英国的読書生活

イギリスつながりの本を紹介していきます

さよなら!「ぷり爺さん」

2006-09-28 | 日常
先週末は庄原市にある国営備北丘陵公園に行きました。ここは亀井静香が地元に誘致した中国地方初の国営公園です。広大な花畑、広い芝生広場、色んな体験が出来る民家施設、自然を利用した遊具施設などお弁当を持って行くには楽しいところです。(やっぱIT系より青空の下でのお弁当ですよホリエモン!)お目当てのコスモスはまだ3分咲きでしたが、夕方までたっぷり遊びました。中でも娘も気に入っちゃったのが神楽の舞台。ここ中国地方は昔から神楽が盛んな地域ですが、近年ますますブームとなっており、人気の神楽団には「追っかけ」が出る有様です。シンプルなお囃子にのって舞われる演目は、神話や中世の物語に題を取っており、鬼女や大蛇を打ち負かす勧善懲悪ストーリーが心地良いです。舞台ではスモークを焚いたり、花火が振り回されたりと演出も凝っています。秋風に身を任せて、ちょっとのつもりが2時間も観てしまいました。高い芸術性は無いですけど、地域生活に根ざしたスペクタクルには間違いありません。
実はこのお出かけ、「ぷり爺さん」とのお別れドライブでした。半年前、多くの心無いバッシングに耐えて延命措置を講じたわけですが、10月の車検を前に万策尽き果て新車への買い替えと言う決断を下したのです。

先々週、気乗りしない私はディーラーを訪れました。
若い営業マンが笑顔で出迎えます。
「よろしかったら下取りの査定をさせていただきます。」
私「もう値がつかないと思うんですが」
営業マン「そんなことはございません。精一杯見させていただきます。」
奥で待つことたったの5分。今度は店長が現れます。
「えー・・査定させていただきました。結果は・・・」
彼の示す書類には、でっかい「使用済車」のスタンプが・・。
店長「いやー、使用済車なんて失礼な言葉で申し訳ございません。我々の業界の言葉でして・・・。」
だったらスタンプ押すなよ!0円査定は覚悟してましたが、この「使用済車」にはちょっとショックでした。

初秋の中国自動車道、使用済車「ぷり爺さん」が快調に走ります。
隣のレーンをベンツとBMが駆け抜けていきます。
私「あの車、追い抜いちゃおうかー。」
娘「うん!ぬいちゃって!」
ちょっとキツイ勾配のゆるやかな右カーブ。爺さんの得意なシチュエーションです。次の瞬間(ちょっと大げさ)、ベンツとBMはバックミラーの中で小さくなっていきます。
「はやいね!、パパ」
「速いよねこの車!」

私もひょっとしたら会社では、「使用済社員」なのかもしれませんね。でもね・・・、やっぱり・・、まだまだ・・・・。


13年間、走行距離10万6千255キロ。
ありがとね。ご苦労様!
30日のお別れの日にはピッカピカに磨いてあげるからね!

ダメ男再び登場!

2006-09-27 | イギリス
トニー・パーソンズ「ビューティフル・ファミリー」

「ビューティフル・ボーイ」の続編です。
幼い息子パッドをかかえたダメ男ハリーも無事に再婚。仕事も順調。家庭も円満。そんでもって前妻も再婚。これでみんなが幸せに・・・。と思いきや、ダメ男の人生、そんなに甘くはありません。息子パッドは前妻の家に行くはめに。そして前回の反省もどことやら、同じ轍を踏んじゃうのか・・・、今度は何と日本人女性によろめくダメ男。
普通の人の普通の生活が描かれるんだけど、イギリス人ってこんなにウジウジした性格でしたっけ。けっこう病んでる様にも思えます。ダメ男日本代表「フーテンの寅さん」の潔さを見習って欲しいものです。寅さんなら「結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の回りはクソだらけだ!」って旅立っちゃうんでしょうけど。

原題は「Man and Wife」。
イギリスの女性はけっこう恐い・・・。

ダメ男登場!

2006-09-26 | イギリス
トニー・パーソンズ「ビューティフルボーイ」

古今東西、ダメ男というのは存在します。
これは現代イギリスのダメ男のお話。
主人公ハリーはロンドンでテレビ関係のプロデューサーという業界人。美人で脚の長い妻を持ち、4歳のスターウォーズ大好きな男の子との3人家族です。何不自由なく前途も洋々のはずだったのですが・・・。肝心要のタイミングで大きな過ちを犯しちゃいます。
一夜限りの同僚との浮気・・・・。ダメ男というのは運がないのも特長です。家に忘れた携帯電話に残された浮気相手のメッセージから、一発で奥さんにばれちゃいます。幼い息子と突然2人きりでの生活がはじまったハリーは・・・。
自分と息子との関係、そして自分の父親との関係を見つめ直す日々がつづられていきます。
もうちょっとしっかりしろよ、ハリー! そうじゃないだろ、ハリー! 思わず声をかけたくなるダメ男と悩めるイギリス人家族たち。面白くちょっと哀しい物語。
原題は「Man and Boy」。父親はダメでも息子はとっても可愛くしっかり者。
作者トニー・パーソンズの奥様は日本人。そのためか日本人の心にもストレートに響いてくる作品です。
私は何故かヒュー・グラントをイメージしてしまいましたが・・・。

