教養不要って教養ないやつが言っても説得力ないけど、同様に、教養大事って教養ないやつが言っても説得力ないよね……。今からでもがんばるぞ!
文学部不要論なんかも同じで、「文学的」ていうのが時に揶揄や批判になるこの世の中で、文学は大事というのは一体どういうことかってのは、ちゃんと考えた方が良い。やんわりした教養主義的礼賛ではなくて。
お題目ならなんぼでも言えますよ、文学部は大切で、三角関数も大切で、戦争には反対で、いじめはカッコわるい。言えば良いならいくらでも言いますが、現状、どうなんでしょうね。
文学的だなあ、科学じゃないよ笑的なことは日常よく言われるんじゃないですかね。そん時に、いや、文学で良いのだ!と言えるかな? 心の底から?
多様性が大事みたいなのも似てるかも。口当たりの良い理論武装はいくらでも可能なんですけど、本当のところはどうなんだろう。もちろんとりあえずお題目唱えとけって考えもあるでしょうし、一定の有効性はあるんでしょうけどね。
基本的に、科学は画一化目指してるから、画一性のが大事だと思う。足が速い人でも足が遅い人でも、等しく目的地にだいたい同じ時間に着けるように、種々の技術があるわけで、到着時間まちまちでも良いじゃない、みんな違ってみんな良い、とはあんまりならない……。
不便でも我慢しろ、無駄なことに金をドンドン使え、ものの良し悪しなど気にするな、という社会は理想社会足りうるか、と言えば、条件付きで可能かなとは思います。
ってグルグル考えると、ホリエモン的な身も蓋もなさにたどり着いたりするけど、まあ、金銭、唱えられる理想をすべて実現できる金銭って、具体的にどれくらい必要なんでしょうね、八京くらい?
限られたパイの奪い合いに多様性もなにもないでしょうね。できるとしたらパイ自体を増やすしかない。
文学はパイの奪い合いに有効ではないんでしょうね、腹立たしいですな、全部文字で書かれているというのに!
日本では日本語が主に流通してるとすれば、文学最強!と言える気もするけど、人生は劇場だ!とすれば、演劇最強かもしれない……(ナニコレ)
問答無用で叩き込まれたものが、いつかどこかで役立つ、かもしれない、みたいな、基本的には、根性論かつ直近の経済的合理性を無視した、気の長い話なんだと思ってます。
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