聖書箇所:マタイ7章1節~6節
説教題:キリストの弟子に送る三つの諺
直前の6章33節で、キリストの弟子が心に留めるべき重要な座右の銘とも言うべき「神
の国と神の義を先ず求めなさい。」という指示を出された。そして、それは5章の八福
の心構えのまとめとも言えるものであった。そして、今回の聖書箇所に表れる諺を用
いた指示は、その適用の例という面が有る。それは、パリサイ人の実践に留意した注
意でもあった。
1)裁いてはならない(1節~2節)
「裁く」という語は、「物事の良し悪しについての意見を述べる、論争をする」と
いう語感である。キリストの弟子は人の結ぶ実で良し悪しを判断することが求めら
れているのだから、裁くこと自体が戒められているのではない。神の国と神の義を
求め、慈悲深く平和を作り出す者の姿勢でそれをする必要が有る。自分の量る量り
に応じて量られるという点については、最後の審判でキリストに裁かれることを前
提に、神の国の価値観で行動したかということが問われる部分を考える必要が有る
と思われる。
2)自分の問題に先ず注意を向けよ(3節~5節)
「ちり」は乾ききって風に飛ばされる藁の一片やもみ殻を表す語。軽微であること
を示す。「梁」は長く、太い建築物の構造を支える材木を指す語。元来は自らの無
知を正してから人を正すようにせよという戒めの諺。パリサイ人達は、旧約聖書に
は規定されていない安息日規定や食前の手の清めの儀式を守らないと言って弟子た
ちを責めたが、その心はメシアであるキリストも、その印を予告した聖書の言葉を
も受け入れていないという重大な霊的過失が有った。キリストの弟子たちはそのよ
うなことにならないように、神の国と神の義を先ず求める姿勢を求めている。
3)福音を大変貴重なものとして尊び、聞く耳の有る者に伝えよ(6節)
「聖なるもの」は祭壇に備えたもので、神の贖いと交わりの象徴。「犬」は危険な
野犬で、動物の死骸も食べる穢れた動物。「真珠」はインドやスリランカから輸入
され、深く潜って採取したため、採取者が潜水病で亡くなることが有ったりしたた
め大変高価であった。マタイ13章45節~46節の例話では、良い真珠を買うために
持ち物を全部売り払っている。「豚」は貪欲で真珠でも食べようとするが、その価
値を全く理解しない。パリサイ人たちは福音を尊ばず、キリストの弟子たちを殺す
ことを考えたりした。そのような存在に繰り返し福音を伝えて害を被るよりは、キ
リトの証人として、より多くの人に証をすることである。使徒パウロは迫害の機運
を感じると他の都市に移って伝道した。
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説教題:キリストの弟子に送る三つの諺
直前の6章33節で、キリストの弟子が心に留めるべき重要な座右の銘とも言うべき「神
の国と神の義を先ず求めなさい。」という指示を出された。そして、それは5章の八福
の心構えのまとめとも言えるものであった。そして、今回の聖書箇所に表れる諺を用
いた指示は、その適用の例という面が有る。それは、パリサイ人の実践に留意した注
意でもあった。
1)裁いてはならない(1節~2節)
「裁く」という語は、「物事の良し悪しについての意見を述べる、論争をする」と
いう語感である。キリストの弟子は人の結ぶ実で良し悪しを判断することが求めら
れているのだから、裁くこと自体が戒められているのではない。神の国と神の義を
求め、慈悲深く平和を作り出す者の姿勢でそれをする必要が有る。自分の量る量り
に応じて量られるという点については、最後の審判でキリストに裁かれることを前
提に、神の国の価値観で行動したかということが問われる部分を考える必要が有る
と思われる。
2)自分の問題に先ず注意を向けよ(3節~5節)
「ちり」は乾ききって風に飛ばされる藁の一片やもみ殻を表す語。軽微であること
を示す。「梁」は長く、太い建築物の構造を支える材木を指す語。元来は自らの無
知を正してから人を正すようにせよという戒めの諺。パリサイ人達は、旧約聖書に
は規定されていない安息日規定や食前の手の清めの儀式を守らないと言って弟子た
ちを責めたが、その心はメシアであるキリストも、その印を予告した聖書の言葉を
も受け入れていないという重大な霊的過失が有った。キリストの弟子たちはそのよ
うなことにならないように、神の国と神の義を先ず求める姿勢を求めている。
3)福音を大変貴重なものとして尊び、聞く耳の有る者に伝えよ(6節)
「聖なるもの」は祭壇に備えたもので、神の贖いと交わりの象徴。「犬」は危険な
野犬で、動物の死骸も食べる穢れた動物。「真珠」はインドやスリランカから輸入
され、深く潜って採取したため、採取者が潜水病で亡くなることが有ったりしたた
め大変高価であった。マタイ13章45節~46節の例話では、良い真珠を買うために
持ち物を全部売り払っている。「豚」は貪欲で真珠でも食べようとするが、その価
値を全く理解しない。パリサイ人たちは福音を尊ばず、キリストの弟子たちを殺す
ことを考えたりした。そのような存在に繰り返し福音を伝えて害を被るよりは、キ
リトの証人として、より多くの人に証をすることである。使徒パウロは迫害の機運
を感じると他の都市に移って伝道した。
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