平成4年 (1992) 2月19日
午前六時。間もなく夜明けである。
一人起きだしてデッキに出た。
誰もいない。
周囲360度海である。と言っても全方位を見渡せる場所がこの船にあるかどうか?。
左舷ほぼ中央。陸地島影は全く見えない。右舷からも同様である。
船がどの辺を走っているのかも判らない。時間的にはまだ航海の2/3を過ぎたころかと想われる。
しばらく海原を眺めていた。「!」人の気配。
振り返ると・・・二十歳前後の女性。とりあえず会釈。
100mほど先でイルカが跳ねた。
それが会話の糸口となった。
鯨が大好きで小笠原まで「鯨を見に来た」 とのこと。
一人旅・北海道生まれでTY大学の学生。(とりあえずエリーとしておきます)
暫くの間とりとめもない話が続いた。
「鯨が好きですが、鯨肉も好きってへんですか?」
「動物が生きて行くことは他の生命を食すると言うことだから・・・」
年賀状のやり取りが始まったことからたぶんこの時記念写真を撮って送ってあげたのではなかったか?
船内食 多分朝定食かと。 朝艇食?。
これも船内食 昼食ではなかっただろうか?。 メニューは選べたと思います。
二等船室はこんな感じです。
四品川とN母は同郷だった。
だいぶ南下した頃。これは右舷で撮影したものでしょう。(引き波から)
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左舷側に島影が見えて来たのは昼を過ぎてからだった。歓声が上がった。
※左側が聟島(ケータ島)。かっては人が住んでいたこともあったが現在は無人島である。
右側は「針の岩」と呼ばれる一帯であろうかと。
もっと近くで視たい気がするが大型のおがさわら丸がこれ以上近づくことは無い。
どうしても行きたければ父島からのツアーに参加する必要がある。
暫くして見えて来たのが媒島(なこうど島) 聟島列島のほぼ中央にあり父島寄りに嫁島がある。
聟島から二時間ほどして大きな島影が見えて来た。
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二見港に着いたのは夕刻である。
桟橋は大歓迎ムード。お祭りの様である。
『お帰りなさい』の大横断幕。万国旗も有ったか?。
人人人・・・島民の大部分が出迎えに? そんな訳は無いか。
車車車(品川ナンバーでした)。積み荷を運ぶための車両もかなりあったに違いない。
初めてなのに『お帰りなさい?』 だがこんな施設は結構ある。家族を迎えるような雰囲気で出迎えたいと言う意思であろう。
(※ ある、旅行社のトーク。サイトを視て『アットホーム』を売り物にする施設は評価しない。それは売りにするものが無いからだと)
日常から離れて離島にまで来て『家庭的な』を私も求めてはいなかった。・・・ですね。
それはともかく歓迎されていることに悪い気はしない。
宿(施設名は憶えていない)の名を記した歓迎旗。
荷物を車に預けて歩いて行ったような気がするが・・・記憶が曖昧である。
エリーは船内泊とのこと。小笠原丸は到着後、そのまま二見港に停泊。シップホテルとなる。
小団体用の部屋を割り当てられたのか、部屋は意外と広かった。
風呂に入って夕食。
ビデオには「まずはビールで乾杯」の画が残っていた。
だが何を食したのか記憶には無い。
ネガの齣番号から ↑ が夕食だと思う。
そして夜は更けて行った。
つ づ く
後のために ダイビング編目次 へLINKを貼ることにいたします。