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唐土、呉の国が、荊という国を討ち滅ぼそうと計画した時、呉の国の舎人で儒子と言う人が、呉王を諌めよう思ったが、一向に聞き入れられないことを歎き、どうにかして諌めようと思い、毎朝、宮廷に出ては嘆き悲しんでいたところ、呉王は儒子を召して、
「どうしてそんなに悲しんでいるのだ」
と尋ねれば、儒子が言うには、
「私は、園に雀が多く集まっていると聞き、これを獲ろうと思って園に行ったのですが、雀を獲ろうと思う事ばかりが心にあって、自分の衣が、園の草葉についた露のせいで濡れてしまう事まで考えが至りませんでした。ですから、衣が濡れてしまったことを歎いているのです」
と言ったところ、呉王は、その真意を悟って、その後は、荊を討つ事を止めてしまった。
儒子は、雀を獲ることを荊を討つことに喩え、衣が濡れてしまうことを、呉王が戦に負ける災いに遭うことに喩えたのである。
主君に臣として仕える者は、主君が間違っているときは、さまざまな方法を以て、何とか主君を諌めて、正しい道に帰らせるべきである。ひとつの方法が用いられなかったからといって、みだりに主君を見限る事は、忠臣のするべきことではない。
唐土、呉の国が、荊という国を討ち滅ぼそうと計画した時、呉の国の舎人で儒子と言う人が、呉王を諌めよう思ったが、一向に聞き入れられないことを歎き、どうにかして諌めようと思い、毎朝、宮廷に出ては嘆き悲しんでいたところ、呉王は儒子を召して、
「どうしてそんなに悲しんでいるのだ」
と尋ねれば、儒子が言うには、
「私は、園に雀が多く集まっていると聞き、これを獲ろうと思って園に行ったのですが、雀を獲ろうと思う事ばかりが心にあって、自分の衣が、園の草葉についた露のせいで濡れてしまう事まで考えが至りませんでした。ですから、衣が濡れてしまったことを歎いているのです」
と言ったところ、呉王は、その真意を悟って、その後は、荊を討つ事を止めてしまった。
儒子は、雀を獲ることを荊を討つことに喩え、衣が濡れてしまうことを、呉王が戦に負ける災いに遭うことに喩えたのである。
主君に臣として仕える者は、主君が間違っているときは、さまざまな方法を以て、何とか主君を諌めて、正しい道に帰らせるべきである。ひとつの方法が用いられなかったからといって、みだりに主君を見限る事は、忠臣のするべきことではない。