PLANET LULU GALAXY!

ルルの日記

お知らせ

2007-03-02 18:01:33 | お知らせ&伝言
こういう風に思う一方で、
自分の身体・精神の不調を相手に伝えるのも“自己責任”、相手に対する“礼儀”なのではないかと思いました。(基本はそうなんだけど、何らかの圧力、プレッシャーから、それらを訴えることが出来ないのが〈前回の記事で書いたような〉“苦しみ”の原因だと思う。〈ちなみに財◯のマド◯ナ・奥◯◯子氏の言ってることは普通に“残酷”だと思う。〉)

(個人と個人の問題で言うと、)伝えない限り、相手にはそれが解らなかったりするわけで、“察してくれるはず”というのも、その相手に余裕がなかったり、他のことを考えていたり・・・。(相手との間で)“精神の波長”がよほど、“奇跡的なほど”合ってないとなかなか難しいことかも。
(だから、自分の意志を相手に伝えるというのは〈出来るのなら、〉なるべくした方がいいのかも。)

「すべて自分のせい」と思うのも自分以外の人を信頼していない証拠。
(「すべて他の人のせい」と思うのは、勿論問題外。)

↑これらは、私自身に対する呪文みたいなものですが、端的に言うと...

今、だいぶ余裕がなくて具合が悪くて落ち込んでます。

いくつかコメントをさせていだだきたい・・いただこう・・と思っていたのですが、それができないことをどうかお許しくださいませ・・m(__)m

(ただ、愛する対象を失った方、愛する対象の命の危機に直面している方のお心をお察しいたします・・m(__)m)
(調子が戻って、まともなこと言えるようになったらコメントさせてくださいね。)

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LULUが22歳の時に書いた情念深い詩

2006-11-19 12:31:04 | 
すべては あの恋から始まったことだと思う
私は 16歳で、 すべてに禁欲的になろうと思っていた
本気で尼になろうと思ってたもの(笑)
私は 心は 尼のまま あの人に見初められたと思ったから
でも矛盾してくるでしょ 欲望がめばえると
そのままではいられなかったの
あの人に キスされたいと思ったし、 もちろんそれ以上も...
そんな私が恥ずかしかったわ 心臓のものおとさえ のどぼとけの動きさえ
私にとっては180°の変革だった
最初は かろうじて 理性を保っていた
独りきりで 育てぬいた 倫理をこねまわしながら
あの女の子がでてくるまではね

彼女は それは それは 私と正反対の女の子だった
彼女の濃いメイク、胸元のあいた服
それは、群れをなす 女の子たちからは 非難の対象になる要因だけど
私にはすごく魅力的に見えたの(恋してたからね)
私の欲望を抱えこみふさぎこむ カチューシャ(孫悟空のよう)
ひざたけのプリーツスカート(教会の階段か)
細かく編み込んだ三つ編みの髪(それで天国へ近道しようとでも?)

私は 彼を あの子に とられてしまうかと思ったの
彼女がこわかったの
私は 教典を 捨てたわ
ひどく 当たり前に
私が禁欲的になっていたのは
使われることのない 私の欲望が
からまわりする私の欲望が 虚しかったのだと思う

女の子っていうのは そういうものだ
自分が誰かに選ばれない限り
永遠に 生まれることはないのだ
どんなフェミニストだってそう
“人は 女に生まれず 女になる”というじゃない
私は... 女の子になりたかったわ
ずっとずっと苦しんでたわ
彼は みすぼらしい 私を 拾ってくれたの
驚いたわ
私は 自分を醜いと思っていたのに
いけがきのすきまから のぞいていたの
まさか 私が? いいえ 私が?
うそうそ 次は 私?
彼はスペシャル
人生はバラ色
ホント ホント そうだったわ
私の 熟成された 自意識なんて
どこかにふきとんでしまった
そして 私の次なる 目標は
彼を引きとめておくこと
欲望に呼応する精神を養い
精神に呼応する欲望を養うこと

