パース日本語キリスト教会

オーストラリア西オーストラリア州パースに有る日本語キリスト教会の活動報告を掲載いたします。

火曜聖書研究会 2017年5月9日

2017-05-10 22:14:38 | 火曜聖書研究会
聖書箇所:マルコによる福音書14章53節~72節
研究ノート
53節 イエスはユダヤ人議会の裁判に先ず連行される。
54節 パウロは捕まらないように距離を取ってついて行き、祭司の庭まで入る。下役の間に居れば目立たなかっただろう。
55節 ユダヤ人の裁判の規定では、先に結論を持って審理することは禁じられていたが、それを破って死刑前提で裁判は進行する。
56節 審理の規定としては、二人以上の証言が尋問を経ても一致していなければならなかった。偽証なので一致に至らず無効だった。
57節 証人は立ち上がるのが決まりであった。
58節 ヨハネによる福音書2章19節を参照すると、証言は曲げられていることがわかる。イエスは自分が神殿を壊すとは言っていなかった。手で造られないというのは魔法を連想させようとしたのかもしれない。ヨハネによる福音書では、イエスの御体を指して言ったということが示されている。
60節 証言が一致しないので、イエスの言葉尻をとらえて有罪に導こうとしたのかもしれない。
61節 「ほむべき方」は神を指す。神の御名をみだりに唱えてはならないという十戒に従った言い換え。62節の「力ある方」も同様。
62節 イエスによるキリスト宣言。この表現はダニエル書7章13節の表現と合致する。
64節 この表現では自分を神であると宣言しているとは明確にならない。神の隣に座するメシアという構図では、自らを神とする冒涜とは異なる。大祭司は判断を下す権限が有ったが、議員の賛成が無いと判決にできなかったので議会に尋ねている。
65節 顔おおいをして殴り、言い当てさせるのは、預言者ならば言い当てられると信じられていたことによる。しかし、なぶり者にすることは規定には無かった。
66節 下の庭というのは、裁判が行われている場所が一段高く、ベランダのようになっていたため。そこから裁判の様子を見上げることができた。
67節 大祭司等、身分の高い者のしもべはやや高い権限が与えられていた。ペテロを尋問するのは、イエスを取り戻すためのスパイと考えたからかもしれない。
70節 女中の呼びかけで周囲の役人もペテロをイエスの仲間だと言い出す。理由はガリラヤ人だからというもの。ガリラヤ訛のせいであろう。
71節 のろいをかけて誓うというのは、「~であれば・でなければ、神が幾重にも私を罰せられるように。」という形式と思われる。必死な様子。
72節 鶏が鳴いた時、数時間前のイエスの言葉を思い出す。泣きだしたというのは、原語では嘆き悲しみ、声を出して泣く様を表す。

ごく簡単なまとめ
1)イエスに権威があり、尋問に対して明確にメシアであることを宣言している。
2)最初からイエスを死刑にすることに決めてことを進める大祭司たちの人間的な有様、罪深さ。従来の規定さえ守っていない。自分の信仰の歩みにそういう場面がないかを省みる必要が有る。
3)ペテロの弱さを自分に当てはめて考える。イエスはその弱さを見越していたが、同時にそれを受け入れていた。ルカによる福音書22章では、立ち直ったら兄弟を力づけるようにと予め指示を与えている。
コメント
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