、自分の道くらい、自分の頭で考えろ。
いつまでも憧れと夢をごっちゃにしてんなよ。

本気で夢に向かって、命削って生きてる人間もいるんだよ。
本気でやりたくても、才能がどんなにあっても、
現実の世界で、いろんな理由で諦めないといけない人もいるんだよ。
やりたくてやりたくて願っても、どうしたってできない人いるんだよ。

大震災で逝った人になんて言うんだ?
病気で志半ばで逝った人になんていうんだ?
そんなものすら与えられない環境にいる人は?
戦地で暮らす若者になんていうんだ?

そんな人たちに対して、夢に対して、君たちの生き方はものすごく失礼だ。
やる気がないなら、夢に失礼だから夢は見るな。
夢を見ても、まず間違いなくかなわないから。

だって、自分の才能を探ろうとすらしようとしていないじゃない?
だって、自分の才能を育てる努力すら自分でできないじゃない?
それを選ぶことすらできてないのに、君たち、一体、どこに行って何をするというの?
人が必死に生きてる世界ではね、そんな君たちを懐広げて入れてくれるほど
お馬鹿でも、お人好しでもありませんよ?
みんな、ちゃんと見てるんです。


いいですか?
本当に才能ある人は、今の君たちの位置にはいません。
既にどこかで拾われているんです。それが才能ってものです。
君たちは、あれこれ言ってたって、現実、そこにいるんでしょ?
本気で道を歩くつもりなら、自分の立ち位置、確認しなさい。
地図も見ないで、目的地がわかんないのは当たり前です。

いい加減、夢を自分の欲求に合わせようとする浅はかさに気づきなさい。
選ぶとは、自分がそこに向かって歩いていくことです。
自分がそれに合わせていくことです。
例え、それが受け取ることであっても、それは自分が受け取ると決めて受け取るんです。
なんの努力もしない人間に、夢が歩んで来てくれることはまずありえません。

「ありのままのあなたでいい。」
よく言いますよね?
でも、それは「そのままでずっといい」って意味ではありませんよ。
ありのままでいいのは、ありのままを受け入れられる人だけに与えられる人だけです。

「しんどいのがいや」「努力したくない」「自分で決められない」

そんな、ありのままの自分から逃げている奴に
「ありのままでいい」なんて言葉は当てはまらない。

人間、ありのままでいるのは、とっても、とっても大変な事なんです。
人の目もある、自分の心の声もある、いろんな事があるけど、
そこに立ち向かうことが「ありのまま」でいることなんですよ?
それすら受け入れられないのに、勘違いも程々にしなさい。

人生は回転寿司じゃありませんからね。
都合よく、好きなお寿司だけは回ってきませんよ。
それにね、勝手に回る回転寿司屋だって、気に入ったネタは、
自分で選んでタッチパネル押さなきゃ出てこないでしょ?

回転寿司屋に行ったって、自分が何もしなきゃ、
好きなネタが回ってこなきゃ、ただ座って終わりなんです。
どんなに楽な世の中になったって、努力はいるんです。
人生を自分で選ぶというのなら、せめて、せめてそれくらいは気づこうよ。

だから、自分たちを見てごらんなさいよ。
自分を知ろうと努力しないから、目先のものばかり拾って
延々とやりたい事が変わってくの。簡単に自分が変わっちゃうの。
結局、それは自分が何をしたらいいかわからないって言っているのと同じです。

本来、自分とは、変わらないひとつの魂なのに。
あなたの魂、どこに手放しちゃったわけ?


なんで、そう思うのかって?
そんなに長くない人生だけど、それでも多くを見てきたからですよ。

少なくても、私は、今まで表現の世界で、なんの努力もしない人で成功した人を知りません。
人間は何かしら努力しなくては、欲しいものは手には入らないものです。

過去にも同じ様なことを言って、自分の「楽」な道を選び、
それに意義を唱える人を拒否して、結局自分自身を捨てた人々を見ましたが、
どの人も自分で道を閉ざした末に消えていきましたよ。

「それができないと死ぬんですか?」
「何が問題なんですか?自分のことなんでほっといてください」

そう言い切った人、たくさんいるけど、誰ひとり残ってません。
だって、そんな人の表現するものなんて、誰が観るんですか?