彼に去られて すべての価値は 音もなく いってしまった(そう思えた)
残ったのは 私じゃない 私の姿
まるで あの女の子のような 鏡の中の私
しかも あの子は 私の幻想
私の夢想
私は 聖なるものを失った

あの時、彼がどんなに 想ってくれたかわからない?
しかも それに 気付いてしまった時点で
自意識を形作ることには 失敗している
結局 うつろって
彷徨して
私は狂信者にも 傍観者にもなれないまま
彼は 私が他者であるからこそ
こわさないように あつかってくれたの
私は抱きつき人形のように
彼にしがみついたまま
密室に 閉じこめようとしていた
私を 人間としての評価の元にさらしたくなかった
群れの中の役割は必要ではない
私は あなたの唯一のおんな
それで いいじゃない
私は人間としては 希薄だわ
羞恥心を感じてはいるが
想っても うまくいかないことばかりよ
うまくやりたいのに うまくやりたいのに
しくじってばかり
基準がなければ
彼が 私を責めることはない
彼と私が恋に落ちた時点で
暗幕が おろされればよかったの
そのままで凝固してしまえば 見つめあうままで 終わってしまえば...

でも どんなに醜い姿でも
残酷に 存在は繰り返されるばかりよ
とんでもない ストレス!!

彼を忘れようと思ったわ
だって それは 死んでしまった 映像だから

執着した 映像ほど
憎みたくなるの
だって 間違ってたと 思った方が
シンプルだから

定まらぬ 視線は
彼のせいじゃない
女になりたがった
私がすべての原因


(22歳)
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孫びんと項羽

2006-09-22 18:13:07 | 事象への想い
〈昨日書いたものを、迷った末に出すことに決めました。これをアップすることで吹っ切れてコメントのお返事他させていただくような心境になれれば良いのですけど・・・。〉



失礼な人に悪意か善意か分からないが(いや、間違いなく善意ではないというのは解っていますが..)、明らかにこちらのサイトを茶化した文中リンクを貼られても手を出せない状態。(アクセス解析でわかりました。)
私が苦しかった時代に心の支えだった文化人のサイトは心ない人たちの言葉で埋め尽くされ炎上中。

ここにおいて救いになるものはなにか?と考えをめぐらせて脳の中を探り出す。

思い出したのは中国の歴史上の人物2人。

小学校4年生の頃、私は検査のため一週間ほど入院したことがあるのだけど、その時に(ベッドで読むようにと)父が買ってくれた歴史マンガが今に至っても私の人生の手助けになってくれているというのが不思議な話・・・。
父が買ってくれたのは、小学館の「日本の歴史」シリーズと、中央公論社の「世界の歴史」シリーズ、「世界の偉人」シリーズ、そして、「中国の歴史」シリーズ。中央公論社の歴史マンガシリーズは、漫画家の手塚治虫氏が監修を手がけていました。
手塚氏の「“歴史”とは年表ではなく、その時代に生きた人間ひとりひとりの一生のことをいうのだという想いに基づいてこの本を作った。」というあとがきを思い出しますが・・・。

中国の歴史シリーズに取り上げられた中国の歴史上の人物は、三国志の主人公達(劉備、張飛、孔明、関羽)、チンギス・ハン、三蔵法師、楊貴妃、西太后etc.
その中で今回思い出したのは、中国に生きた軍人である孫びんと項羽のこと。(中国の歴史上の人物で、私が一番好きな2人でもあります。)

中国の兵法家孫びんは、彼の才能に嫉妬した親友に裏切られ、無実の罪により足切りの刑(ひん刑)に処された過去を持つ。
両足を膝あたりから切断された孫びんは、持ち前の能力+裏切られた憎悪、復讐に向かう勢いにより、兵法家として頭角を表してゆき13年後には彼をおとしいれた相手に対して私刑という形ではなく、国を率いて復讐相手率いる国との闘いに勝つという自身の能力をフル活用&誇りを保つやり方で復讐を遂げる。(ここで孫びんに“闘いにおける倫理観”というものが宿っていることが分かる。)

