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レオンの闘病日記

躁うつ病と診断されて四半世紀25年以上になります。日常生活や病気のことを自分に無理のない程度で書いていこうと思います。

トラウマ パート5

2016年10月31日 18時57分50秒 | 病気
その後も役職を持った方を中心とした派閥から、様々な嫌がらせが続きましたが、自分が辞めれば相手の思惑通りになると思うと、悔しくて意地でも耐えてやろうと思い、我慢に我慢を重ねていました…。

その当時の、ストレス発散は酒でした。当然、尋常な無いほどの酒を仕事明けに飲んでいました。

毎日、500ミリの缶ビールを4,5本空けてから、焼酎をストレートで1リットル空けたり、ウイスキーも720ミリの瓶をラッパ飲みでストレートで飲んでいました。

ある時、両親からそこまで自分自身を痛めてまで、仕事を続ける必要はない、相手がつぶれる前に自分がつぶれると、諭されました。

両親が自分の事をはっきりと心配してくれることが分かっていたので、身がちぎれる思いでしたが、ただ相手に負けたくない、屈したくないの思いで、1日も休まずに出勤してました。

お金の話で申し訳ありませんが、補足で、そのホールは皆勤手当てが5万もつきました。

更に輪をかけて、自分の精神状態が一脱していた事を物語るエピソードを追加します。

当時、自宅に壊れて使えなくなった石油ストーブがあったのですが、その鉄板を早番や遅番で出勤する前に、近所迷惑もかえりみずに、自分に気合を入れる儀式みたいな感じで、10発ほど殴って出勤していました。当然、拳ダコや右手がグローブの様に腫れていて、従業員は見て見ぬふりをしていましたが、一部のお客さんからは心配して声をかけてもらいました。



ある時は、遅番が終わった直後に、しらふで頭に来たので、自分の車のフロントガラスを殴ったところ、ヒビが入りそのまま帰宅して修理に出し、代車で出勤したこともありました。

字数がオーバーしそうなので、パート6に続きます。

記事が出来次第投稿します。


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トラウマ パート4

2016年10月30日 20時30分42秒 | 病気
一応、自分は社員だったのですが、アルバイトの方も交えての交流でしたが、話題は主にホールの人間関係の愚痴でした。

自分も聞くようにしていましたが、心の中では自分自身もこんなふうに悪口を言われているんだろうなと暗い気持ちになりました。

そんな感じで、色々な方とプライベートで交流を深めていったのですが、どうしても馬が合わない方が5人ほどいました。

一人は、役職を持っている方なので、すごく気を遣いました。残りは遅番専属のアルバイトの3人と早番専属のアルバイト一人です。

陰湿な嫌がらせは、突然、始まりました。

早番のある朝、役職を持った方にいつものように挨拶をしたのですが、挨拶が返ってこなかったのですが、多分、聞こえなかったのか、機嫌でも悪いのかなと思っていました。

その日の早番で、いつもはアルバイトの方が、トイレ掃除や灰皿の回収をするのですが、何故か自分がトイレ掃除、灰皿回収を役職を持った方に命じられました。

別に自分は、昔ですが清掃業を3年ほど経験していたので、トイレ掃除、灰皿回収は苦痛ではなかったのですが、何故、命じられたのかがわからなくて、その日は不安感が募りました。

次の日も、当たり前のように、前日と同じことを命じられたので、ああ、嫌がらせだなと確信しました。

その当時は、躁状態だったので、直接、その方に理由を聞いても良かったのですが、あえてそのまま、黙って従って相手の気の済むようにさせておこうという、心理状態でした。

逆に、相手が自分を辞めさせようとしていると確信出来たので、絶対に辞めてやるものかと闘志が湧きました。

字数がオーバーしそうなのでパート5に続きます。

記事が出来次第投稿します。




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トラウマ パート3

2016年10月27日 18時36分23秒 | 病気
パチンコ屋に入社してからは、そんな感じで3ヶ月ぐらいが過ぎました。

お店によって違うと思いますが、自分が働いていたホールは、早番が8時から16時半で、遅番が16時から24時半まででした。

自分は昔から、どちらかというと朝型の生活に慣れていたので、遅番の時の16時に出勤が辛かったです。

遅番は、寝たいだけ寝れるという感じでしたが、24時半に上がって帰宅したら、シャワーを済ませてお酒を飲みながら、テレビを見たり、借りてきたDVDを見るぐらいで、夜中の2時には就寝していたので、翌日は好きなだけ寝たとしても、せいぜい10時頃には目が覚めてしまうので、出勤時間の16時までの時間がとても憂鬱でした。

早番なら、起きて朝食や身支度を済ませたら出勤ですが、遅番は出勤するまでに時間があるので、拘束されている感じがしてあまりリラックスできなかったと記憶しています。

説明が遅れましたが、自分はそのホールが、初めてのサービス業経験だったので、イメージとしては皆が働いてる時に休んでいて、皆が休んでいる時に働くイメージです。

なので、最初は戸惑いましたが、3ヶ月も経つとすっかり土日に働いて当たり前の感覚になりました。

その頃から、職場の人間関係の泥沼化がスタートしました。

簡単に言えば、派閥みたいのがあり、自分は3ヶ月間は仕事を覚えるのに必死で、全然気にならなかったのですが、3ヶ月もすると仕事にも慣れ
同僚との仕事明けの付き合いも始まりました。

