カカシだろうがハチノアタマだろうが、マニュアル的にやって40点50点取れるのが科学的ということ。
変数が多過ぎて統制できてないけど、おそらくたぶん効いてると思う、ってことはままあるでしょうね。そういうのってなんなんでしょね。
理論や技法って本当は100点とれるところを60点くらいに抑えるためにあるのかもしれない。て書くと嫌味っぽいけど,そのほうが継続性があるんだろうなと思います。日常は終わりがないから,100点を10回とるんじゃなくて,60点を100回も200回もとって,さらにそれを継続していく。
“芸術作品において本質的なことは、それが美しいかどうかではなく、観る人の思考を促すかどうかということなのである” / “レディ・メイド - Wikipedia” htn.to/n6GuMh
「レディ・メイド以前、芸術は、職人的な手作業で制作していく過程を経てたった一点しかない、美学的に価値があるものを創造できると考えられていた」 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC… “レディ・メイド - Wikipedia”
しかし、マルセル・デュシャンは、芸術作品に既製品をそのまま用いることにより、「芸術作品は手仕事によるもの」という固定観念を打ち破り、また「真作は一点限り」という概念をも否定した。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC… “レディ・メイド - Wikipedia”
三ツ星レストランとファミレスどっちが良いかって言われたら,金銭を度外視できれば,誰だって高級レストランでしょうけど,ルノワールとウォーホルどっちが良いって言われたら,それは人それぞれになるでしょうね。提供してるものがスペクトラムでない。
マニュアル的な心理療法って,非マニュアル的な心理療法の劣化コピーを,従来ある戦場に投入するというよりは,戦場自体を変える,みたいなことかもしれないですね。違う戦場。ポップアートが美術界から広告に舞台を移したように。
そうするとウォーホル的な美術品をルノワール的に批判するのは,できないことはないけれど,ウォーホル的な価値をルノワール的な価値ですべて表せないのと同様に,やっぱりその批判はどこかズレてしまう。噛み合わないのでしょう。
それでも,ルノワールを見たいという人はいなくならないでしょうし,また,ルノワールを広告的に使うことだって,できるでしょうね。
ただやっぱり評価軸は違うから(戦場が違うから),そこをごっちゃに語るとなんだかよくわからないことになる。ウォーホルはルノワール的な芸術ではないということはできるけど,ウォーホルは芸術ではないということはできない。
マニュアル的心理療法は非マニュアル的心理療法ではない,とは言えるけど,マニュアル的心理療法は心理療法ではない,かどうかは,それこそ文脈による。
戦場を変えるって言葉はヤヤコシイですね。戦場に革命をもたらすという意味ではなく,いままでジャブローで戦ってたけど,ソロモンに転戦しましたという意味で書いてます。
「マニュアル的心理療法は非マニュアル的心理療法ではない」って言葉は,誰でも分かる通り,意味内容がないですね。だからたぶん言わなくて良いんだと思います。
パーソナリティ特性も一つ増やして,BIG HERO 6にするとか……。
[MM登録] カニの不思議 bit.ly/1Fqxtq8 ジュディス・S. ワイス (著), 長野敬 (翻訳), 長野郁 (翻訳)
[MM登録] 辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 bit.ly/1FqyONG 佐々木 健一 (著)
@moe_zou ジム以前とジム以降,って感じですかね。たぶん気にしてくれるの,萌さんくらいと思いますが……。
学研の『科学』と『学習』がないこの世知辛い世の中に生まれて……さまざまな検討と試行錯誤の結果,我が家では『子供の科学』(科学相当)と『ジュニアエラ』(学習相当)と不定期の『ドラえもん ふしぎのサイエンス』(科学の付録相当)という布陣でいくことと相成りました!
『ドラえもん ふしぎのサイエンス』は確かに付録が強烈に魅力的なんですが,読み物としてもかなりスバラシイ……。ほんとは月刊で出してほしいくらいですね。
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