日曜の朝早起きして、千駄ヶ谷までランニングイベントに出かけた。昨年の第1回のときはとても寒く雨まで降ったが、今年は1か月早く、スポーツ日和の快適な一日だった。参加した理由はジョギングのフォームを専門家にじっくり指導してもらえるという期待だった。期待ほどでなないものの、それなりに得たものはあった。 . . . 本文を読む
今年もケチャまつりをみにいった。最後の演目ケチャは40分もかかる長大な舞踊劇である。数十人の半裸の男たちの合唱をバックに、ラーマ王子、シータ姫、猿、ガルーダなどが美しい舞を披露する。恒例のバナナマンの叩き売りも行われた。
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保坂のぶと氏は、昨夏杉並区の小選挙区で衆議院選を闘い3万1000票差で石原伸晃氏に敗れた。今年の参院選には社民党比例代表で立候補したが、得票は6万9000票と惨敗だった。わたしは昨年の衆議院選に引き続き、今回も一介のボランティアとしてポスターの貼り替えや電話入れの支援をした。 . . . 本文を読む
韓国併合100年の今年、全国各地で「韓国併合100年写真展」が開催されている。1875年の雲揚の江華島襲撃から2009年の高知県幡多地区9校の高校生たちの津賀ダム平和祈念碑除幕まで、100点あまりの写真により日本の侵略と在日の生活の歴史をトータルに見ることができる。 . . . 本文を読む
今年の話題はなんといっても電子書籍である。大日本、凸版、グーグルのブースは黒山の人だかりだった。シャープ、ソニー、富士通など国内メーカー各社の今後の端末が参考出品されていた。ただわたしにとっては、版元ドットコムや書物復権8社の会のブースが充実していて見あきることがなかった。 . . . 本文を読む
「ガキ帝国」や「パッチギ!」を撮った井筒和幸監督の講演を聞いた。監督の映画づくりの原点は「なぜ人は会社や国家に体を売って働かないといけないのか」という問題だった。若松孝二監督の原点は「怒り」だったが、異なる「原点」をこの日聞けた。 . . . 本文を読む
5月27日朝、増田都子さんの月末定例ビラまきを行った。たまたま、ちょうどこの週に2月19日の都議会文教委員会の速記録が公開され、増田さんらが提出した請願の審議が明らかになった。都教委の教科書採択の方法そのものに問題があることを、浮き彫りにするものだった。 . . . 本文を読む
米軍普天間基地問題がいよいよ正念場を迎えようとしている。沖縄で10万人の県民集会が開催された日曜の夜、東京でもイベントが行われ1200人の市民がろうそくの火でNO BASE OKINAWAという文字を広場に描き上げた。米軍基地問題は沖縄の問題ではない、基地を沖縄に押し付けている私たちの問題なのだから。 . . . 本文を読む
練馬区江古田の武蔵高校は、旧制高校としては宮沢喜一・元首相の母校、いまは、もやい事務局長湯浅誠氏の母校として有名である。武蔵学園には桜並木があり、4月初めの入学式の季節のころ満開となる。なかでも10mのシダレザクラ、イヌザクラは「ねりまの名木百選」に選定された見事な樹木である。 . . . 本文を読む
米軍普天間基地移転問題が緊迫している。「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」は3月12日から3週連続で毎週金曜夜、連続抗議行動を実行している。26日には署名の第一次提出を行う。ピンク、ブルー、イエローの3匹のビニールのジュゴンもこの緊急行動を応援していた。 . . . 本文を読む
いまから15年前の1月17日、阪神・淡路大震災により、長田の商店街では火災が発生した。09年秋、大震災の復興のシンボルとして高さ18mの鉄人28号が新長田駅前に完成した。昭和30年代そのままの商店街には、横山光輝の「三国志」の展示スペースもある。 . . . 本文を読む
8月に都教委が採択した扶桑社教科書は、間違ったデータに基づくものであったことが明らかになった。増田都子さんが12月の「けんり総行動」でこのことを指摘した。ところが都教委の回答はふざけているとしかいえないものだった。 . . . 本文を読む
赤塚不二夫は、13歳のとき手塚治虫の「ロストワールド」に感動し、20歳のとき椎名町のトキワ荘に入居した。転居したのは26歳でアシスタント1号の女性と結婚したときだが、引越し先はほんの200m先の商店街にあるお茶屋の2階だった。 . . . 本文を読む
池袋から電車で80分、渋沢栄一の生まれ故郷やレンガ工場で有名な埼玉県深谷を訪れた。栄一生家は駅から6キロ、ずいぶん遠いところにあった。途中には、広い平野に深谷ネギやブロッコリーの畑が広がる地域だった。 . . . 本文を読む