超芸術と摩損

さまざまな社会問題について発言していくブログです。

新聞・TVが報じない「洞爺湖サミット」の汚点 被害者母が怒りの告発

2008-07-19 17:10:31 | 週刊誌から
「サミット警備」のパトカーが小学生をはねた

「一瞬、『死んだか』と思いました。ウチの子が自転車から投げ出され、二回転して転がっていくのが見えて……」
 サミット開幕を九日後に控えた六月二十八日午後五時半過ぎ、洞爺湖町で警備中のパトカーが、小学一年生の男の子をはねていた。事故に遭った高木光一郎君(仮名)の母・真理子さん(同)が、知られざる「洞爺湖サミットの汚点」を告発する。
「その日、光一郎は一年ほど前から乗れるようになった自転車で、友人たちと一緒に、友人宅の周辺を走っていました。事故が起きたのは、光一郎がT字路に差し掛かったときです。右側から直進してきたパトカーが、光一郎をはねたのです」
 道路に投げ出された光一郎君は、すぐ傍にいた知人男性に抱かれて泣きじゃくった。左脛には自転車の前輪の一部が刺さり、血が流れ出している。知人男性の靴がすぐに真っ赤に染まるほどの流血だった。光一郎君の洋服の肩口には髪の毛が一房ついており、後にそれは、頭を打った際に抜け落ちた頭髪だとわかった。
 現場は信号のない、見通しのよいT字路だった。現時点では、両者の過失の大小は明らかではない。だが、真理子さんが憤っているのは、事故後の警察の対応である。
 真理子さんが警察に対して最初に不信感を覚えたのは、救急車を待つ、わずか十分ほどの間だった。
「運転者が、息子の方へ駆け寄ってくる気配さえなかったのです。彼は車を降りて、もう一台のパトカーに寄っていき、何か話をしていました」(真理子さん)
 見かねた知人男性が、こう一喝した。
「あんたがはねたのに、行かないのかい!」
 すると、その警察官は、ようやく光一郎君の近くにやってきたという。
 光一郎君をはねたのは宮城県警のパトカーで、運転していた警察官Aは、北海道警所属ではなく宮城県塩釜警察署の巡査長だった。
 洞爺湖サミットに際し、全国各地から大勢の警察官が北海道に集められていた。
「六月末から、二万一千人体制で道内の警備に当たっています。北海道からは五千人、残りの一万六千人は、他の四十六都道府県から派遣されています」(北海道警広報課)
 詳しくは後述するが、実はサミット前に、他県から応援に来た警察官による事件が続発していた。今回の事故も、その一つだった。
 真理子さんが警察に対する不信感を増大させた出来事は、さらに続く。
「事故当日の夜、八時過ぎに私たちが病院から事故現場に帰ってきた時にも、Aさんはそばにいたのに、息子の具合を聞きに来るわけでも、謝罪に来るわけでもありませんでした」(真理子さん)
 幸いなことに光一郎君の命に別状はなかった。最終的な診断結果は、「右膝打撲、左膝打撲、左下腿挫傷、左膝打撲、左足関節打撲、頭部打撲」。全治二週間だった。
 事故の翌日から、道内警備におけるAの上司、宮城県仙台東警察署の警部Bが、「謝罪に行きたい」と連絡をしてくるようになった。だが真理子さんは、「まだ子供の気持ちも落ち着いていないから」と断った。すると連日電話がかかってくる。事故から三日後、七月一日の電話では、こう告げられたという。
「僕たちも(サミットが終わる)七月九日には宮城に帰らなきゃいけないんです。サミットが近づくと、抜けられなくなります。その後、謝罪のためにこちら(北海道)に来るわけにはいかないですし」
 自分たちの都合ばかり優先させる姿勢に不信感を抱いた真理子さんだが、謝罪を受け入れることに決めた。七月一日の夕方、真理子さんの自宅にやってきたのは、Aと警部B、そして北海道警所属の二名の警察官だった。だがその場でも、彼らの口からは、無神経な言葉が飛び出したという。
 確かに事故を起こしたAは「すいませんでした」と謝るのだが、一緒に来た道警の人間は、とりなすように、次の趣旨の発言を繰り返したというのである。