子供心にこの話は私の心に深く刻み込まれ、“親友に裏切られる”という、人生の“酸い”の部分を同時に知りショックを受ける。卑怯な手により両足を失ったのにもかかわらず、人生を諦めることなく、その知恵と信念により強く生き抜いた中国の兵法家を私は本当に尊敬している。

同じく、中国の歴史上の人物、項羽のことも思い出す。
残虐な将軍として秦(しん)にその名前を轟かせ、のちに秦を滅ぼした項羽だがその死に方はすさまじい。
四面楚歌という言葉はここから生まれたのだけど、項羽を追い詰めるために、敵の宰相劉邦は項羽の軍を取り囲み、兵士等に“楚”の歌を歌わせ「すでに敵に取り囲まれている」という心理的に追い詰めるという戦略を実行。
項羽は愛妾である虞美人を涙を流しながら自らの手で殺して、数多くの敵に一人で立ちはだかり、のべ数百人(ここらへんは伝説だとは思うのだけど...)の敵を、その大男はたった一人でばさばさと斬り殺し、自身も方々から刺しつらぬかれてバラバラになり果てた。

数百年後の島国日本に生まれ、主婦である(つまり平和の元に在る)私がこの2つの物語から学ぶものは、世界は残虐な部分を持っているということを、誠実に悟ること。
そして、足を切られようと、体がバラバラになろうと、人間の想念というものは誰にも侵されるものではないのだと強く想う。

・・・もう少し柔らかい考え方はあるかもしれないけど、とりあえず今私の頭に浮かんだのはこの2つの歴史上の物語。
人の心に宿る、強靭な精神を信じたい。
強い心を持って欲しい。誰にも侵されることのない・・・。
それが今の私の希望。
起こってしまった、無秩序、暴動、集団ヒステリー、悪意の渦の中にあっても、つぶされず強く在ってくださいm(__)m
私も自分の信念の元に強く生き抜こうと思います・・・。
 
それと、悪意あるものに対しては“闘いにおける倫理観”を用いて対応したい。




〈・・・感情に任せて書いたようなところがあり、(ちょっとオヤジっぽくもあり・汗)恥ずかしい文ですが、感情の揺れを記録するために、それと今苦しみのさなかに在る方が元気付けばいいな..という祈りもこめて、出すことにしました・・m(__)m〉



〔参考文献〕

中国の歴史シリーズは、今文庫化されているみたいです。実はこの項羽の見てくれ(左側デス)に魅かれたというのもあったりして(・・・漫画なんですけどねいやぁ、この作画家さんの描く絵がものすごく個性的で魅力的でした・・)

「史記」の人物列伝

学陽書房

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↑私が持っている孫びんと項羽が載っている本です。もう一度読んでみたい・・

項羽と劉邦〈下〉

新潮社

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↑うちのダンナさんも好きな司馬遼太郎の「項羽と劉邦」。なぜか画像は下巻しかありませんでした・・
こちらも読んでみようかしら・・
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秘密の花園 〈THE SECRET GARDEN〉ー人間と自然を信じるすべての人に捧げますー

2006-06-28 07:34:38 | 映画
コマドリが案内してくれた花園。
子供たちは、子供たちだけで花園に咲く植物、木々の世話をして、死んでしまっていたかのようだった花園は少しずつ息吹を取り戻し、それとともにそれぞれ孤独を抱えていた子供たちは明るい笑顔を取り戻していく。
自然の持つ魔法が子供たちの祈りと共に空間を超え、最愛の妻を失って息子をかえりみず放浪の旅を続ける悲しい父親の元に響く・・・。


私は、23歳で、それまでの疾走してきた無茶をやってきた人生にストップがかかり、自己崩壊。(←ちと大げさですが・・まさにそんな感じでした・・・。)
家に籠った最初の目的だったはずの小説を書くことも諦め、24歳の時に実家でしていたことは、膨大な量のパンを焼くこと。
そして、毎日毎日、来る日も来る日もパーフェクTVの映画チャンネルで、映画を見続けました。
(映画の中に生きることの起伏とトキメキを見出していました。)
復活の兆しは見えてこず、外の光も見えてこない・・・。
そんな真空状態で観た映画がこの映画です。