夢を叶える努力したくないなんて、努力しないなんて、
夢を、つまりは自分自身の魂を捨ててるのと同じです。
自分を捨てるということは、人との関わりも捨ててるということです。

確かにそれをしなくても、例えできなくても、あなたのカラダは死なないでしょう。
でも、あなたの存在はその世界から否定されるでしょうね。
だって、誰でもない、ご自分が自分の世界を否定してるんだもの。

第一、人に見てもらったり、関わる中で生まれるもの、交わされるものが、
表現や仕事というものなのに、周りにいる人の聞く耳持たないってどういうこと?
世界を見つめないで、自分が見えるはずなんて、これっぽっちもないっつの。

そんでもって、表現と銘打って自分がやることは、自分が「やりたいこと」だけ。
自分がそれを出来るもできないも全く関係なし。
自分の気持ちがよいか悪いかが、魂の仕事の原点だと大勘違い。


あのね、仕事はね、自分がやりたいことができるのが善い仕事じゃないのデス。
第一ですよ、仕事と名が付いた時点で、それは受け取る人様のものでもあるの。
その人様のものを、これは人様にわたすものだと理解して、
そこに精一杯、自分の命をかけるから、自然とそこに自分の姿が現れるの。
それが私らの「自由」であって「個性」なの。
その命をかけられる信念がなくては個性も生まれないんだよ。

やりたいことを、やりたい放題やるのは、夢でもなんでもないぞ?
それで人を巻き込むのは、アタシに言わせれば、どっちかつったら「罪」に近い。

その自由を作る過程を、自分で否定してるって、
自分の目指す世界を自分で否定してるってことでしょ?

第一、自分のことしか見ない人間となんて、誰も交流してくれません。

「別に、自分はそうじゃないからいいんです」
「別に自分は選ばないから構わない」

いまはそんな人ばっかり。どんだけ、自分中心なんですか?
それは一人の世界でいる限りは許されるかもしれない。
でも表現を仕事にするなら、それはね、難しいよ。
だってさ、自分も愛さず、人も愛さない、
愛をいらないっていう人に、誰か近づくわけ?

それに、仕事とは周りを幸せにするものなの。
だから、自分もそれで幸せになるの。
自分のことだけ考えてて、周りが幸せになるわけないでしょ。
自己中に波のように引くだけだわ。

自分のエゴに、人の心を使うなー。
そんな人の表現なんか、何を見ても感動しない。
そのことに気づいたほうがいい。


自分の目指す世界で生きる努力をしない人に未来はないです。
これは言い切れる。

なぜならね、この世に命のないものはないからです。
生きていないものはないからです。
全ては命の上に作られているんです。
自然も、歴史も、文化も、人も、全て。
命がないと言われる物質でさえ、誰かの思い(命)の結晶なんです。

表現とは生きることそのものです。イノチ、そのものなんです。
そういう生きている命のあるものの上にしか現れないものなんです。

生きる努力しないものは当然「生の世界」で生きられません。

「アタシはどうせダメなんだ」
「できないから仕方ない」
「辛いことは嫌だ」
「自分で決められない」

自分で、自分のイノチを止めてる人に、
その世界を否定してる人にできるわけなかろ?
その生きているイノチの上を、自分の命をもって、歩く覚悟のない人間に、
命を表現する資格なんかはこれっぽっちもありません。


あなたがた、そのまま歩いたら人を恨む人になりますよ。
まちがいなく、永遠に自分を卑下する人間になります。
そして、その思いを次の世代に引き継いでしまいます。

なぜなら、あなたたちはいつまでも、ただ欲求のままに生きてるからです。
そう言う人のココロはね、満たされません。永遠に。
夢を欲求で測ってる人は永遠に満たされない。
なぜなら本能は永遠に欲求を生み出すからです。