歩けば尊し

2006-09-20 | 日常
恩田 陸「夜のピクニック」


たまには日本の小説を。
この本は発売と同時にある書評にひかれて買いました。今時こんな女子高校生なんていないよな、と感じながらも読み終えるのが悲しく、もっと続いてくれ!と思っちゃう爽やかな青春小説でした。
で、思い出したのが私の学生時代の夜間歩行・・・。
くわしく言うと大学名もばれちゃうのですが、秋の大学祭と合わせて「遠歩会」なるものが毎年開催されてました。今も続いているのかな?
以下当時の思い出。
それは某有名な山の山頂広場から市内の大学までの約60キロを競争するというもの。ちなみに女子は麓からの約40キロで競います。参加者は午後9時に一旦大学に集められバスで山の上まで運ばれます。そして午前0時号砲とともに・・・じゃなくて係員の「はーい、出発してくださーい」の声でスタートです。この時なんと全員が走り出すのです。「何で走るーん」長距離走が極端に苦手な私はつい叫びます。まあ全員が走るのはせいぜい百メートル程度なんですが。ただトップ集団は怒涛の如く走り去って行きます。この連中はだいたい水泳部とかワンゲル部とかに属し、部の名誉を賭けて参加しているやつらです。だいたい午前4時過ぎには大学に到着するという体力だけの動物です。続いて走っている集団は20キロ先にいる女子と合流しようという本能のままに生きる動物たちです。そして私の様に話の種に参加したとか、研究室やゼミから強制的に参加させられた者たちが続くのです。スタートから1時間ほどは皆元気です。満天の星空が360度視界に広がり、流れ星がこれでもかと流れます。最初は平坦な道なのですが、ここで上り坂に変わります。山を降りてるのに・・・・、不安になります。振り返ればさっきスタートした地点からほとんど進んでないことに気付きます。私とグループを組んだIくんとTくんとの計画では時速5キロでステディに歩けば昼までには大学に帰りつくはずです。あと11時間・・・。大きなカーブを曲がると急に視界が開け、麓までが一望できる場所に差し掛かります。昼間は観光客が必ず記念写真を撮る場所です。麓の明かりがあまりにも遠くに見えます。とにかく20キロ歩かないとリタイヤするにしろ鉄道駅まで行き着きません。この段階で急に走り出す者がけっこう出てきます。どうせ苦しいなら早く終わらせたい!愚かな人間の心理です。私たちはとにかく毎時5キロをキープします。ここから麓まではとにかく下り坂となります。この坂でたいていの者が膝と踝を痛めます。ようやく麓にたどり着き国道に入ります。ここでチェックポイント。参加証に捺印をもらい次のチェックポイントを目指します。はるか先を走っていたはずの者たちの中で道端に倒れているのにちらほら遭遇します。自業自得です。己の体力を考えずに本能のまま女子に追いつこうとした果てがこのザマです。夜明けが近づくとともに霧が出てきます。懐中電灯の明かりがサーチライトの様に空に舞います。
ようやく30キロチェックポイント。ここで夜が明けます。このポイントで大きな判断に迫られます。鉄道駅はすぐ横。まもなく始発列車が出ます。リタイヤして列車に乗れば1時間後には下宿で爆睡できます。何人かが駅のほうに向うのを横目にスタートします。ここまで来ると余分な休憩を取ると足の痛みで動けなくなりそうです。
40キロ・・・。交通量が多くなります。すれ違う車から「頑張れ!」と声が掛かります。ここでいっしょに歩いていたIくんが突然「耐えられん!」と走り出します。私は後を追えません。
50キロ・・・。市内に入ります。足首の痛みはピークとなります。女子の最後尾といっしょになります。何の感情も湧きません。と、前方にロック研のHくんが倒れています。ロックンローラーの悲しい最後です。
11時半ようやくゴール・・・。朝には地元テレビ局の中継車が出てたそうですが、この時間になるとスタッフだけが出迎えてくれます。ゴールした者には「完歩タオル」と呼ばれる記念の手ぬぐいが渡されます。この手ぬぐいを持参すると近所の銭湯がタダになったり、定食屋が半額になったりするのですが、とにかく下宿に這い上がってバタンでした。
ちなみにこの日の最終ゴール者は午後3時半だったそうです。
小説と違って、ちっとも胸キュンじゃない汗臭い私の「夜のピクニック」。でもあの夜の星空と夜明けの美しさだけは今も鮮明に思い出します。