「他県から応援に来てもらっていて、土地勘もない。そんな中で仕事をしていての事故だから、理解して欲しい」
 真理子さんはこう憤る。
「こちらは怪我をしているんですよ。サミットなんて関係ありません」
 事故から十日が過ぎた。光一郎君は友達と元気に遊んではいるが、風呂、プールは厳禁。また、ふとした拍子に、「首が痛い」と漏らしたり、夜寝ているときに急に「足が痺れる」と訴えることもある。家族は「後遺症が出ないか」、「治療費など今後の補償はどうなるのか」と、心配する日々が続いている。
 だが、補償のことで警部Bと話した際にも、真理子さんはこう告げられている。
「今後は、僕らに直接電話してくるのではなく、保険屋さんと話してもらえますか。サミットが終わったら、もう宮城に帰りますので」
 洞爺湖町を管轄し、この事故を捜査する伊達警察署の副署長はこう語る。
「そのような交通事故があったのは事実です。現在捜査中で、まだ書類送検は済んでいません。軽い人身事故ということでしたので、公表はしていません」
 事故当時、一緒にいた子供たちは、パトカーにはねられる光一郎君を目の当たりにしてしまった。そのため、「パトカーが怖い」「自転車に乗れない」と訴える子もいるという。
 今回のサミットでは、この事故以外にも、警察はさまざまな「汚点」を北海道に残していった。
 五月二十七日深夜、空の玄関・新千歳空港の警備にあたっていた福岡県警の警察官三人が「非番だから」と千歳市の歓楽街・清水町ではしご酒、泥酔して大暴れした。カラオケ店のポールを折り曲げ、他の店のドアなどを叩く。寿司屋の壁に立小便をひっかける。ゴミ箱を蹴り倒す。ある店の店主が注意し、警察に通報して逃げないようにベルトをつかむと、
「ベルト切れたらどうすんだ? 六万もするんだぞ。やるのか? このために体鍛えてんだぞ、コラ!」
 彼らに対峙した店主は「暴力団顔負けだった」と振り返る。結局、ポールを折った福岡県警機動隊巡査(23)は、器物損壊容疑で書類送検された(その後ビル所有者と示談が成立し不起訴)。
 数百の飲食店が軒を並べる清水町の店主たちにとって、サミットは「いい迷惑」以外の何物でもなかった。
 ある店主が嘆く。
「五月、六月はいつもより四割ほど売り上げが落ちています。これだけ警官がうろちょろして検問をやってれば自然に客足は遠のきますよ。サミットのせいで賃料が払えなかったり、潰れる店も出てくるんじゃないか。しかもあの事件のせいで、警察官や自衛官も自粛するようになり、一般客が減った分も取り返せない。今は最高のゴルフシーズンで稼ぎ時なのに、近隣のホテルを警察が押さえちゃったんで、ゴルフ客も来ない。サミットなんか何のプラスもなかったよ」
 六月十一日には、通信機器の設営のためにニセコ町に入っていた関東管区警察局千葉県情報通信部技官の森田敏裕(34)が、宿泊していたホテルの女湯に侵入しデジタルカメラで盗撮、建造物侵入容疑で逮捕された。森田はその後、七月二日付けで依願退職している。
 だが、関東管区警察局監察部監察課次席はこう語る。
「退職金は満額出ます」
 これだけでも許しがたいが、森田は他にも非行を重ねていた。
「六月十日夜の逮捕事案以外にも、同日、別の時間帯に屋上などから三度盗撮をしていました」(同前)
 サミットに対し、道民の怨嗟の声は絶えなかった。
「普段なら三十分で行くところを五十分もかかる迂回路を走らされた。ガソリンが高いっていうのに……」(洞爺湖町の四十代女性)
「サミット期間中は誰も来ないので自主的に店を閉めました。休業補償も何もありませんけどね」(洞爺湖付近で飲食店を営む女性)
「いいことは特に何もない。どこかよそでやってくれれば良かったのに」
 これが多くの道民から聞かれた本音だ。
 福田首相は浮かれかえっていたが、洞爺湖サミットの「汚点」と、強いられた我慢を北海道民が忘れることはないだろう。

