今年2月、3月に聞いた3つのコンサートの記録を、このままでは書く機会がないまま消滅してしまいそうなので、メモとして残すことにした。書いているあいだに気づいたが、オケにとって指揮者の役割や重要性が、より明確になってきた。
3月29日(土)午後、ミューザ川崎シンフォニーホールで音楽大学オーケストラ・フェスティバルを聴いた。残念ながら、今年も申し込むのが遅く席は3階席の一番奥左のほうだった。3年前はブルックナーの交響曲第4番(指揮・下野竜也)、昨年はラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲(指揮・シルヴァン・カンブルラン)を聴いたが、今年のプログラムは下記2曲だった。
指揮 沼尻竜典
・武満 徹:系図 ――若い人たちのための音楽詩
・ショスタコーヴィチ:交響曲第4番
わたしは、武満の「系図」がとくに面白かった。この作品は昨年11月92歳で亡くなった谷川俊太郎の「はだか」(筑摩書房 1988)という詩集から6編に曲を付けたものだ。武満は「語りは10代半ばの少女になされることが希ましい」としており、今回は東京音大付属高校2年の井上悠里さんが務めた。「むかしむかしわたしがいた すっぱだかでめをきょろきょろさせていた」(むかしむかし)と始まる。最後は「そのひとはもうしんでてもいいから どうしてもわすれられないおもいでがあるといいな どこからかうみのにおいがしてくる でもわたしはきっとうみよりももっととおくへいける」(とおく)で終わる。全編ひらがなだけで書かれている。
音楽は、現代音楽ではあるが「調性的な旋律が使用されている」ことが特徴、とパンフの解説にあった。
どの曲も柔らかく聴衆を包み込むような音楽だった。メインの楽器としてアコーディオンが使用されており、そのせいもある。また詩のテーマとして「死」や「別れ」が含まれるので不気味さや不思議さも少し感じられる。朗読者が指揮者の左、アコーディオン奏者が右に配されていた。6曲で23分程度だが、曲間はほとんどなく続けて演奏された。
音大生はこういう現代曲もこれほど柔らかく美しく演奏できることがわかり、有意義だった。
わたしは、アコーディオン以外では、鉄琴、チェレスタの音が印象に残った。演奏後の拍手に応え、指揮者はホルン、フルート、パーカッションなどを指名し起立させていた。
この曲はニューヨークフィル創立150年の記念に1992年に書かれ95年に初演、日本では95年に小澤征爾、サイトウキネンオーケストラで演奏され語りは遠野凪子だったそうだ。
武満と谷川は1歳違い、1953年に20代のときに出会い、家族ぐるみのつきあいをする親友だったとある。
詩のほうは、「死」の影が差すように思え、気になったので原本の「はだか――谷川俊太郎詩集」(佐野洋子・絵 筑摩書房 1988)をみてみた。曲名が「系図 Familly Tree」なので、てっきり家族に関する詩が多いのかと思ったがそんなことはなく全23編のなかには「みどり」「ぴあの」「でんしゃ」などもあった。死、別離、不安については、たしかにそういうニュアンスを含むものが6編以外にもみられた。すべての詩に佐野洋子の勢いのある挿し絵が付いていた。
休憩をはさみショスタコーヴィチ:交響曲4番が演奏された。1時間以上かかる長大な交響曲だった。管楽器がフルート6人、ホルン9人、トランペット5人など39人と大編成だった。弦60人、パーカッションとハープ、チェレスタが12人、合計111人の大規模編成だ。ちなみに管楽器は武満の演奏とは全員入替だった。このくらい大規模の曲を選ばなければ、選抜メンバーであっても8大学の卒業生のバランスが取れないのだろう。
木琴、鉄琴、チェレスタ、2台のティンパニー、大太鼓、シンバルなどパーカッションの音が目立ち、ファゴット、オーボエ、フルート、トロンボーンなどのソロもあり、とにかく派手な曲だった。また日本人が苦手とする3拍子のフレーズが多用された曲だった。
沼尻竜典さんの指揮は、オケを先へ先へと進める水先案内人のようなスタイルだが、けして強引に引っ張るのではない。オケに流れをつけ、オケが自ら進んでいくようにする感じの指揮だった。これも名指揮者のひとつのタイプだ。
