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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

はじめて見たフラメンコ

2021年04月20日 | 美術展・コンサート

4月11日夕刻、人に誘われ、初めてフラメンコのライブを見た。情熱的な衣装と歌、激しいリズムのフラメンコギター伴奏のスペインの民族舞踊というイメージしか持たぬまま、会場のAOYAMA TOROに着いた。
出演者は、踊り手が松本もとよさん、タマラさん、小林成江(まさえ)さんの3人、歌手・小松美保さん、ギター・尾藤大介さんの合計5人。

出演者全員集合
朗々とした歌声が響き、超絶技巧のギターの伴奏で、鮮やかな色彩のドレスをまとう踊り手が舞う。本物を見て、はじめてわかったのが、巧みな足の運びと強烈な足音だ。裾の長いスカートをはいているので、あまりわからないのだが、激しい足踏みが特徴の踊りだった。フラメンコ・シューズという爪先とかかとに釘が打ってある特殊なヒール靴をはき踊っている。舞台左手に大きなディスプレイが掛けられているのだが、アップで映っているのは膝から下だ。ファンは、おそらく手の動きだけでなく足にも注目しているのだろう。激しいギターのリズム、ソロを踊る人以外の踊り手の手拍子でリズム系の音楽だということがよくわかった。拍を数えると8分の12拍子が多いが、8分の6のような3拍子系や2拍子系もあった。
踊りの曲は、日本舞踊の場合はゆったりした動きだが、考えてみるとヨーロッパのダンスはフォークダンスもクラシックバレエもモダンダンスも足を使っているものが多いように思える。典型的なのはタップダンスだ。
東洋でも、岩手の鹿踊朝鮮のチャンゴに合わせた踊りのように、打楽器を使った踊りなら、足を踏み鳴らすものもあるように思う。

基本は1人1曲で、あとの2人は手拍子を打っている。下記はネット検索した知識だけで書いているので、勘違いや間違いも多い可能性がある。じつはこの会場には、凌木智里(しのきちさと)さんのリアル・ガイドをイヤフォンで聴けるシステムが設置されていた。ただわたしの装着の仕方が悪かったり、ところどころ音楽の音量が大きく聞き取れなかったところもあった。また初めて来たもので、タパスプレートとメインの食事2皿が少し時間をあけて出てくるのだが、食べるタイミングがよくわからず、パフォーマンス中に暗闇のなかであわてて食べたりしていて、せっかくの解説を聞けないところもあった。

プログラムに書かれているセビジャーナスやソレアは曲名だと思ったのだが、リズム(コンパス)や曲調の種類のことだそうだ。1曲が3つか4つのパートから成る。パートにより歌がメインだったり踊りがメインだったりする。またフラメンコは歌「カンテ」(Cante)が中心だそうで、踊りが中心だと思っていたわたしには意外だった。

1曲目のセビジャーナス (Sevillanas)は3人全員の踊りだった。セビリアの春祭りなど祝賀行事の際、歌い踊る曲だ。だから曲調も明るい。通常8分の6拍子で、4曲で1セットの出し物だ。バイレ(踊り)の入門曲に使われるとある。
2曲目のタラント(Taranto)はタマラさん。ゆっくりとしたテンポの2拍子のはっきりした強いアクセントを持ち、鉱山をテーマとした男性的な曲だ。
3曲目のアレグリアス(Alegrias)は小林さん。alegria(喜び)という語源どおり明るく陽気な12拍子の曲種。ダイナミックで爽快なバイレが特徴。
4曲目ソレア・ポル・ブレリアは松本さん。厳かで格調が高い形式のソレアと陽気でダイナミックにリズムを打つブレリアの両者の魅力を合わせ持つ。野獣のように踊れという激しさの内にも古雅な雰囲気を漂わせている。これで1部が終了、40分ほどだった。

松本もとよさんのシギリージャ
30分の休憩をはさみ、後半の1曲目は小林さんのソレア。もの悲しく憂いに満ちた歌で、「カンテの母」とも称される。
2曲目はタマラさんのグァヒーラ(Guajira)。植民地キューバの民謡。米西戦争に敗れスペイン人移民は帰国したが、太陽に溢れたカリブを思い出し愛やハバナの美しさを歌い上げる。
3曲目は松本さんのシギリージャ。ジプシー達の世俗的悲劇の苦悩、嘆きの歌。深みがあり重厚な曲。
最後は3人全員でフィンデフィエスタ。祭り(Fiesta)の(de)終わり(Fin)という意味で、はつらつとし生命力に満ちた華やかなブレリアのリズムで踊ることが多い。
2時間弱の公演だったが、充実し濃密な時間だった。
華やかなフィンデフィエスタ。ソロで踊るとき、左上のディスプレイには足の動きが映し出されることが多い
ウィキペディアによれば、フラメンコはアンダルシア西部で18世紀末に生まれたようだ。アンダルシアはブニュエルの映画「アンダルシアの犬」で地名を知るだけなので、地図をみるとスペイン南部地中海に面し、西はポルトガルと接している。8世紀から13世紀までイスラムに征服された地で、州都はセビリア、有名な都市では、マラガ、グラナダ、コルドバなどがある。

歌詞にももちろん意味があるのだろう。わたしは合唱で、宗教曲も呪文ではなく意味があることを、合唱団に入り歌い始めて2-3カ月したころ知った。歌詞の一例このサイトに出ていた。
たとえばアレグリアスの「君に逢えばつらいけど 逢わぬともっと辛くなる 君の話題が聞こえてくると それだけで気分は最高さ(略)」、グァヒーラの「キューバで一番美人の君と結婚しよう 君の父さんに気に入ってもらい 君の母さんに気に入ってもらう 世界一のキューバ娘よ(略)」、ソレアの「何も無くて良い、でも充分なんだ 君がそばにいてくれるから もうそれだけで十分(略)」。他愛ないといえばないが、やはり情熱的な詩が多い。これも国民性なのだろう。
いろいろ理屈を書いたが、ダンスということは「踊る阿呆に見る阿呆」で、たぶんいっしょに踊ると楽しいのだろう。かつて徳島の阿波おどり会館で、解説を聞いたあと予想外だったが阿波おどり体験があり、何も考えず体を動かすと気分が上気したことがあった。
回りのお客さんに合わせて「オレ!」と掛け声をかけるだけでも楽しいのだから。
  (掛け声はハレオというらしい)
しかし、男性のフラメンコはあるのか、とユーチューブで検索すると、いくらでも出てきた。力強く激しく、しかもカッコいい。日本人男性でアンダルシアの国際コンクールで優勝した人までいる。

フラメンコの世界も新型コロナで大いに被害を受けているようだ。松本さんのウェブサイトに「なんと今年の初ライブです」とあった。たしかに場内アナウンスでも、ライブが減って大変だと言っていた。
合唱の世界も同様で、プロの合唱団・日唱の方がマスクをし、フィジカル・ディスタンスをとりながら歌うというご時世になっている。合唱は公演後のロビーあいさつもできない。このフラメンコの公演は観客が40-50人程度だったせいもあるのだろうが、終演後自由に客と話をしていた。少しはましそうだった。

AOYAMA TORO
住所 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ ポルト青山 B-1F
電話 03-6450-6018
URL https://aoyama-toro.jp/
 フラメンコショー https://www.tablao.tokyo/

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。

 


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1 コメント

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Unknown (松本もとよです。。)
2023-03-30 00:01:26
偶然、このブログに出会いました。
ありがとうございました!!
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