週刊文春08年7月17日号
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後期高齢者医療 本当は病気になってからがコワい ジャーナリスト 塩田芳享

2008-07-19 17:08:33 | 週刊誌から
 東京保険医協会が平成十八年四月から半年間実施し、二百三十五の医療機関が回答したアンケート調査結果がある。「リハビリ日数制限」によって、リハビリ中止を余儀なくされた患者は六千七百二十三人。そのうち脳卒中患者が実に二千百二十九人もいたのである。
 全国脳卒中者友の会連合会の常務理事で、自身も二十三年前に脳出血を発症し、長い間闘病生活を続けてきた石川敏一さん(64)は多くの脳卒中患者をみてきた。
「私が思うことは、発症から百八十日、リハビリ日数制限を過ぎてからでも回復する人が多くいるということです。お医者さんや国が考える“回復”のスピードとは違うかもしれませんが、私たちにとっては、間違いなく回復なんです。そんな私たちの気持ちをわかってほしいんです」
 石川さんは厚労省にリハビリ日数制限の撤廃を申し入れに行った際、厚労省の役人に言われた言葉にひどく憤慨したという。
「『お年寄りのリハビリはダラダラやっているように見えた』と言われたんです。その言葉を聞いて、大変憤慨し、また落胆しました。この人たちは私たちのことを全く理解していないことがよくわかりした。目に見える動きはほんの少ししかないからダラダラしているように見えるのかもしれませんが、その少しの動きをするために私たちがどれだけ苦労をしているか、わかってほしいんです」
 多田富雄・東大名誉教授(74)は、平成十三年に脳梗塞を患った。免疫学の医師でもある多田教授は「サプレッサーT細胞」という免疫細胞を発見した世界的権威だが、右半身マヒと嚥下・発声障害という重い後遺症を抱えることになってしまった。しかし、その後の息の長いリハビリのお陰で、キーボードを駆使して執筆ができるまでに回復した。
「人の十倍はかかる、左手一本の困難な執筆です。でも、これだって訓練でやっと可能になったぎりぎりの身体機能なんです」
 めきめきと、とはいかないが緩やかでも着実に身体機能は回復していた。そして、それを失わないために日々リハビリに励んだ。リハビリはけして楽ではなかったが、それが唯一の命綱と思って雨の日も雪の日も病院に通いつづけた。しかし、そんな矢先の平成十八年三月、多田教授は信じられない通知を受けた。
〈四月からリハビリをうち切らなければならなくなりました。まことにお気の毒なことです〉
 目の前が真っ暗になった。そんな無謀な制度を受け入れることは到底できない。多田教授にとって、リハビリ中止は死の宣告に等しかったからだ。それから多田教授はできる限りの“反対闘争”を始めた。できることは文章に書いて自分の思いを伝えることだった。その戦いは脳卒中患者をはじめ、多くの人たちの共感を呼び、二カ月間で実に四十八万人の署名が集まった。
 しかし、これだけ大きな反対の声が沸き起こったにも拘らず、「リハビリ日数制限」は見直されなかった。あれから二年――厚労省は「後期高齢者特定入院基本料」によって、さらに脳卒中患者と認知症患者を狙い撃ちにしたのである。
 二年前にリハビリの機会を絶たれた多田教授はいまどうしているのか。
「今までの医療政策で国が国民に負担増を求めたことはありましたが、直接診療の制限を強いたのは、実はあの『リハビリ日数制限』が初めてなんです。これを許したら、次は何が制限されるかわかりません。絶対に許せません。
 私はいま特別養護老人ホームに入所しています。そこでは専門的リハビリは受けられないので、身体機能は日増しに低下しています。厚生労働省は介護のデイケアでも十分なリハビリができると言っていますが、真っ赤な嘘です。それができないことを私は現在、老人ホームにいて身をもって体験しています。状況はますます悪くなるばかりです。リハビリができずに機能が低下していく人たちは悲惨さを増して、行き場のない人たちはただ絶望するばかりです。そして十月の改定でさらに難民が多数出ます。私はもう一度原点に戻って“リハビリ闘争”を始めるつもりです」
 現在、脳卒中患者は日本全国に約百五十万人いる。野球の長嶋茂雄監督やサッカーのオシム監督がそうであったように、私たちもいつどこで発症しても不思議のない病気である。しかし、日本の保健医療制度の下では、彼らのような最新のリハビリを受け続けることなど望むべくもない。
 医療費削減のためなら、平気で患者を見捨てる厚生労働省の非情さは、病気になってみて、初めてわかることなのだ。

週刊文春08年7月17日号
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秋葉事件は日本人殺戮の予告 高橋 清隆【神奈川県】 典型的陰謀論だが文章が巧み

2008-07-19 17:07:46 | 公案公案
不可解な単独犯行と逮捕の経緯
 東京・秋葉原の通り魔事件から約1カ月。マスコミは今回のような事件を未然に防ぐための規制強化や社会背景の解明を求める主張を展開している。いずれも加藤智大容疑者(25)単独の犯行によることを前提としているが、事件には不可解な点が多い。「アキバ」での無差別殺傷は、日本人に悲惨な未来を宣告するために起こされた気がしてならない。