「秘密の花園」'93 アニエスカ・ホランド監督


監督のアニエスカ・ホランドは、ポーランドに生まれた女性監督。祖国ポーランドでユダヤ人の若者がナチ党員になりすまし、ヒットラーに忠誠を誓うという複雑なテーマを描いた社会派映画「ぼくを愛したふたつの国/ヨーロッパ・ヨーロッパ('90)を撮り、映画界で物議を呼びました。
彼女は「太陽と月に背いて」('96)では、当時のアイドル的俳優レオナルド・ディカプリオ、イギリスの演技派俳優デヴィッド・シューリス共演で、ランボーとヴェルレーヌ、詩人同士の愛憎の物語を描きました。

そんな社会に対してシニカルな視点を持った一筋縄ではいかない女性監督アニエスカ・ホランドが、フランシス・フォード・コッポラに呼ばれてハリウッドで撮った作品が「秘密の花園」です。総指揮に当たったコッポラは「人間の豊かな愛を信じるすべての人にこの映画は贈られる」と語ったそうです。

「秘密の花園」に出演した子役たちは大人が子役に期待する“子供らしい可愛らしさ”というステレオタイプなイメージを打ち壊してしまうような、しごくナチュラルでリアリティ溢れる“実に子供らしい実に可愛らしくない”子供たちが選ばれたようです(^_^;)

このことが、子供たちが内面に抱える孤独を伝えるのに成功していて、淡々と演技を続ける中、時々見せる笑顔が本当に極上の笑顔で、心に響いてくるのです・・・。

インドで両親を失って、母の兄が住む、イギリス・ヨークシャーに住む母の兄のお屋敷に引き取られることになった主人公メアリー。彼女は、ヨークシャーに来て、初めて仲良くなった相手であるコマドリを追っていくうちに、閉鎖された門を見つける。

案内役のコマドリ。イギリスの国鳥で、「マザーグース」にも登場しますね・・・!

ある日錆び付いた鍵をお屋敷の中で見付け、メアリーは門を開く・・・。
門を開くと荒れ果てた花園が・・・。
母を失い、父は妻を失った心の傷から旅を繰り返し彼に触れようともしない、孤独の中、病気によって死んでしまうことを恐れるメアリーの従兄弟コリン。メアリーの心を素朴な思いやりと“ある程度ほおっておく”お世話によって少し開かせることのできたお手伝いマーサ(←可愛い!大好き☆)の弟で、馬を乗りこなし、メアリーの前で芋虫を鳥のマネして食べたりする野生児のディゴン。

あまりにも可愛いすぎるのでマーサを載せさせてください♪メアリーとマーサです。

花園に集まった子供たちは花園の世話をすることで心を通わせていく。
物語の中では、子供らしい(人間らしい)相手へのヤキモチなんてエピソードもあって、可愛くないはずだった(何度もゴメンナサイ・汗 作品での設定もそうなのデス・・・。愛情を与えられず、ひねてやさぐれてしまった子供たち・・・。)子供たちが本当に可愛らしく愛おしく見えてくる・・・。
花園が癒えるように人間の心も癒されていきます・・・。

冒頭の、主人公メアリーが両親を地震で失った場所インドでの見ているこちらも汗ばんでしまうようなシーンも、引き取られた先のヨークシャーでの大地の向こうからヒースの叫びが聞こえてくるような寒々しいシーンも、すごく上手な描写だと思います。(それは、バーネットによる原作を忠実に再現しているようです。)そのシーンとのコントラストで、植物がめきめきと育っていく感動的なシーン(早送りで見る植物の成長ってほんと感動&興奮しますよね・・・!子供の頃、理科の番組とかでよく見ませんでしたか~?)と、子供たちの力で生き返った〈鳥が歌い、色とりどりの花が咲き、愛情と笑顔で溢れた花園〉のシーンが際立ってくるのです。

