バリ日記の途中ですが・・・
Wikipediaのマハトマ・ガンジーの項を読んでいて、泣きそうになった。。。(全部読んだら泣き伏すかも。。。)(亡くなる、しかも殺されるその瞬間に、私はそういう行いをとることが果たしてできるのだろうか.....)
マハトマって、“偉大なる魂”って意味だったんですね・・・
エディ・ホームのミドルネーム、“マハトマ”の由来も、家族が、そこから付けた、ということをドラマの中で言ってたことを思い出しました.....
空間での凝縮
エディ ホーム フェイス
空間からの逃亡
エディ ホーム フェイス
必死の抵抗
エディ ホーム フェイス
マハトマ・ホーム
土に埋められた マハトマ
白夜の続く 北欧にて よみがえる
サイケな グロッキーフェイス
目の下の微細な 引きつり
おびえた よどむ眼球
彼は 真っ白なコーヒーフィルターの
ようだった
(22歳)
※この詩のことを、以前書いた記事で触れたことを思い出します・・。
エディ ホーム フェイス
空間からの逃亡
エディ ホーム フェイス
必死の抵抗
エディ ホーム フェイス
マハトマ・ホーム
土に埋められた マハトマ
白夜の続く 北欧にて よみがえる
サイケな グロッキーフェイス
目の下の微細な 引きつり
おびえた よどむ眼球
彼は 真っ白なコーヒーフィルターの
ようだった
(22歳)
※この詩のことを、以前書いた記事で触れたことを思い出します・・。
〈序章〉
エディ・マハトマ・ホームは、シャワールームで自殺を図りました。
首つりひもが切れて、浴槽に落ち、気を失います。浴槽にお湯が満たされていく中、彼は神さまに話しかけられます。
彼は、無意識の中で、神さまに自分の人生を語り始めます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(母親の胎内からうまれるところから、エディの回想は始まります。)
彼は、才能あるトランぺッターでした。
幼い頃から音楽の才能がありました。
母親の聴くレコードや、ラジオから流れてくる音楽に合わせて、トランペットを吹く真似をしました。
音楽を聴く感受性が強く、祖父に連れて行ってもらったクラシックのコンサートで、感動のあまり、おしっこをもらしてしまいました。
聞こえてくる音をすべてトランペットの音階に言い換えることができる(これが絶対音感というのかしら?)天性の才能がありました。
ハイスクールにあがった彼は、ブラスバンドに入ります。
初めての発表会の時、彼は、ソロパートを担当し、バンドの真ん中に立ちました。
最初は調子よく、演奏してたのですが、突然様子がおかしくなった彼は、トランペットで素っ頓狂な金切り音を出し、そのまま会場から逃げ出してしまいます。
見ていた母親は、担当教師に相談します。教師はいいます。「彼は天才なのですよ。」
母親は、「ただの音楽バカだと思っていましたわ・・・。」
後に、素っ頓狂な音の原因を、彼は運命的な出会いをした変わり者の恋人にこう話します。「なんていうのかな・・・。すべてをトランペットにこめたくなる瞬間があるんだ・・・。」
彼の恋人は、「リラックスが必要ね。」とだけ答えました。
それから、彼は、一時期トランペットを封印して、恋人とリラックスのためのいろんなことをします。
部屋でのダンス、横並びバイクの2人乗り、水中でのキス。
(ここらへん、ヘルマン・ヘッセの「荒野のおおかみ」を思い出します。自分を“荒野のおおかみ”と呼ぶ、自殺願望のある黙考型の主人公、ハリー・ハラーは、自分の分身のような女性、ヘルミーネに、同じくダンスの指導を受けます。そして、“バランスをとりつつ生きる感覚”を学ぶのです。)
リラックスの方法を知った、エディは、恋人が応援する中、オーケストラへの入団テストを受け、合格します。
そして、初舞台の日、彼は、舞台袖で見守る祖父を見て安心しながら、恋人が到着するのを心待ちにしながら、大勢の観客の前で、快調にトランペットを演奏します。
しかし、舞台袖で誰かと話した後、突然変わった祖父の顔色から、遅れて到着するはずだった恋人に何かあったことを感じ取ります。
そして、彼のトランペットは、素っ頓狂な金切り声をあげ、彼は、舞台を飛び降り、会場から飛び出してしまいます。
そして・・・冒頭のシーンに・・・。
神さまにすべてを話し終わったあと、エディは、浴槽のなかで(お湯は浴槽から溢れ、エディはお湯の中に、頭の上までブクブクとつかってました。)意識をとりもどします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・彼は、毎日、一本のバラを手に、恋人の墓に語りかけます。
その日、世の中では、何があったか、
恋人が楽しくなるような出来事を話すのです。
いい話がなかった時は、
「ごめん、今日はいい話がなくて・・・」
と、それなりの、今日起こったできごとを話します。
恋人は、生前彼にこう語りました。
彼女と同じく、交通事故で亡くなった彼女の両親の墓の前でピクニックをしている時に・・・(私、このシチュエーション憧れました!お墓でデートって、素敵だと思います!もちろん欧米のような、緑がいっぱいで小さな庭のような、きれいなお墓であるという条件付きですが・・・。)
「死者は、私たちのすぐとなりにいるのよ。」
アフリカのある種族は、死者の灰をバナナスープにいれて飲む。
そして、自分の子供に、亡くなった自分の父親の名前を付けるといいます。
「私はムンガロ、祖父もムンガロであった。ムンガロが甦ってここに居る。」
神さまは、言いました。
「今でも、人間に、2度の人生を与えたいと思っている。1度目は、経験する人生。2度目は、それをつかう人生。」
“幸いなことに、今日もエディの音色は澄んでいる”
エディは、オーケストラに戻ったようです。