自分のできなさを、性格や人や環境や、
いろんなモノのせいにしていれば、それはいつまでも続きます。
反面教師で自分の力となるように消化していければ良いけど、
たとえば、親がこうだったと恨みを持って生きれば、将来は
「私は親にこうされたから、あなたにはこうしない」
とそれを自慢げにいう人間になって、結局、次の世代に自分の恨みを繋ぐんです。

「その時その時の気持ちの良さが夢の正体なんだよね!
そこが大事なんだよね!」

なんて寝ぼけたことを中心に据えて、ただ天に手を広げたまま
なにか飛び込んできるのを待ってて生きてるとそうなります。

いくつになっても、本能がやりたいことは減っていかないのだから。
その時、その時はやり過ごせても、努力して自分の物にしなければ
それは、どこまで行っても、自分の外にあるものです。
だから、結果、あれもしたかったのにできなかった、
あたしの人生、何もできてない、つまんない、ってなる。


あなたの周りにそんな大人はいませんか?いるでしょ?
「面白いことねぇかなぁ?人生、つまんない」とか言ってる人?
「あたしだけが貧乏くじ」、とか言ってる人。

違うからね。
どれもこれも、究極、そこを選んでるのはその人だからね。
努力もせず、欲望だけで生きてるとそうなるんだよ。

でも、夢(目標)に覚悟をもって向かい、精査しながら努力して、
一つ一つ答えを見つけようと歩んできた人は違うんです。
結果、答えを見つけられなくても歩んできた道を誇りに思えるんです。
そこに何かを見いだせるようになるんです。

何度も言いますが、自分のしたいことからだけ、自分の未来を見てたってダメだから。
あなたが楽な事からだけ、自分の未来見てたってダメだから。
それは、その時が楽なだけで、なんの解決にもなりません。

大切なのは、そのしたいことに自分がどれだけ賭けられるか?だから。
その賭けたもので、自分自身が、人様が、どれだけ幸せになれるのか?だから。
本当の「タノシイ」「キモチイイ」は「楽」とは違うから。

言っとくけど、「努力できるのにしない」のと、
「努力したいのにできない」のは違うからね?
努力したいのにできない人は、努力しようという努力してるのだから。
決して、あなたたちの「したくない」と一緒にしないでよ。
あなたがたは「努力しない」のを選んでるだけだから。


きっと若い方たち、ガラパゴスな私たちと違ってスマホでしょ?
音楽だって聞けるし、動画も気楽に見れるでしょ?
機会があったら、「約束」この歌をひとり暗闇の中で聞いて欲しい。
そして、歌われていることを自分の人生だと思って聞いて欲しい。
そこから、もう一度、自分の人生を考えて欲しい。


これが正しいとは言わないデス。
受け止め方も考え方も、究極、人の数だけあります。
何かをどう選ぶかは、その人の選びです。


でも一つだけ、はっきりアドバイスできることがあります。

それは時間は何があっても進んでいくということ。
そして、この時間は絶対に取り戻せないってこと。
それだけは確実で、誰にも平等ってこと。



残念な若者たちに、こんなふうに言ってやりたいが、
本当に残念すぎて、本当に本当に言う気力がもてない(´-ω-`)
それでも、こうやって書いてる自分はお人好しだと思うけど。

自分ができる努力もしないでいて、自分の夢がかなわなかった、
なんて未来は想像しただけでも恐ろしいもんだと思うけど。

あたしの時代は風邪をひいて一日休んでもクビでした。
自己管理ができないのは、それをやる資格がないって事で。
皆、捧げて生きてる人ばかりでした。
何かを表現するって事を、本当に大切に考えていました。

今は一体、どうしちゃったって言うんでしょう?
努力したくないって、自分で選べない、辛いのが嫌とかって、
私にはもう話にもなんにもなりません。

オイラ言いたいよ。

ここまで来た夢に謝れー。
ここまで応援してきた人に謝れー。
ここまでの日々に謝れー。
何よりも自分に謝れー。
あなたに関わってきたすべての人や物事を、
ここまで自分のエゴのために利用してきたことを謝りなさーい。
そんな自分にしても、気づかないできてまった事を自分に謝ってください。
誰でもない、自分をダメな奴にしてるのは、間違いなくアナタです。

私はそう思うのです。

だれか、あいつらをガツンとやってやってくれっ!
いっそのこと、本気でガツンと一発やってくれ!