「秘密の花園」の原作者は、私がエイミー・マンの記事で名前を挙げた女性作家、フランシス・ホジスン・バーネットです。彼女の世の中、子供たちを見つめる視点はおしなべてビター(厳しめ)なのですが、それだからこそ絶望の中にあっても希望を忘れないで欲しいという彼女のメッセージが力強く伝わってきます。

私が「秘密の花園」を初めて見た時から、10年の時が経ちました。
傷付き、挫折した心は、時間と心優しい人たち(動物たちも・・)、あらゆる森羅万象に癒され、(あと、音楽を始めとする文化もそうかな・・?)ここに、なんとか元気に生きてます・・・
そして、今、自然が持つ、治癒力と、はかりしれない大きな力を信じたい気持ちです・・・


この記事を書くきっかけ&ヒントを下さったguitarbirdさま、guitarbirdさまと共に自然を愛するみなさま、本当にありがとうございました


秘密の花園ワーナー・ホーム・ビデオこのアイテムの詳細を見る


P.S.画像がちとばかり大きすぎるので、後で直します~!汗 
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ウェイク・アップ

2006-06-15 21:04:22 | 音楽
私が考えていた、計画が、白紙になってしまった。
ずっと待っていたのに、こちらはもう置いていかれた後でした。
私は、いいんだけど、協力して下さるはずだった方に本当に申し訳ないです・・・。
とりあえず今は、目新しい対策が出てこない。
目の前真っ白。何の句も浮かばない。

聴きたいものも勿論出てこない。
昨日何枚か、ブログでお薦めしてもらったものをレンタルで借りて、大感動したものもあったのですが(落胆して弱り切った心に響いてくる哀愁に満ちて誠実でほんとうにせつない曲でした・・・。この曲を創った音楽家も参加している同名の映画があるので、そちらがどうしても見たい。見てからレビュー書かせてください・・・)この状態で書くのは、その曲にすごく思い入れがある方に対して失礼かな・・と思った。ううん、それよりも、調子いい時に書きたいな・・って感じ・・。

ほんと、何にも頭に浮かばなくて、ずっと訪ねてきた猫と一緒に(昨日寝てなかったので)眠る。

起きてからようやっと頭に浮かんだものは

ROY WOOD “WAKE UP”

雨音(ポチャンポチャンと落ちる水の音)で奏でるパーカッションが外の雨とシンクロする。まだ心はうしろめたいままだけど、今日初めて外の世界を感じることができたような気がする。


Unlock the door,it's time again to leave you
I miss you more each time I go away
If there's a chance I'll swim back home to please you.
And post a line to reach you everyday

*Wake up, wake up and let me see the smile upon your face
Let's linger for a while upon our last embrace
Give me just a thought to wear, I'll still think of it
Quick before I dare to leave the place

Even though my outlook may as found you
No need to let your spirits fade or die
Now you must face the problems that surround you
Your star is claimed,your right to life has gone

*Repeat

Though my short profession ties me down dear
It seems so long to dry your many tears
You're so afraid of cring that I won't hear
You sad young voice still ringing in my ear

*Repeat

Oo Wake up, unlock the door


ドアを開けてくれ、僕はまた出て行くんだ
出かけるたびに淋しく思うよ
チャンスがあったら君を喜ばせに泳いで帰ろう
手紙は毎日書くよ

*起きて、起きて君の笑顔を見せておくれ
せめて最後に心ゆくまで抱かせておくれ
せめて考えるヒントだけおくれ
僕が出て行く前に

僕の考えは君を驚かすかも知れないが
君は君の考えを捨てる必要はない
今は君を取り巻く問題に立ち向かうんだ
君の星が示している、君は人生の正義を失ったのさ

(*くりかえし)

言葉の不足が僕をここにとどめているんだ
溢れる君の涙を乾かすには長い時間が掛かりそうだ
君は泣くのが怖いし、僕はそれを聞きたくない
若く悲しげな声は今もこの耳に鳴り響いている