そして、神さまの、ウィットの効いたジョーク(それが何かは忘れましたが・・・)で、物語は幕を閉じます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日、書きだした、デンマークドラマ「エディ・ホームの第二の人生」のストーリーに加筆して、載せちゃいました。
何しろ、20年近く昔に見たドラマなので、忘れてることも多く、うまくこの作品の素晴らしさを伝えることができなくてごめんなさい・・・。
この作品、おそらく日本で再度放映されることは無いような気がするので、スケッチ的ではありますが、ストーリーを全部書いてしまいました。
もっと文章、うまくなりたいです・・・。
エディ・マハトマ・ホームは、シャワールームで自殺を図りました。
首つりひもが切れて、浴槽に落ち、気を失います。浴槽にお湯が満たされていく中、彼は神さまに話しかけられます。
彼は、無意識の中で、神さまに自分の人生を語り始めます。
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(母親の胎内からうまれるところから、エディの回想は始まります。)
彼は、才能あるトランぺッターでした。
幼い頃から音楽の才能がありました。
母親の聴くレコードや、ラジオから流れてくる音楽に合わせて、トランペットを吹く真似をしました。
音楽を聴く感受性が強く、祖父に連れて行ってもらったクラシックのコンサートで、感動のあまり、おしっこをもらしてしまいました。
聞こえてくる音をすべてトランペットの音階に言い換えることができる(これが絶対音感というのかしら?)天性の才能がありました。
ハイスクールにあがった彼は、ブラスバンドに入ります。
初めての発表会の時、彼は、ソロパートを担当し、バンドの真ん中に立ちました。
最初は調子よく、演奏してたのですが、突然様子がおかしくなった彼は、トランペットで素っ頓狂な金切り音を出し、そのまま会場から逃げ出してしまいます。
見ていた母親は、担当教師に相談します。教師はいいます。「彼は天才なのですよ。」
母親は、「ただの音楽バカだと思っていましたわ・・・。」
後に、素っ頓狂な音の原因を、彼は運命的な出会いをした変わり者の恋人にこう話します。「なんていうのかな・・・。すべてをトランペットにこめたくなる瞬間があるんだ・・・。」
彼の恋人は、「リラックスが必要ね。」とだけ答えました。
それから、彼は、一時期トランペットを封印して、恋人とリラックスのためのいろんなことをします。
部屋でのダンス、横並びバイクの2人乗り、水中でのキス。
(ここらへん、ヘルマン・ヘッセの「荒野のおおかみ」を思い出します。自分を“荒野のおおかみ”と呼ぶ、自殺願望のある黙考型の主人公、ハリー・ハラーは、自分の分身のような女性、ヘルミーネに、同じくダンスの指導を受けます。そして、“バランスをとりつつ生きる感覚”を学ぶのです。)
リラックスの方法を知った、エディは、恋人が応援する中、オーケストラへの入団テストを受け、合格します。
そして、初舞台の日、彼は、舞台袖で見守る祖父を見て安心しながら、恋人が到着するのを心待ちにしながら、大勢の観客の前で、快調にトランペットを演奏します。
しかし、舞台袖で誰かと話した後、突然変わった祖父の顔色から、遅れて到着するはずだった恋人に何かあったことを感じ取ります。
そして、彼のトランペットは、素っ頓狂な金切り声をあげ、彼は、舞台を飛び降り、会場から飛び出してしまいます。
そして・・・冒頭のシーンに・・・。
神さまにすべてを話し終わったあと、エディは、浴槽のなかで(お湯は浴槽から溢れ、エディはお湯の中に、頭の上までブクブクとつかってました。)意識をとりもどします。
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・・・彼は、毎日、一本のバラを手に、恋人の墓に語りかけます。
その日、世の中では、何があったか、
恋人が楽しくなるような出来事を話すのです。
いい話がなかった時は、
「ごめん、今日はいい話がなくて・・・」
と、それなりの、今日起こったできごとを話します。
恋人は、生前彼にこう語りました。
彼女と同じく、交通事故で亡くなった彼女の両親の墓の前でピクニックをしている時に・・・(私、このシチュエーション憧れました!お墓でデートって、素敵だと思います!もちろん欧米のような、緑がいっぱいで小さな庭のような、きれいなお墓であるという条件付きですが・・・。)
「死者は、私たちのすぐとなりにいるのよ。」
アフリカのある種族は、死者の灰をバナナスープにいれて飲む。
そして、自分の子供に、亡くなった自分の父親の名前を付けるといいます。
「私はムンガロ、祖父もムンガロであった。ムンガロが甦ってここに居る。」
神さまは、言いました。
「今でも、人間に、2度の人生を与えたいと思っている。1度目は、経験する人生。2度目は、それをつかう人生。」
“幸いなことに、今日もエディの音色は澄んでいる”
エディは、オーケストラに戻ったようです。
そして、神さまの、ウィットの効いたジョーク(それが何かは忘れましたが・・・)で、物語は幕を閉じます。
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昨日、書きだした、デンマークドラマ「エディ・ホームの第二の人生」のストーリーに加筆して、載せちゃいました。
何しろ、20年近く昔に見たドラマなので、忘れてることも多く、うまくこの作品の素晴らしさを伝えることができなくてごめんなさい・・・。
この作品、おそらく日本で再度放映されることは無いような気がするので、スケッチ的ではありますが、ストーリーを全部書いてしまいました。
もっと文章、うまくなりたいです・・・。