正直に言いますが、同僚との付き合いは、ほとんどが居酒屋→キャバクラの感じで。遅番明けには麻雀がありました。

麻雀は朝方までやる機会が多かったので、睡眠時間が短くなったり、リズムが崩れて辛かったです。

今思うと、それなら断ればいいと思うのですが、当時は断る勇気がありませんでした。

字数がオーバーしそうなので、パート4に続きます。

記事が出来次第投稿します。
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トラウマ パート2

2016年10月26日 18時32分46秒 | 病気
目押しの呼び出しで、やってはいけないのが、インカム(無線)で他の店員を呼ぶのはNGでした。


これをやってしまうと、ただでさえ忙しいのに、そんな事でいちいち呼ぶな的な事を言われました。

なので、自分は、スロットコーナーの担当になる時は、躁状態ながらでも憂鬱感に襲われていました。

そのお店は、おおよそ1時間ごとに、担当する島(パチンコ台の1列を指す単位)を変えていく方式をとっていました。

とにかく、自分が目押しさえ覚えれば、今の状態を何とか打破できると思い、上司に相談したところ、他店でスロットをやって、自分で体得しろでした。自分はてっきり営業時間が終わってから、目押しをホールで練習ができるものだと、勝手に思い込んでいたので、それにはショックを受けました。

それで、自分が最終的にとった手段は、中古のパチスロ台を購入して自宅で目押しの練習をしました。ちなみに大花火という4号機の機種です。
大花火 画像↓


そのかいあってか、目押しができるようになり、逆にスロットのコーナーに担当になるのが、楽しくなりました。

逆に、お客さんが呼び出しボタンを押さなくても、良かったら目押しをしましょうかと声をかけるぐらいでした。(笑)

呼び出しボタンについてですが、補足をしますと、お客さんが店員を呼ぶときに押すボタンですが、パチンコであれば主にドル箱の交換や精算時、後はパチンコ玉が釘にひっかっている時とハンドルを握っているにも関わらず、球が出ない場合やパチンコ台の裏で球が詰まっている場合です。

パチンコ台の裏で球が詰まってる場合については、専門用語を使いますとパチンコ玉を研磨するポリと呼ばれる物がパチンコ台の裏に混入するときです。
機種によって詰まるところが違うのでパチンコ台の裏詰まりは覚えるのが大変でした。
ポリ画像↓


スロットについての呼び出しボタンは、大まかにいいますと、スロット台のコインの補給(ホッパーエラー)、現金でコインに交換する時のサンドのコインの補給、精算時、セレクターエラーと呼ばれる、コインを入れたにも関わらず何らかの原因で起こるエラーです。最後に記事に何度も登場している目押しの時です。

現金サンド画像↓


字数がオーバーしそうなので、パート3に続きます。

記事が出来次第投稿します。


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トラウマ

2016年10月25日 19時57分29秒 | 病気
これを記事にするかは本当に迷いました。今でも時折、夢の中に出てきます。もちろん、悪夢です。


話は15年ほど前に、さかのぼります。

当時も躁鬱病で、うつ状態と躁状態を繰り返していました。

躁状態に転じた時でしたが、その当時はどっぷりとパチンコにはまっていたので、そうだ、パチンコ屋の店員をやってみよう突然と思い、地元から少し離れたところに求人があったので、躁鬱病の事を隠して、面接に行ってきました。

無事採用されたので、面接の翌日から、実際にホールで職場の同僚に教えてもらいながら仕事を始めました。

当たり前ですが、客で遊んでいる時と違って、立場は逆なので、同じパチンコ屋にいるのに最初は不思議な感覚がしました。

お客さんにドル箱を渡して、一杯になったドル箱を床に置くのですが、実際にやってみるときつかったです。
スペースが狭い上に、隣のお客さんに当たらないように気を遣ったり、無理な姿勢でしかドル箱を入れ替えしなければならず、1週間もしないうちに腰痛が始まりました。それにとどめをさすのが、精算の時です、閉店間際は、
ドル箱を息の付く間のないまま、汗だくになりながら、ジェットカウンター(パチンコ玉、スロットコインの数を数える機械)に流していました。


他には、お客さんが目の前を通るたびに、お辞儀をしなければならないので、ぼーっとする様な事は出来ません。
これは、恐らくですが、ホールによって違ってくるかと思われます。

次に、苦労したのが、スロットの目押しです。お客さんが、ボーナスが確定していて、機種によって違いますが、簡単に言えば、7を揃えるか、レギュラーボーナスのBARを揃える事です。

自分はその当時全くと言っていいほど、スロットをやったことがなかったので、お客さんに呼び出しボタンで呼ばれたた時は、目押しが出来ないので、オロオロするばかりでした。それについては、同僚に相談したところ、目押しが出来る近くのお客さんに、お願いするか、それができない場合は、手が空いてる店員を呼ぶとのことでした。

字数がオーバーになりそうなので、パート2に続きます。

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