想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

わりと身近にいる。

2013-10-13 16:51:51 | 日記

久しぶりに、父の兄にあたる伯父が来てくれた。
伯父は中野方面で暮らしている。
二年前に奥さんを亡くされたばかりだ。
その奥さんの介護を、
御年73で、5年間やっていたらしい。
近い親戚なのに何も知らず、
私は、ずっと、交通事故の後遺症から寝たきりとなり、
認知症になって、老衰を迎えたのだとばかり思っていた。

が、実際の病名は筋肉硬化症だったらしい。
これも難病で、
入院もせず、
ずっと在宅介護。
気管切開で口もきけず、
咀嚼もできないから流動食を一回の食事に3時間かけて、
午前3時から夜11時まで、
毎日、毎日…。
ヘルパーさんは入らなかったらしい。
レスパイト入院もなし。
交代もなし。
「5年目に、嫌になったよ」
と云っても、仕方のない状況だ。
そんなだから、
父の苦痛も判るし、私の苦しみも判ると云った。
でも、親なんだし、最期まで看てあげて。大変だろうけど、身体には気をつけて…

伯父は優しい人間だった。
行くといつもおいしいものをごちそうしてくれた。
板前さんだったからか、
おいしいものをかなり知っていて、
いつもいつもご馳走してくれた。
母が末期がんで、最期の信州旅行に連れて行ってくれたのも、この伯父夫婦だった。
母はそれはもう喜んで、忘れられない楽しい旅だったと何度も話してくれた。
そんな伯父なのに、なにももてなしもできず、
二時間程話して帰っていった。

病院は、何故、入院をさせてくれなかったのか。
他の病院の医師が「そういう手のかかる意思疎通ができない患者さんは受け入れない」
と語ったそうだ。




そんな、ひとたちもいるんだ…。

びっくりなんだけど。
なんの為の病院なんだろう。
治癒困難とわかると、適当にあしらわれてしまうのかな。
父が、病院で辛い想いをするように…

その辛い入院、レスパイト入院まで、あと5日となった。
二か月の間に、私は何回も限界を超えた。
でも、必ず戻ってきた。
明日だけはと想いつつ、毎日を過ごした。

病院には戻りたくない、と父は云うが、
もうここは心を鬼にして、
病院においてくるよ。

そして、次の2か月に、
必ずつなげるから…



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