ところで、ショスタコーヴィチはこの曲を1935年に書き始め36年4月に完成した。その間の36年1月、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(32年26歳のときに完成)がスターリンに気に入られずプラウダに「音楽のかわりに荒唐無稽」と評され危機に陥った。この交響曲4番も36年末のコンサートが決まりリハーサルまで漕ぎつけたが、演奏自粛を余儀なくされた。
しかし翌37年交響曲5番が革命20周年に完成、初演され「名誉回復」することになる。4番はスターリンの死後1961年にキリル・コンドラシン、モスクワフィルにより初演された。
2月24日(月・祝)、とても寒い日だったが新国立劇場オペラ研修所の「フィガロの結婚」を観た。25期生5人の修了公演だ。公演は3回だが、わたくしが観た最終日には4人が出演していた。
登場人物は13人、その他男女各8人の合唱が付く小編成のオペラだ。わたしは伯爵夫人役・大竹悠生のしっとりとした声、ケルビーノ役・後藤真菜美の演技が好きだった。もちろんアルマヴィーヴァ伯爵役・松浦宗梧も卒なく役をこなしていた。タイトル・ロールのとおり主役はフィガロ(駒田敏明・賛助)とスザンナ(野口真湖)の若いカップルかと思っていたが、じつは伯爵夫妻だったのかもしれないと思ったほどだ。そしてマルチェリーナ役・牧羽裕子が1年生だと知り驚いた。とても堂々と歌っていた。
また男女各8人の合唱はとても力強かった。
「フィガロの結婚」は序曲をはじめとても有名な作品だが、考えるとオペラ全体をみたのは初めてで、シナリオもわかっていなかった。14年も前にみた「セビリアの理髪師」の続編ということは知っていたので、フィガロ、アルマヴィーヴァ伯爵、バルトロ、バジリオなどの役名は記憶にあった。
伯爵夫妻、フィガロとスザンナの若いカップル、医師バルトロとマルチェリーナの3組のカップルに、小姓のケルビーノ、庭師長のアントーニオと娘のバルバリーナが絡む。しかもマルチェリーナは借金の証文を武器に裁判を使ってフィガロと結婚しようとするが、劇中でフィガロの両親はバルトロとマルチェリーナだったことが判明したり、こんなに愉快な芝居とは思わなかった。予想外に長く4幕3時間半(休憩25分含む)もかかったが、あきなかった。原作はボーマルシェだが台本を書いたイタリア人のロレンツォ・ダ・ポンテは大した作家である。
幕間の舞台
演劇の観点でいうと、まず照明がよかった。ときどき照明を落とし、人物群がシルエットになるが、まるで影絵の人形群にみえてとても面白かった。次に大道具だ。背の高い3つの扉の裏表を使い、とても効果的だった。しかもその出し入れを暗転のとき、おそらく合唱団の人がやっているようだったが、動かしているところを見ることができ、これも効果を上げていた。そして舞台の天井側に1枚幕を張り、それを通して見えるおぼろ月や多くの星もいい効果をもたらしていた。大道具というより演出のデイヴィッド・エドワーズが優れていたのかもしれない。
音楽では、歌の合いの手のように入る星和代のフォルテピアノや扉の開閉時に出るジーッという音が効果を上げていた。また指揮は、研修所長の佐藤正浩さん自らが振っていた。客席からは頭と振り上げたときの両手しか見えなかったが、ややオーバーアクションにみえた。音楽そのものは、歌を盛り上げ引き立てるいい演奏だった。
佐藤正浩という方はまったく知らなかったが、プロフィールによれば藝大声楽科出身で、ジュリアードのピアノ伴奏科でマスターを取り、サンフランシスコ・オペラの専属ピアニストやリヨン国立歌劇場の首席コレペティートルを務め、99年にイギリスで指揮者デビューし、その後数々のオペラの指揮をしたとある。声楽やオペラに強い指揮者のようだ。
オケは、ザ・オペラ・バンド、2005年設立、オーケストラ・ピットに入ることを目的にし、首都圏プロオーケストラ演奏家を中心に編成された楽団だそうだ。
この日は公演最終日だったこともあり、拍手が鳴りやまず、佐藤正浩所長を中心に何度も何度もカーテンコールが繰り返された。