 白昼の歩行者天国にトラックで乗り付け、歩行者を次々とはね、ナイフで襲いかかった事件が起きたのは6月8日。その後マスメディアは、逮捕された加藤容疑者の孤独感を強調し、犯行に至った経緯を合理化してきた。ネットへの執拗な書き込みやナイフへの執着を明かし、これらを規制する法整備を唱える記事も多い。

 一方、転職や派遣といった容疑者の不安定な就労状況を挙げ、「弱者」に厳しい社会に問題の根本原因があると主張する左翼系メディアや市民記者のインターネットコラムもある。これらは良心的なメディアといえる。しかし、犯行が加藤容疑者によるものでなかったら、これらの主張はすべて無効である。報じられる事件の経緯を眺めただけでも、その可能性が極めて高い。

 NHKニュースによれば、男がトラックで交差点に突っ込んでから警察官に取り押さえられるまで2分しかかかっていない。身柄を確保したのは裏通りに入ったとき。警察の組織内組織に属する警察官が初めから配置されていた可能性がある。

 事件から10日後の6月18日、犯行前に現場周辺を1周以上車で回っていたとの報道が突然一斉に流された。掲示板に「時間です」と書き込んでから犯行までの23分間の空白を埋め合わせるための苦肉の策だろう。交差点から300メートル離れたマンションの防犯カメラがとらえたとされる映像がこの日から何度も放送されたが、防犯カメラの画像など、まゆつば物だ。警察に不利なら「消えた」とするし、起訴したい犯人が映っていなければ合成する。植草一秀元教授が巻き込まれた2004年の品川事件や三浦和義社長の2007年の万引容疑を見れば分かる。

 事件当時の加藤容疑者の記憶はあいまいで、被害者を刺した状況などをはっきり覚えていないとして、容疑者を立ち会わせての実況見分は実施しない方向と伝えられている。

想定外の人物像と一貫しない動機
 在籍した短大のクラス担任は「報道では『切れやすい性格』と言われているが、そんな記憶はない。残念です」と語ったことが伝えられる。派遣先の関東自動車工業も「6月4日までは欠勤もなく、まじめに仕事に取り組んでおりました」「変わった様子もみられませんでしたので、今回の事件に対しては弊社としても非常に驚いています」と発表している。青森県内のローカル紙によれば、昨年1月から9月まで勤務した青森県内の運送会社も「きちんとあいさつするなど勤務態度に問題はなく、トラブルや事故も起こしていない」とし、容疑者に「強い印象はなかった」と話す。

 報じられている動機も一貫性がない。「父母の仲が悪く家庭崩壊の状態だった」「職場でクビにされたと思い、絶望した」「容姿や女性に対するコンプレックス」「車の関係で多額の借金があった」「同僚へのしっと」などさまざま。「親に捨てられたと感じた」との供述が発表されているが、両親は涙ながらの謝罪会見をしている。派遣先の職場で仮に解雇されても、絶望することではない。読売新聞などは「ネットでも無視された」と見出しを付けながら、「ネットに(犯行予告を)書き込んだので引き下がれないと思った」といきさつを説明している。無視されたなら自由ではないか。この記事は容疑者の心の変遷を描いた図表をわざわざ添付している。

 「人生の不満(両親との不仲、繰り返した転職、高校での成績不振、交際相手の不在)→ネットやゲームの世界への傾倒→『携帯サイト』でも孤立→無差別殺人」。はっきりした動機が見当たらないので、つじつま合わせしたいのだろう。

 恐らく、加藤容疑者はスケープゴートか、支配権力筋に頼まれた契約犯行者に違いない。もちろん、請負人の場合、はしごを外された可能性もある。この場合、「犯人」であることは同じだが、「派遣が」「ネットが」といった社会考察は無意味になる。ネットに書き込んだ者も、犯人とは別だろう。1カ月で3000回、多い日は1日250回というから、有職者には難しい。組織的に行われているはずである。書き込まれていた文句も「いい人を演じるのには慣れている みんな簡単に騙される」「大人には評判のよい子だった 大人には 友達は、できないよね」など、凶暴なイメージとはかけ離れた意外な犯人の逮捕を想定している。

 このような大胆な犯行は、権力とかかわりある者(正確には、わが国の国家権力をも支配する組織と通じた者)の犯行としか考えられない。でなければ、今回の事件が2001年の大阪・池田小事件と同じ日に起きた理由をどう説明するのか。「有害サイト規制法」審議中にネット上の書き込みが成否の鍵を握る重大事件が起きたことや、歩行者天国を廃止させようとする動きのあるときに起きたことをどう説明するのか。