(*くりかえし)

さあ起きて鍵を開けておくれ

(“ウェイク・アップ” ーロイ・ウッド)

ボールダーズ
ロイ・ウッド
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エキゾチック・ミクスチャー~シングルズ
ロイ・ウッド
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コメントのお返し、(ありがとうございます!)もう少しお待ち下さい・・・m(__)m
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ボーイ・ミーツ・ガール

2006-04-14 02:48:03 | 映画
親友トマに恋人を奪われたアレックスは、川べりで人生最初の殺人未遂を起こす。
黙考型の孤独な青年アレックスは、壁に“自分年表”をつけている。
恋人を失ったアレックスは偶然により、同じく恋人と喧嘩別れしたミレーユと出会い彼女に恋をする。
彼女が、恋人と喧嘩をして恋人が出て行った後にしたこと。ラジオから流れてきたDEAD KENNEDYSの“ホリデイ・イン・カンボジア”にあわせ、頭をぐるぐる回す。その後タップシューズに履き替え、タップダンスを踊る。

モノクロで語られるこの映画は、ほんとうに儚くて美しくて、消えてしまいそうな繊細さとせつなさを持つ映画だ。
登場人物はそれぞれみんな孤独を抱えている。
恋をしても、想いがすれ違い、結局孤独は解消されない。
コミュニケーション不全。すべてがバランスを欠いていて、コーヒーカップは割れ、電話ボックスも破壊されている。アレックスがミレーユを抱きしめようとした時に悲劇が起こる。

私は、この映画が渋谷ユーロスペースで再上映された時、一人で観に行って、ヒロイン・ミレーユが、髪を自分で切るシーンに影響を受けて、中途半端に伸びすぎた髪の毛を自分で切りました。
モンキーズの“Goin' Down”をラウンドしてかけて、鼻歌を歌いながら。
手元にミレーユ・ペリエの写真を置いて、チョキチョキ。
あと、ジュテーム・モア・ノン・プリュのジェーン・バーキンの写真も。
それと、ショート時代のウィノナ・ライダー。
この頃の私は、まだ、恋よりも文化の方が大切でした。

『ボーイ・ミーツ・ガール』の監督レオス・カラックス(当時22歳)とヒロイン・ミレーユ役のミレーユ・ペリエは、当時恋人関係にあり、同棲生活を送りながらこの映画を撮っていたそうです。カラックスはミレーユと別れた後、自分の分身的な主人公を描いた“アレックス3部作”の残りの2作品『汚れた血』、『ポンヌフの恋人』に出演したジュリエット・ビノシュとも一緒に住んでいたので、“レオス・カラックスは主演女優と合宿しないと映画が撮れないのか?”という陰口を叩かれました。カラックスいわく、「映画への愛と女性への愛は、僕の中でほぼ同時に形成され、持続してきた。」らしい。
ここらへん、“恋愛の国フランス”に生まれたフランス人らしいのだろうか?(という身もふたもない感想を言ってみる。)



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JUST LIKE A WOMAN

2006-04-05 17:21:11 | 音楽
今日は、私の一番好きなボブ・ディランの曲で、アルバム「BLONDE ON BLONDE」の中の“女の如く〈JUST LIKE A WOMAN〉”のことを書きます。


だれもくるしみを感じない
今夜こうして雨のなかに立っていても
だれでもしっている
ベビーがあたらしい服をもらったことを
でもちかごろ そのリボンが
巻き毛からおちてるじゃないの
いかにも女らしく取るじゃないの、ほんとに
いかにも女らしく股をひらくじゃないの、ほんとだよ
いかにも女らしく苦しむじゃないの
でも ちいさな女の子のようにもろいんだね

マリーちゃんはわたしの友だちだ
もういちどあいにいこう
いうまでもないことだが
彼女の霧とヒロポンと真珠でもって
ほかのみんなとおなじなことがわかるまでは
ベビーは祝福されないよ
いかにも女らしく取るじゃない、ほんとに
いかにも女らしく股をひらくじゃないの、ほんとに
いかにも女らしく苦しむじゃない
でも ちいさな女の子のようにもろいんだね

はじめから雨だった
おれは渇きで死にそうだった
だからここへはいった
きみのむかしからの のろいが傷つけた
だが もっともわるいのは
この胸のいたみ
ここにはいられない
はっきりしてるじゃないか....

