また、しばらく実家に帰ってました・・
喧嘩で、インターネットの回路をダンナさんに切られちゃったのと、実家に帰ってからも、母のパソコンが故障中でNETはしばらく見ることが出来ませんでした・・泣
(いくつかコメントをさせていただく予定があったのですが・・。)
実家では、置いてあった自分のCD、カーディガンズ(アルバム
「LIFE」の中の“カーニヴァル”をラウンドして聴く。)原田知世(「I could be free」の中の曲“ロマンス”をラウンドして聴く。)、ハイポジ
「GLUON」、「君の声は僕の音楽」、スザンヌ・ヴェガ「SOLITUDE STANDING」、マリリン・モンローの“とあるディスカウントストア”で買ったベストアルバムなどを聴いていた。後は、次兄の置いていったCD、エルトン・ジョンのベスト盤(“ユアソング”をラウンドして聴く。)、あと、CD-Rに焼いてあったデヴィッド・ボウイベストも・・・。
それと、もう1枚。今も激しく頭をラウンドしている曲。
20歳の時に、前知識の無い状態で、打ちのめされた...撃ちぬかれた一曲。
BEAT UKでこの曲がかかっていて、ひと聴き惚れ。
パティ・スミス以来の衝撃。
もしかしてパティ以上に・・・。
そこに私の進むべき姿が観えたという錯覚を覚えたくらい。
PJ Harvey-“SHEELA NA GIG”
↑ギターを掲げ、真っ赤な口紅で文明が進化した後の女性性を歌い上げる。それは背徳であるか?神の使命によるものか?(ちょっとばかり憑依型になってるルル...)
PJ Harvey - SHEELA NA GIG live
↑ライヴ版“SHEELA NA GIG”。胸がはだけてても漂うストイズム。
↑
PJ HARVEY1992年リリース「DRY」。音による生命の刻印とも言えそうな震えが来るような曲の数々!
なかでも私が今回ラウンドして聴いていた“SHEELA-NA-GIG”という曲は特に凄すぎる・・!!
(やっば...書いてて著しく興奮してきてしまった。。)
社会派音楽ブログ
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museさんが昨年の5月に、
〈女声ボーカル・オリンピック〉というエントリを書かれていたけど、その時に私はコメント欄で
PJ harveyのことを(勝手に細かくカテゴリー分けして。。)パンク/Newwaveというジャンルでの私的銅メダル女性ヴォーカリストとして挙げてしまったのですが・・・。ヤヴァイ、改めて聴いてみると、やっぱり、1番好きかも・・。
よく比較される70年代ニューヨークパンクの女王、パティ・スミスとPJ HARVEY(ポーリー・ジーン・ハーヴェイ)の違いはパティが、たびたび周囲の音楽仲間の男性との恋を創作の糧としていたのと比べて、ポリーは音楽活動を続けて行く上で、周囲の男性と恋に落ちることはいっさい無く、まるで、頑に自分を閉ざし、何かを守っている風にも見えたという。
この前図書館で彼女について「周囲はそんな悪い人ばかりじゃないはずだよ。ポリー」と語った女性評論家の評を目にして、真空状態で創作活動を続けた女性アーティストのストイズム、そして、痛々しさに、私はその場所で感慨深い面持ちで彼女に思いを馳せた。
その彼女がコラボレーション相手のオーストラリアの変態男ニック・ケイヴと付き合っているという情報を聞いた時は、周囲や(私を含めた)リスナー達はさぞ驚いたものだっただろう(ですよね?)
だいぶ前に書いた、
2人の露出狂が・・という私の文を思い出しますが・・(^_^;)
(・・もうポリーとニック、とっくに別れたのかな・・?情報求む。)
そして、2000年発表のアルバム
「Stories from the City, Stories from the Sea」では、ポリーはトム・ヨークともコラボレーションを果たしています。(彼と恋愛関係になったかどうかは??だけど・・。)
“SHEELA-NA-GIG”の歌詞は、切ない本能の慟哭とも言えそうな(私が持っているCDは輸入盤なので、歌詞カードは無いのですが、かなりきわどい歌詞であるというのは雰囲気で伝わります。“「私の~~を見て」”。)痛々しい内容。ポリーはキリキリとした緊張感をはらみながらそれらの言葉を唸りながら絞り出す。
一人の女性の、性欲とは別の次元の生存欲、女性という性に生まれたことの疑問に対する身じろぎ、あがきのようなものを感じる。
そしてそういった彼女の創作スタイル、姿勢は私にとって(20歳頃から)少なからず共感できるものだった。
(・・この記事、もしかしてドン引きだったらごめんなさい。。
)