捏造されたオタク文化の完成
 事件の9日後、元祖「オタクの象徴」にされた幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤受刑者の死刑が執行された。犯罪の抑止効果を狙った見せしめ(『日刊スポーツ』6月18日)との見方が出ているが、真相は逆ではないか。宮崎氏が犯人とされる事件も今回の事件も同じ組織が企てたのであり、宮崎氏の処刑を命じたのも恐らく同じ。宮崎氏を処刑する口実づくりも、本事件の目的の一つとみるべきである。1サイクルの達成は「オタク文化」の完成を意味するのだから。

 そもそも、テレビや新聞が大々的に報じていること自体、この組織が持つ力の宣伝であることを告白している。犯人に仕立てたい人物を起訴前に特定して報じるのはマスコミの常套である。筆者は秋田の子供殺しの畠山鈴香被告も和歌山毒カレー事件の林眞須美被告も幼女連続誘拐殺人事件の故宮崎勤受刑者も神戸少年事件の「少年A」も無実だと確信している。

 「オタク」はつくられた人間像である。ビデオと雑誌がうずたかく積み上げられた宮崎元受刑者の部屋は、猟奇的趣味を持つ「オタク」の空間イメージとして大衆に刷り込まれた。しかし、『実話GON!ナックルズ12月5日増刊 不思議ナックルズVOL4』(2005年)によれば、流通したあの写真は家宅捜査前にセットして報道陣に撮影させたものである。綾子ちゃんの頭部が発見される8月10日より前に、テレビ制作会社のディレクターが宮崎宅を訪れ、ビデオを積み上げ、カメラを回して帰った。このディレクターを知る人物から同誌編集者が聞いた話として執筆者の小池壮彦氏が紹介している。しかも、8月10日は宮崎氏が自供する前である。

 宮崎元受刑者が書いたとされる「今田勇子」と名乗る告白文(筆跡は宮崎とまるで違う)は、部屋から押収された『スウィートホーム』のビデオをヒントに書いたと供述されている。この映画は他人の子供を誘拐して焼却炉に投げ込む殺人鬼の話である。しかし、このビデオが発売されたのは8月11日。宮崎氏の逮捕は7月23日で、家宅捜査が行われたのは8月10日夜である。

 「オタク」はひ弱で部屋に引きこもり、ネットやカメラに興じるイメージがつくられている。なるほど、宮崎は生まれつき手が不自由で、両手の平を上に向けることができなかった。そのため家にこもりがちで、色白の肌をしていたが、カメラやビデオは好きでなく、1台も持っていなかったことを手紙で明かしている(『夢のなか--連続幼女殺人事件被告の告白』宮崎勤著、創出版)

 「アキバ系」という言葉も意図してつくり出した概念に違いない。パソコンから連想し、多種のゲームソフトが売られている街に彼らが集まりそうなイメージを重ねたのだろう。疑似環境が現実環境を創造することは知られている。ねつ造されたイメージは今や、実態となって秋葉原をはじめとした街中で見かけることができる。

事件が後押しした治安強化の法整備
 今回の「アキバ事件」は、懸案の政策を促進させる契機として絶妙の時期をとらえている。すでに実施されている盗聴法に続き、治安を強化するための幾つもの法整備を後押しした。

 まず、インターネットへの規制が挙げられる。「有害サイト規制法」が参議院本会議で可決、成立したのは先に述べた。同法は携帯電話事業者やパソコンメーカーに対し、有害情報へのアクセスを遮断するフィルタリングサービスの提供を義務付けたもの。

 日本新聞協会やマイクロソフトなどネット事業者5者が「表現の自由を侵す可能性がある」と反対声明を発していたため、業界でつくる第三者機関「モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)」が基準を示し、有害かどうかを判断することになった。

 加藤容疑者が携帯サイトに犯行予告をしたことから、今後は運営会社が常時監視し、土日祝日も通報や問い合わせに応じることになった。犯罪を示唆するネット上の書き込み情報を受けた警察が即座に捜査を行えるよう、秋には官民共同の実務者による連絡網を創設する方針も示された。

 秋葉原の事件後、インターネット上で相次いだ犯行予告の書き込みも規制の後押しになったと思われる。中学生から40歳代の会社員など33人が逮捕や補導、書類送検された。新聞は「模倣犯」と片付けているが、本当にそうだろうか。年代や地域の広がりから、組織的に行われた可能性を一層感じる。このデリケートな時期に、普通の人が「池袋行って100人ぶっ殺す」「アメリカ村で無差別殺人を起こします」などと書くだろうか。後者は続けて「秋葉の件でこんな僕も勇気がわきました」と模倣であることをわざわざ強調している。 

