続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

巻1の19 飯毳飯の事

2015-02-22 | 理屈物語:苗村丈伯
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 唐土の、郭震という者と任介という者は友達同士で、西蜀のなかでも、人に優れた才能を持っていた。
 ある時、郭震が任介に手紙を出して、「明日、飯を振舞って差し上げよう」と伝えたが、任介は手紙の意味がよく分からず、いささか不審に思っていた。

(注)上の文章で、「飯」の前にある文字は、環境依存文字なので、表示されていないかもしれません。
 ここには、「白」という字を3つ重ねた文字が入ります。(「品」という字が「口」」を3つ重ねたように)


 それでも、取り敢えず約束のとおり郭震の家へ行ったところ、昼になって食事を出されたが、それは白飯一杯、大根、塩を一盛りだけであり、その他には何もなかった。任介が、
「昨日の手紙に飯とあったのは、何のことだい」
と問えば、郭震は、
「今、差し上げた、白い飯、白い大根、白い塩は、三つともみな白いものだから、これが飯だよ」
と言う。任介は仕方なく、その膳を食べて帰宅した。
 さて後日、任介は、この意趣返しをしてやろうと思っていた。そこである日、郭震の家に手紙を送って、「明日、毳飯を振舞いたいので、お出で頂きたい」と伝えた。
 郭震は約束どおり任介の家に行ったが、昼過ぎになっても、食事の出てくる気配がない。郭震がどうしたことかと問いかけたところ、任介は、
「時間が経てば、分かると思ったがなあ」
と言う。郭震は重ねて、
「どういうことなんだ」
と問えば、任介は答えて、
「今日のご馳走には、飯もなし、大根もなし、塩もなし。つまり、無いものが三つだ。昨日、伝えたとおり、毳飯ではないか」
と言って、ついに何も食べさせずに、郭震を帰してしまった。

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 笑い話に注釈を加えるのは野暮の極みであるが、この話は諸兄諸姉にも、何が面白いのか訳が分からないと思う。
 まず前半の、白飯と大根と塩の、白いもの三つで「飯」というのは、「」の字が、「白」という漢字が三つ重なっているから、こちらは納得されるであろう。
 しかし後半の、無いものが三つで「毳飯」というのは、「毛」という漢字と「無い」という意味がどう関係しているのか、腑に落ちないのではないだろうか。

 調べてみたところ、これの原典は中国にあって、蘇軾(1037-1101北宋時代)という人が、任介の立場で意趣返しをする話である。
 参考までに、蘇軾は、日本では蘇東坡という名の詩人として知られているが、詩人としての蘇東坡を知らない人でも、彼が大好きだったことから彼の名にちなんで呼ばれるようになった中華料理、角切り豚バラ肉醤油煮込みの東坡肉(トンポーロー)は、彼の詩よりもはるかに広く知られている。
 さて、では本題だが、「毛」と「無い」は、中国語では同じ意味を表しているものなのか?
 原典の方を読むと、「毛」という字は「mao」と発音し、この発音は、「無い」という意味の言葉にも通じるから(つまりはダジャレ)、「毛、毛、毛、mao,mao,mao」で、無いものが三つだ、との説明を加えている。が、その説明を読んでも、ますますどういう意味だか分からない。
 幸い、私の知り合いに中国人の女性がいるので、この話を紹介して「中国語では、そうなの?」と訊いてみた。ところが都会育ちの彼女にもこれは初耳であり、わざわざ国語(彼女にとっての国語だから、もちろん中国語)の先生にまで問い合わせてくれた結果、中国の方言で、たしかに「mao」が「無い」という意味になる地方があるということを、教えていただいた。
 それにしても、である。
 郭震と任介の話は、原文にも野暮な注釈など付けられていないが、収録されている「理屈物語」は庶民が気軽に読むような書物であり、そのような書物に収録された笑い話のオチが、現代人の私がネットで原典を調べ、中国人がメールで先生に問い合わせて、やっと意味が判るほど難しいものでは、江戸時代の、漢文の素養がある知識人ならまだしも、一般の庶民向けではないであろう。
 それとも逆に、江戸時代は庶民(いくら何でも、一定の教育を受けることが可能な中間層以上だとは思うが)でさえも、誰もがそうした知識を持っていたのであろうか。
 そうだとすると、江戸時代の庶民は、何と豊かな教養を身に着けていたのか。その上、これほど高尚な知識でさえも、知的遊戯として笑話にして楽しむ程度に過ぎない、とでも言うのであろうか。
 何にせよ、私がようやく調べ上げたことも、江戸の人にとっては常識的なことだったとすれば、私はまだまだ彼らの常識にすら及んでいない。江戸の人々から「無知な奴め」と笑われないよう、精進を怠らぬつもりである。


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