そしたら、せめて努力ぐらいはするようになるんじゃないかな…
をう思う今日このごろ。


…なんてね、こんな風に強く思ったのかは、
相方さんの命日が近いせいもあるかもしれません。

相方さんは39歳で、志半ばで亡くなりました。
死にたかったわけではありません。
生きたかったんです。やりたい事はまだまだいっぱいあったんです。
だけど、死は容赦なく、彼を次の世界へと連れて行ってしまいました。
彼自身も驚いたことでしょう。

彼はストイックに夢に生きた人でした。
それを叶えるために100%の力で走っていた人でした。
その為にいろんな犠牲も厭わず、努力し続けた人でした。
人になんと言われようと、貫いた人でした。

それは自分のため、
そして、それを受け止めてくれる人のため、
究極、この世界のすべてのためです。

夢を生きるとは、そういうことです。

そして、相方さんはなくなるギリギリまで、
今日ここに書いた若者たちに力を貸してました。
それは、彼らの中にある「真実」を信じていたからだと思います。

だからかな。彼らの言葉や行いが本当に本当に残念でならないのです。
しかも「頑張ってもできない」訳じゃないんですよ?
「頑張るのが嫌」なんです。
「自分で決められない」からなんです。
それが、本当に残念で…(*´д`;)…

伝えたいものすら、自分の中に探そうとしないのに、一体何を伝えようというのか?

きっと「努力のいらない、出来る範囲で見つけよう」としていれば
いつまでも、いつまでも、見つからないでしょうねー。
そう思ってしまいます。

「表現する」
自分の表現したものを受け止めて生きる人がいる、世界がある、ということ。
それがどういうことか、もう一回考えて欲しい。
夢を生きる、それがどういうことか、考えて欲しい。
夢を語る前に、夢に向かっている自分をみつめてほしい。


野村萬斎さんのお子さんが八つか九つくらいの時に聞いたそうです。
「お父さん、僕は何故、狂言をやらなくちゃいけないの?」

萬斎さんはこう答えたそうです。
「お父さんもずっとそう思いながら狂言をやっているんだよ。
その答えを探しながら、今日まで生きてきたよ」

決められた世界に立ち、歩み続けなくては道を作れない人もいる。
その人が努力しているにもかかわらず、ステージママとか
七光り、という言葉の下で自分の努力を評価されない人もいます。
それでも、そこしか歩む道はないのです。

生きる道は人の上にある、世界の上にある。
それを知ることは自分でしかできません。
自分の歩いた足跡は自分にしか付けられない。

あなたは生きていますか?
ちゃんと生きようとしてますか?
自分の足で歩いてますか?

今頑張んないで、いつ頑張るの?
人生は今の連続ですよ。
だから、自分の手で、自分を捨てたりしないでほしい。

自分を助けるのは、自分しかいないのに、
自分で自分をダメだとか言わないであげて欲しい。
君のいっときの感情はダメでも、
心は、魂は本当に頑張りたいかもしれないじゃないか!