自分のことばかり書いちゃいましたが、
かつては輝いていたのに、濁った日常に浸ってる方にお薦めの本です。

ネルソンのZ旗

2006-09-14 | イギリス
昨年はトラファルガー海戦勝利200周年でした。この海戦にもしイギリスが負けていたら、イギリスの公用語はフランス語になっていたかも・・・とまで言われている天下分け目の戦いでした。というと多少大げさな様な気もしますが、イギリス人の国家意識のある部分を形成したことは事実です。
この海戦の始まりから、戦い後の両軍の状況までを具に活写したのが、

ロイ・アドキンズ「トラファルガル海戦物語」

この本、ナポレオン戦争にいたる国際政治の状況や経緯などは全て省かれ、いきなりの初弾発射から記述がスタートする潔い構成となっており、当時の関係者の証言をかき集め積み上げることでネルソン率いるイギリス海軍がフランス・スペイン連合艦隊に対しどの様な戦いを挑んだのかが非常にいきいきと記述されています。
数の上で勝る連合艦隊。ネルソンは縦に長く展開する相手の戦力を分断しようと2列縦隊で旗艦ビクトリー号を先頭にど真ん中に割って入るのです。この時信号旗を使って全軍に伝えられたメッセージが有名な「England expects that every man will do his duty」です。
当時はもちろん帆船の時代。たとえ風を味方につけていても急な制動が出来ません。両軍の戦いは、位置的にはスローにスローに展開するわけですが、艦載砲の斉射をしあう艦上は地獄絵巻が繰り広げられます。そんな戦いの中平然と甲板を闊歩する海軍士官たち。
ネルソンの大胆な作戦もさることながら、連合艦隊側の士気は著しく低く、イギリス側の2回斉射に対し連合艦隊は1回しか斉射が出来ない有様で次第に結果が見えてきます。そして決定的なダメージを与えたのは、戦い後両軍を襲った未曾有の大暴風雨だったのです。もちろんイギリス側も大きな被害が出ましたが、連合艦隊は壊滅的な損害を受け、フランスの制海権は失われたのでした。その後フランスは大陸での勢力を依然として保持するのですが、イギリス侵攻というナポレオンの夢は破れたと言ってもいいでしょう。
イギリス人にとってのネルソンは日本人にとっての東郷平八郎とはちょっと違った存在のようです。このブログで紹介したものにもネルソンに関するものがよく登場しています。タイタニックの映画では、避難する少年の頭にしっかりとネルソンの帽子が被さっています。「シティー・オブ・タイニー・ライツ」では主人公の父親が上記ネルソンの名言を引用します。そしてネルソンの葬儀を取り仕切るホーンブロワー
昨年のプロムス・ラストナイトは200周年を記念して「海」をテーマに開催されてましたね。

歴史が苦手な人も楽しめる作品です。

いやいやえん

2006-09-05 | 日常
「いやいやえん」が出版されたのは1962年。以来たくさんの版を重ねて多くの子供たちに読み継がれています。
この本は保育園年中児「しげる」を主人公に7つのお話からなってます。

「ちゅーりっぷほいくえん」
園児が守らなければならないお約束がいっぱいです。
「くじらとり」
娘はこのお話が嫌いです。冒険がまだ怖いみたい。
「ちこちゃん」
娘の幼稚園でも毎日同じ騒動が。
「やまのこぐちゃん」
赤いバケツがかわいいです。
「おおかみ」
私のお気に入り。
「山のぼり」
ちょっと怖いお話。
「いやいやえん」
娘が聞き分けない時に、「じゃあ、いやいやえんに行く?」というと、たいてい涙ぐみます。家の前にくだもの屋があるもんだから本当に存在すると思っているみたいです。幼稚園でも先生に「いやいやえん」が裏にあるという話をしているそうです。最近では一度パパと行ってみたいなどと言っています。