 凶器所持への規制も進んだ。新聞によれば、今回の事件で使われた両刃のダガーナイフ(短剣)は7月8日までに群馬、愛知、京都など12府県が事件後18歳未満の青少年への販売を条例で禁止した。宮城、三重など5件が近く販売禁止を予定し、北海道、東京など18都道府県が「検討中」という。

 刃物を振り回しての無差別殺傷事件は、1月に東京・品川、3月に茨城・土浦でも起きている。昨年、東京・町田での暴力団組員発砲や長崎市長射殺、佐世保の乱射事件などが立て続けに起きて突然銃規制が強化されたのと考え合わせると興味深い。これは偶然だろうか。

“ホコ天”廃止工作もついに実る
 事件を受け、歩行者天国も当面中止になった。約35年間続いた休日の秋葉原電気街ののどかな光景が消えた。廃止を画策する勢力がいたことは、それまでの経緯からも明らかだ。4月25日には、自称グラビアアイドルの女性が公共の場所でみだらな行為をした疑いで万世橋署に逮捕されている。このささいな事件はマスコミが報じており、『内外タイムス』は「秋葉原ホコ天廃止説急浮上」と題し、警視庁ホームページの「歩行者天国」の趣旨を引用。「〈歩行者用道路として人と車を分離し、安心して楽しい散策やショッピングができるように設けられたものです〉とあるが、今のアキバのホコ天がそのような様子でないことは確か」とし、「アキバのホコ天廃止があってもおかしくはない」と結んでいた。

 『J-CASTニュース』というネットニュースは、殺傷事件の2日後、千代田区がホコ天中止の検討に入ったことをいち早く報じている。加藤容疑者と秋葉原の強い結び付きや過激な路上パフォーマンスの横行を指摘し、地元町会から廃止を求める要望があったことを繰り返す。題は「『これ以上イメージ悪化避けたい』 秋葉原『ホコテン』廃止検討」の題で、ホコ天に対する批判的な声だけを載せている。マスコミは外部権力の手先として国民世論を誘導する役割を担うが、『J-CASTニュース』は特にその度が越している。植草一秀元教授が冤罪を主張する事件でもいち早く「クロ」と決めつけ「ミラーマン」「サワリーマン」などの形容で揶揄、支援者のブログまで攻撃してきた。

 4月に捕まった自称グラビアアイドルは、2004年ごろからイメージDVDを出していて、歩行者天国で歌いながら下着を撮影させたり、過激なパフォーマンスで警察から厳重注意を受けていたとのこと。恐らくスポンサーがいるのだろう。でなければ、リスクしかなく収入にもならない恥ずかしい行為をするわけがない。そして、殺傷事件が廃止論にとどめを刺した。敏感な読者なら、最初の騒動が報じられた時点で権力が閉めたがっていることを察知したはずである。

精神障害者の予防拘禁も意図か
 もう一つの懸念は、精神障害を理由にした予防拘禁政策への布石が打たれた可能性である。東京地検が7月7日、加藤容疑者について起訴前の鑑定留置を東京地裁に請求し、認められた。報道は「犯行の計画性を強調する一方で、責任能力の有無が焦点になる可能性が高いことから起訴前の鑑定が必要と判断したもの」などと地検決定を無理に弁護している。権力者が今犯罪に精神障害の要素を組み込みたい強い意図が見てとれる。

 刑法は、被告が犯行当時精神障害によって刑事責任能力がない状態(心神喪失)なら無罪、責任能力が著しく低下した状態(心神耗弱)なら刑を軽くすると定めている。「精神患者に甘すぎる」との向きもあるが、逆に予防しようとすれば、大変なことになる。

 昭和49年に公表された改正刑法草案に盛り込まれた保安処分(97~111条)には「禁絶処分」と「治療処分」とがある。前者はアルコールおよび薬物使用者対象、後者は同98条で次のように規定している。「精神の障害により、16条2項(責任能力)に規定する能力のない者(現刑法でいう心神喪失者)又はその能力の著しく低い者(現刑法の心神耗弱者)が、禁固刑以上の刑にあたる行為をした場合において、治療及び看護を加えなければ将来再び禁固以上の刑にあたる行為をするおそれがあり、保安上必要があると認められるときは、治療処分に付する」としている。この強権的な予防拘禁政策は、今のところ実現していない(予防拘禁へ向けた策動については、このサイトが鋭い分析をされている)。