頼むから、自分で自分をダメだって言うのやめてよ。
そんなダメな人が作ったものを、どうして人に渡そうとするんだよー(´;Д;`)

それじゃ放射能とおんなじだぞ。
汚染されてるものを自分のエゴで作って売っているのと同じ。
汚染を広げてどうするんだよ。

心は伝わるんだよ。
伝染するんだよ。
どうせ伝えるのなら、あなたの大切なものを伝えてよ。


怒ってばっかでもなんなので、ココロのスクランブルで
わがまま(笑)ばっか言ってる人に一つ曲をプレゼントしたいです。

これはウエディングソングで有名ですが、この僕と彼女の関係は、
仕事や夢や人やいろんな人に置き換えられると思います。
ぜひ、自分が大事にしたいものに置き換えて聞いてくださいね。


BOKUMAMA~もうひとつの誕生日~【完全版】/JAMIL



BOKUMAMA~もうひとつの誕生日~

作詞:太志・JAMIL
作曲:太志・JAMIL

「僕のままでいいですか」
「君のままでいいですよ」
彼にはなれない 誰にもなれない
それなのに僕は 愛されることを知った
今日は僕の誕生日

ママ、もう心配なんてしないで
「まだ恋人はいないの?」なんて
電話 もうしなくたってさ
パパ、僕やっとみつけたんだ
ただ遠回りをしてきたんじゃないよ
会わせたい人がいる

「強がること」と「強くあること」の
違いにも気付かないで
ここまで歩いてきたけど

「僕のままでいいですか」
「君のままでいいですよ」
果てしない旅の 終わりと始まりを知る
「僕のままでいいですか」
「君のままでいいですよ」
彼にはなれない 誰にもなれない
それなのに僕は 愛されることを知った
今日は僕の誕生日


雨宿りはもうやめにしたんだ
駆け出すまでどれだけの時間が
流れて いくつの夜が過ぎたのだろう

どしゃ降りの朝 目をつぶりただ
言葉にならぬ想いを まぶたの裏に焼き付けた

空っぽになるくらいに 人を好きになりました
これはこれでまた 素晴らしい日々なのです
片方の翼だけでは 空をつかまえられない
こんなに素敵な 悲しみを連れて
ひとり歩く道… いつか羽ばたけますように

生きててよかったと思った時に はじめて
生まれてきてよかったと思いました
命を照らしてもらって はじめて
命のはじまりに感謝しました

自分の力だけでは 咲かせられぬ花もある
喜びだけでは たどりつけぬ愛もある
ただ日々を過ごすだけでは
見つけられなかったもの
あの独りの日々 この命の意味
あなたと二人で 過ごす僕の誕生日
もう一つの誕生日





お仕事でご一緒だった岩崎宏美さんのお歌から。
さだまさしさんの作られた歌です。
最後の日々、私もこう歌って逝きたい。



虹~Singer~

作詞:さだまさし
作曲:さだまさし

こんなにも長い間 何故歌って来たのだろう
ちいさなしあわせや 伝説の向こう側に
逃げ込むチャンスは いくらもあったのに
まだ 歌ってる
控室の窓辺の かすみ草の向こうを
あなたの横顔に よく似た思い出がとおり過ぎてゆく 
開演のベルが鳴るまで
あと 15分

全てを手に入れたり 全て失くしたり
あなたまで ひきかえにして
歌い手は 虹のように
悲しみの雨の向こうで 咲くものかしら

I'm a singer 虹になりたい
ひとときの主役(ヒロイン)演じてそして
I'm a singer +*振り返ったら
幻のように 消え去るもの
誰かのしあわせと 入れ違いに

時々ふとラジオから 先に逝った友達の
なつかしい唄が 流れることがある
そうだね永遠に 歌い続けてる

しあわせ? ふしあわせ?
誰に負けてもいいの 自分に負けたくないの
だってそれがいつか 思い出に変わった時
目をそむけないで いたいでしょ
私はまだ旅の途中

誰かの心の 扉を叩き続けて
何もかも ひきかえにして
可笑しくて哀しくて 美しき人生
さあ 幕が降りる迄

Yes I'm a singer 虹になりたい
ひとときの主役(ヒロイン) 演じてそして
I'm a singer あなたの空を
ひとときでも 私の色に
染められたら それでいい

I'm a singer 虹になりたい
ひとときの主役(ヒロイン) 演じてそして
I'm a singer 振り返ったら
幻のように 消え去るもの
誰かのしあわせと 入れ違いに