私も、そして弟もこの「いやいやえん」のお世話になっていました。母の膝を二人で取り合って読んでもらう幸せ・・・。忙しい母にある時名案が閃きました。子供たちが喜ぶこの本を録音したら忙しい時にも読んであげられる・・・。当時家にあった古いソニー製のテープレコーダーに我々兄弟の前で吹き込みを開始します。母が選んだお話は5番目の「おおかみ」です。最初は快調に録音が進んだのですが、途中になると、どうもセットしたテープの残量が乏しくなって来たようです。母の読み方が多少速くなります。しばらくすると目に見えてテープが無くなってきます。母の読み方はモーレツに速くなります。私と弟はどうなることかとテープレコーダーで回るリールを見つめます。あと1ページで・・・という時に無情にもテープはシュルシュルとリールから抜けて無くなってしまったのです。もちろん録音は途中でブチッと切れた状態・・・。私たちのクスクス笑う声も入ったこの録音、その後しばらく家に保管されていましたが、テープレコーダーの処分とともになくなってしまったようです。
写真は実家にある「いやいやえん」。手垢にまみれていますが、まだまだ現役です。帰省時に娘がおばあちゃんに読んでもらう本と決まっています。

同じ作者(中川李枝子と大村百合子)による絵本「ぐりとぐら」も有名ですね。「ぐりとぐら」でみんながホットケーキを食べるシーンには「いやいやえん」の 赤バケツを持ったこぐちゃんとタオルとブラシを持ったおおかみが仲良くご相伴していますね。

国会に行こう!その2

2006-09-01 | イギリス
議会が休会している夏場(8月、9月)には内部見学が出来るツアーが開催されます。これは時間指定の予約制となっており、ネットでのチケット購入も可能です。今年の値段は大人£7です。私は妻と2001年の夏にこのツアーに参加しました。チケットに記された時間に集合場所(議事堂南の公園)に行くと入場時間毎に数グループ(1グループ10人程度)に分けられ、ライセンスを持ったガイドが1人ついてくれます。私のグループはドイツ人、アメリカ人、イギリス人との多国籍混成チームです。ガイドさんの簡単な自己紹介の後、上院の入り口から入場。もちろん厳重なセキュリーティーチェックがあるのですが、ここでガイドさん「もちろん女王陛下はこのボディーチェックは受けません」とジョークを飛ばしてくれます。
ロビーに入りまずは議事堂の模型を使って全体構成の説明を受けた後、ロイヤルギャラリーから見学スタートです。このギャラリーにはワーテルローの戦いの巨大壁画が掲げられており、大英帝国の威容を見せ付けてくれます。そして控えの間を通って上院の議会場へ。

下院と違って色調は赤と金でまとめられてます。この絢爛な場所で我々は絨毯の上に座らされガイドの説明を受けます。この上院、今では名目上だけの存在ですが、議会の格式だけは十分に伝えてくれます。次は下院。上院との仕切り扉を抜けると傍聴した時に通ったロビーに出ます。で、今回は傍聴席ではなく議会場の入り口に向います。下院議会場の入り口には左にチャーチル、右にロイド・ジョージの像が立ち歓迎してくれます。チャーチル像の足に触れると幸運を得ることが出来るという言い伝えがあるらしく、皆で触らせてもらいます。そして議場に・・・。

以前傍聴席から見てはいますが、こうして自分の足で立ってみますとさらに感激します。全体はけして大きくはないのですが、その存在感と歴史の重みはなかなかなものです。ガイドからは議員席に座ってはいけません!と言われてましたが、隙を見てフロントベンチに座ってしまいましたよ。もちろんディスパッチボックスもしっかり触って来ました。最後はかつてのウェストミンスター宮殿の名残りであるウウェストミンスターホールまで案内され解散となります。議事堂内は写真撮影厳禁ですが、このホールだけは許されてます。ホールには臨時のショップも設けられていて色々な議事堂グッズを買うことが出来ます。私は議事堂の紋章が入ったセーターを着た「クマさん」を購入しました。ツアー自体は1時間15分程度のものです。
ちなみにこの夏の見学ツアー。日系旅行会社「マイバス」でも受付があります。この場合日本語ガイドが付いて£25です。

さて、お土産も買って議事堂を出ようとすると、突然青年が話しかけてきます。「日本人ですか?観光ですか?」 だいたいこの手のアプローチは危ないことが多いので、思わず後退りしちゃったのですが、よくよく聞くと、新聞記者とのこと。デイリーミラーの記者IDも見せてもらって一安心。彼曰く「今、外国人から見たイギリスの嫌なところを特集記事として企画中なので協力を」。そう急に言われてもなかなか思いつかないのですが・・・。で、出た言葉が「電話ボックスがおしっこ臭い」・・・・。我ながらオチがないツマンナイ答えです。これからはいつ何時新聞記者から意見を求められても即答できる様に精進せねば!と心に固く誓ったのですが・・・。新聞記者さん、急にまじめになって「イギリスのトイレ事情は必ずしも良くありません。特に繁華街の夜間には問題が多々あります・・・」と、弁明を始めるじゃないですか。そんなにベラベラしゃべられても、こっちは半分ぐらいしか理解できないし・・・そういう妙に生真面目なところが嫌いなんですよ。