 しかし、油断はできない。児童虐待防止法改正で子供の国家管理が進む一方、大人は児童ポルノ禁止法改正や人権擁護法案、共謀罪を盛り込んだ「条約刑法」の提出などで、監視・拘禁が強化されている。3月に茨城県土浦市で捕まった金川真大容疑者も鑑定留置中だし、06年12月の東京・渋谷の妹殺しの予備校生も「切断時は心神喪失」との鑑定結果が出されている。夫殺しの三橋歌織被告は1審で責任能力が認められたが、「心神喪失状態」との鑑定意見が付けられている。特に金川容疑者の場合、72歳の男性を殺害した4日後に8人の無差別殺傷に及んでいる点が絶妙である。

メイド喫茶の入植は奴隷化を暗示
 では、この事件はこれら治安強化の施策を推進するために起こされたのだろうか。筆者の解釈では、それは副次的な目的にすぎない。最大の目的は、日本が産業技術の先端国から奴隷と殺戮に満ちた植民地に堕したことを内外に宣言することだったと考える。

 秋葉原は戦後ずっと、高性能で高品質の家電製品を廉価で売る電気街として知られた。わが国は敗戦国でありながら勤勉と勤労によって世界の技術を吸収、改良し、世界一の良品を供給するまでになった。秋葉原は“日本株式会社”の陳列棚であり、技術立国ニッポンの象徴であり続けた。今回の事件は、この象徴を転換する決定打だった。

 バブル崩壊後、この街の象徴転換は意図的に着々と進められてきた。PCソフトとしてゲームやアニメも扱うことから、「オタク」のイメージをつくり上げた事情は先に述べた。日本の没落を強く印象づけたのはメイド喫茶の登場である。日米構造協議で米国に強要された大店法廃止によって電気街は歯の抜けた状態となり、そこへこうした珍奇な風俗店が寄生した。

 「メイド姿に萌え」などとの表現が大衆媒体に氾濫するが、本当にみんなはときめくのだろうか。日本人がフリル付きのエプロンドレスをまとった姿など、わたしには異質で悪魔的なものにしか映らない。大手週刊誌や映画、民放ドラマにもこの格好をしたタレントたちが登場しているようだから、巨大資本がメイド様式普及のためのキャンペーンの背後に控えていることは間違いない。

 在日米国商工会議所(ACCJ)が2006年に発行した『ビジネス白書--相利共生』には外国人ホームヘルパー導入への言及がある。「人的資源」の章で移民の活用を挙げていて、わが国の女性が出産や育児、介護に縛られずに働けるよう、外国人ホームヘルパーについて家庭が雇用主になって就労ビザを取得できるよう求めている。メイドブームは外圧からきているようだ。

 こうした要求に沿う形でブームに火を付けているのが、日本メイド協会である。同会のホームページによれば、国内唯一のメイド関連事業者の団体として、メイドの普及と育成、社会的地位の向上のための活動を行う。その一環として同会は2007年10月からメイド検定を実施している。目的を「ご主人様(お嬢様)へ使えるスキルを養いつつ、メイドとして積極的にホスピタリティを発揮したい人を育成するため」としており、遊びではない。1、2級の合格者は本物のメイドとして、仕事のあっせんを行うとしている。理事長は秋葉原でメイド服専門店を経営するほか、メイドによる自宅清掃サービスやメイド店員をそろえた眼鏡店も手掛ける。

 こうした会の貢献があってか、メディアには丈の短いメイド服を着た長身モデルが散見される。「地位向上」のためのイメージ戦略が展開されているようだが、主人に完全に尽くすことを目標とする「職業」があこがれの存在であっていいはずがない。メイドブームは日本人奴隷化の予告と見なすことができる。わが国の権力を掌握する外部の支配者は、秋葉原を産業技術の聖地から奴隷労働の発祥地へすり替えることで、われわれを愚弄しているのではないか。

 日本人を奴隷化したいもくろみは、『蟹工船』の好調な売れ行きが補強する。メイド喫茶が自然にできるわけがないのと同様、版元も流通も小売りも大資本が支配する出版界で、平年の70倍強の30万部増刷ヒットが自然に起きるわけがない。対談や新たな書評、記事やテレビ番組での紹介など、パブリシティーを駆使した結果にほかならない。こんな悲惨な本を読まされ、メイド姿にうっとりしている日本人を見て彼らは笑っているはずだ。ついでに言えば、多喜二は特攻警察に拷問されて亡くなっている。進む国民監視の強化を思わせる。