おれはふさわしくない
そう信じてる もうやめるときがきた
また会うことがあり
友だちだったと紹介されたら
どうかばらさないでほしい
きみがさかんだったとき
おれが飢えていたなんて
あー きみは女らしくみせかけをする、ほんとに
いかにも女らしく股をひらく、ほんとだよ
そして女らしく苦しむじゃないの
でも ちいさな女の子のようにもろいんだね



この曲は、一時期ボブ・ディランと恋仲にあり、28歳でドラッグにより急死したイーディ・セジウィックに捧げられたと言われています。(ホモセクシャルをテーマにしたものという解釈もありますが・・。それも当たらずとも遠からずだと思います。イーディ・セジウィックは両性具有のような女性だから。)
アンディ・ウォーホールに見いだされ、ファクトリーのミューズとなったイーディ・セジウィックですが、アンディが生来の飽きっぽさによりイーディに興味を失ったのか、それとも、イーディがアンディの非情な人間性に対して恐ろしくなったのか、急速に2人の関係は距離を持つようになります。その後、イーディはボブ・ディランと恋仲になったというのですが、イーディは、アンディにない人間性の温かさをボブから感じ取ったのでしょうか?その後、ボブとの恋も終わりを迎え、イーディ・セジウィックは精神病院で出会ったという、年下の男性とつかのまの結婚生活を送ります。そして、その夫の隣りで、ドラッグが原因で28年の生涯を閉じるのです。イーディの夫、マイケル・ポスト(この人、写真で見ると、少しフランク・ザッパに似ています・・。)は、「僕のベビーが死んでしまった!」と取り乱し、号泣したそうです。
イーディはとても魅力的な女の子で、男性も女性も彼女の魅力に夢中になったと聞きます。あきれたことに、肉親も例外ではなかったらしく、父親とも兄弟とも性的な関係があったそうです。でも、イーディは彼女の体を求めた人間の誰からも愛されてはいなかったのではないかと思います。イーディは上流階級という名の狂気、アートシーンという名の狂気の中に生きていました。



Blonde on Blonde
Bob Dylan
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無題・1

2006-01-24 16:11:48 | 
すべての比喩を失った君は
きっと 何人(なんびと)でもなかったのだよ
失った裸体の残りづゆを
くさったはずの左手でうけとめて
君の恋人に渡してあげるんだ

彼に国籍はなかっただろうが
きっと 人の住む場所は
その場所ではないんだろうね


言葉は何のために
恋人に愛を伝えるため
太古はなかっただろうが
人間は進化するたびに
修飾を欲しがるものだよ

恋人も失った 君の生涯は
今や逆に進み始めた
初めに見た隧道と
それを 見誤り
消えゆくために



                      〈19歳〉 
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感性を打ちのめされると、

2006-01-24 16:01:49 | 心象風景
自分の中に眠っていた、想像力(創造力)のようなものが、目を覚ましますね・・・。
いろんな方のブログを見て回ってきて、そんなことが、たびたびありました。

私は、もともと、詩人になりたかったのですが、詩人の心は根絶えたと思ってました。
20歳で死を選んだ、詩人の原口統三は、そのことを、「詩人の辞書を失った」と言ってましたが・・・。
私にとって、詩を作ることは、あらゆるところから、自分を攻撃し、痛めつけることなのです・・・。
(苦しいところから自分を救う手だてでもありましたが・・・。アンビバレンツですな・・・。)
今は、まだ、再度詩を書くことは出来ないので、昔の詩をブログに載せさせていただこうと思いました。
こっぱずかしいデス・・・

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