2月23日(日)午後、国技館5000人の第九コンサートが開催された(主催:国技館すみだ第九を歌う会)。新日本フィルハーモニー交響楽団、大友直人の指揮。ソリストは、ソプラノ:上野舞 アルト:谷口睦美 テノール:福井敬 バリトン:井出壮志朗だった。
これは、聴きにいったのでなく、5000人(正確には今年は4654人)のなかの1人として参加した。前から4列目くらいで大太鼓の後ろ、ティンパニーの斜め後ろの位置だった。するとオケの聴こえ方が客席とは逆で、まずパーカッション、次にホルンとトランペットなど金管、その次に木管、もっとも遠くから弦楽器の音が耳に届く。ファゴットはソロは別にして、2本のファゴットのハーモニー(重奏)が聞こえたのは初めてのことだ。またホルンは、弦楽器とおなじようにオケのハーモニーをつくり出す役割の楽器であることがよくわかった。楽器の並びが重要である理由を実感を伴って納得できた。
男性更衣室は行司の控室だったので、行司個人の湯飲みが並んでいるのを見たり、国技館なので、コンサートの幕開けが、呼出し・利樹之丞の太鼓と拍子木から始まり、珍しいものをいくつも見られた。
また1階はマス席で、イスでなく座布団に座り、そこから立ち上がらなければいけない。バリトンソロ前、ややゆっくりになるところで立つ準備をし、(208小節 プレスト直前の)ティンパニー連打でいっせいに立つのだが、足が半分しびれているので、ふらつきそうになった。何回も出ておられる方は15センチ以下の低い折りたたみチェアを準備されていたが、無知を後悔させられた。
終演し客が退席したあと、解団式が行われた。主催者、指揮者、ソリストらのショートスピーチのほか、出身県別に参加者が次々に立ち上がり、みんなで拍手を送った。当然東京の人が2500人と最も多く、神奈川、千葉、埼玉の首都圏で85%ほどになる。しかし北は北海道16人、南は沖縄5人と47都道府県すべてから参加者があり、驚くことに海外からもアメリカ、ドイツ、韓国などから13人もの参加者があった。本当に海外からこのコンサートのために訪日されたのか、日本で働く外国人なのかはわたしにはわからない。そういえば後援は東京都や文化庁だけでなく、外務省、EU駐日代表部、ドイツ大使館まで入っていた。なお年齢でいうと下は8歳の小学生から上は96歳まで、80歳以上が461人(10%)いたとのことだ。
こんなふうにいくつも新たな体験をしたが、そのなかからオケと指揮者に絞って、知ったこと、体験したことを紹介する。
合唱団の休憩中、後方からオケのゲネプロを見ることができた
歌い手の人数があまりにも多いので控室は準備できず、オケのゲネプロを後方からだがすべて見ることができた。
ほぼ通し練習だが、たまに「スタカートが短すぎないよう」「もうちょっとクレシェンド」「最後のピチカートはもう少し大きくてよい」というような指示が入る。
大友さんの身振り手振りをみていていくつかのことがわかった。1楽章では「軽快」な第九を目指し、2楽章は「流れるような」第九、3楽章は「優美」な第九を意図しているように思えた。講談師が話術のパフォーマーだとすると、指揮者は身振り手振りで集団をまとめ率いていくパフォーマーと譬えることもできる。演奏する曲を頭のなかで構想・構築し、オケという「楽器」を使い表現するアーチストという意味だ。
そんなことを「発見」してから第九の4楽章の本番を歌った。出だしを迷いやすい795小節(練習記号S)も、こちらが暗譜しているせいもあるのだろうが、ちゃんと合図を出していただいていることがよくわかり、とても歌いやすかった。また指揮の流れをみていると、これまで4回のマエストロとの練習のなかで指摘されたいくつかの箇所の意味が理解できたような気がした。歌う側にとって、たいへん歌いやすい指揮だった。
これまで何人もの指揮で歌ったり演奏したりしたが、こういう感想を抱いたのは初めてのことだ(これも、完全暗譜のおかげかもしれない)。
オーケストラの指揮というと、わたしにとっては馬場管の森山崇さんのパフォーマンスと曲のラストの盛り上げに注目してきたが、演奏者の立場でみると、「指揮者の役割」がよりわかる体験となった。
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