秋葉原は“天国”から“地獄”の象徴へ
 今回の事件は、アキバにメイド以外の新たな印象を刻んだ。派遣労働者という低賃金で不安定な身分、彼女なし、孤独からネットに没頭、受験競争での挫折、繰り返される転職、そして殺人…。加藤容疑者のプロフィールは、不遇な若者の負の要素を集約させたかのように描かれた。それが一遍に秋葉原に転嫁させられた。そういえば金川容疑者も、指名手配中の4日間、秋葉原のビジネスホテルに潜伏したことにされている。現代日本の抱える負の部分について、街ごとスケープゴート化した感がある。加藤容疑者は裕福な家庭との指摘があるし、元祖オタクの宮崎元受刑者は地元では名家だった。作為性がつきまとう。

 新たに刻まれた悪印象の最たるものは、もちろん殺人である。歩行者天国が消えた秋葉原は、文字通り“天国”から“地獄”へ変わった。これは今後のわが国の予告として起こされたとみるべきではないか。つまり、大量殺りくをわが国民に起こす宣言に思われてならない。

 すでに無差別殺人はあちこちで起こされている。秋葉原の事件だけではない。高齢者の男性が、息子夫婦と孫を刺して110番通報し、逮捕されたり、高校生が両親を刺して家に火を放ち、交番に自首したりといったたぐいの事件が、報じられているだけで今や週に2件は起きている。110番通報したのは別人だし、高校生は通報しに駆け込んだのだと思われる。日本の警察は組織にいる真犯人を捕まえることができないのだ。

 支配者にとってわが国は、まるで料理屋の生け簀くらいに思われているのだろう。「明治維新で人口を10倍に増やしてやったのはおれたちだ。だから、煮るも焼くも、おれたちの自由だ」と言わんばかりに。

「若者は戦場へ」こそ究極のメッセージ
 この先、家族げんかに見せかけた殺戮は一層増えるとみられる。自民党が検討している移民1000万人受け入れと人権擁護法の導入はこれを助長するかもしれない。長野市で行われた北京五輪聖火リレーでも、警察官は中国人による一方的な暴力を黙認し、日本人だけを逮捕した。これからは移民をかばう理不尽な権力の弾圧に「日本は日本人のためのもの」と叫んでも、銃刀法規制強化で手にする武器はなく、ただ暴力を受けるしかないだろう。

 流血を伴わない口減らしは、すでに行われている。「男女平等」の宣伝は少子化を招き、ガソリン高騰は庶民から食料品を奪っている。日常の間引きにも限界があるから、専用のステージが用意されるのは間違いない。すでに国民投票法案も通っており、権力者は動かす機会をうかがっている。

 わが国は小泉-竹中政権による規制緩和とデフレ下の緊縮財政で没落の一途をたどる。郵政民営化によって国債暴落による金融不安を抱え、昨年5月の三角合併解禁が外資による買収に拍車を掛けている。今や20代の2人に1人が非正規雇用。しかも、国民の最後の安全網である健康保険と年金は、歳出削減と基金の「効率的運用」を口実に取り上げられようとしている。貧しい若者は傭兵としてイラクへ送り込まれる算段に違いない。これが秋葉事件の究極のメッセージではないか。
 秋葉原の惨状は、テレビや新聞などを通じ、国中に伝えられた。海外メディアの一部も取り上げたほどである。わが国の行く末を宣告されているにもかかわらず、ほとんどの国民は怖いもの見たさに事件のむごさを騒ぎ立てたり、マスコミが描く容疑者の境遇を生真面目に問題視したりしている。支配者はこの反応を見て嘲笑っているはずである。

 そもそも、マスコミなど、この役割を担うためにあるとみるべきである。有賀裕士氏は『悪魔の生贄殺人』(第一企画出版)の中で、殺人事件とメディアの関係について、興味深い指摘をしている。支配組織は仲間内だけで執り行っていた殺人儀式に、国民全体を誘い込むことを考えついた。そのために発明されたのが印刷術や無線、ラジオ、テレビなどであるという。けだし、慧眼である。

 「ひどい男だ、加藤って」「あの殺され方はひどい」「雇用環境が悪いから、無理もないよ」。われわれがマスコミ報道に忠実に反応すれば、支配者は笑うだけである。われわれがなすべきは、事件の虚構を見抜き、わが国に襲いかかろうとしている企てに気付くことではなかろうか。そうすれば、支配者の描く陰惨な計画は、何一つ進まなくなるのだから。
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