茫庵

万書きつらね

2012年11月04日 - ダンテ「神曲」を読む 3

2012年11月04日 19時21分37秒 | 名句、名言

 仕事に追われる毎日の行き帰りと昼休みにダンテ「神曲」をひもとくこの頃。

 元はTerzineという詩型で書かれていて、ドイツ語版、英語版、いずれもその形式を踏襲して3行を一連として書かれています。但し、各言語それぞれ散文訳もあれば脚韻無視の訳もあります。色々なバージョンを見つけて比較してみると、日本語訳については、私は3行ひと組になっているというだけの散文訳、という感を強くしただけでした。意味は理解出来ますが、それだけです。詩と呼べるしろものではありません。幾分詩情的にましなのが文語訳の岩波文庫版でしょうか。現代語の河出文庫版は読みやすさと理解しやすさは抜群ですが、詩というよりは冒険小説を読んでいるみたいです。

 さて、Terzineは行1+2+3、4+5+6、7+8+9、、、と、3行を一組とする連を任意に続けていき、最後だけ4行目を置いて終わり、という形式です。なお、私は原詩を見ていませんが、その3行はaba、bcb、cdc、、のように脚韻を踏む、と、とある詩学の説明には書いてありました。実際、ドイツ語版でも英語版でもそのルール通りに脚韻を踏んでいるものがちゃんとありました(踏んでないものもあります)。もちろんこの詩型はイタリア生まれなのでもともとドイツ語にはありません。ドイツ語世界ではダンテの「神曲」を徹底的に研究してこの詩型をものにした、とある本には書いてありました。異国の詩型を導入する為に、ドイツ語圏の先人たちは、日本の口語自由詩運動以来の怠惰なで不遜な詩人とは違って、多大な努力を惜しみなく払ったのです。

 詩人たちが努力しなかったお陰で日本語には原詩の詩情を十分に感じられる名訳は存在せず、詩学の発展もなかったせいで日本語には西洋の詩型を移植出来る日本語詩の詩型が未だにありません。もともと日本現代詩は西洋詩を真似るところから始まったのに、です。先ず詩学的な発展が遂げた詩人や学者が提言を発表し、実作による読者への普及があり、詩の世界は作り手にとっても受け手にとっても豊かに拡がっていくものなのですが、日本には新しい詩型の発表も詩学の読者への普及の動きもありませんでした。

 もっとも私は口語自由詩など詩とは認めない派なので、こんな人々がどうなろうと関心はありません。自分に考えつく限りに日本語の詩型への試みを求めていくだけです。

 詩型について、つらつらと考えながら読み進みます。いちど読んだだけではなかなかどういう内容なのか把握出来ません。詩としての面白さや味わいどころか言語としての意味すらよく分からないのです。私は洋の東西を問わず、古典を最初に読むとたいていこんな第一印象なので、これ自体は別に珍しい事ではないのですが、どこかに自分に合った訳がないものかとインターネットを捜し回り、英語版とドイツ語版それぞれに見つける事が出来ました。とりあえずはそれを自分の底本として他のバージョンも読み比べる、という進め方でいきます。



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