野菜と果物とミスチルとうさぎとパンダ好き♪

食べる事、音楽、動物が好き、何事にもポジティブに暮らす調理師で野菜ソムリエpikaの日々の紹介です。

入院生活から1ヶ月

2009年09月27日 | 甲状腺腫瘍摘出手術
人生初の手術入院から一ヶ月が過ぎました。
ご存知?のとおり、順調に生活しております。

手術後の夕方、病室に様子を診にきてくれた外来でもお世話になっている執刀医から、まだボケボケの私に「手術は無事に終わりましたからね」等とたくさん話し掛けてくれて「ご主人にも話しましたけど、来月の24日に診察予約を入れてあるから・・・・・・・」と時間などの説明をしてくれた。
その日がやってきた。
先生の「手術は無事に終わりましたからね」の言葉は確か、手術室で意識を戻し、目をあけた私の顔を覗き込み言われた言葉でもあった。

診察では、摘出した腫瘍を見るのを家族が断ったので私が見ることはもうできないか?との問いかけに、
私のデータの入っているページの中から画像を開いてくれて、しっかりとパソコンの画面で見せてもらいました
それは、甲状腺にくっついているとても綺麗な色の高級な紀州の梅干のようなものでした。
腫瘍をパカッと割って開いた状態の画像でした。
先生が「シワシワの梅干みたいだね」と言ってくれたので、「ほんとだー、梅干だ~」とつぶやきジ~っと見ていた私

この日は、メモを書いて持参し、先生に「質問があります!」といくつかの疑問を聞いてきた。

残っている左の甲状腺にも腫瘍が出来る可能性について・・・
ない、とは断言できないけど、今回のように摘出に至るかはわからない。
先生の話し方からは、摘出の可能性は少ないように受け取れた。
検査して悪性だと判断されたら摘出でしょうが、今回のように良性だったら、とかもっと高齢になっていたらとか、その時の状況によるということだと私は受け止めた。

腫瘍が出来る原因は、今の医学では完全には解明されていないらしい。
私が独自で集めた色々な情報からは、海藻類の食べすぎ、キャベツなどのアブラナ科の野菜の食べすぎ、などを目にしていたので、不安だった。
腫瘍があるのがわかったときから
「ヤベ~毎年冬にキャベツ食べ過ぎたかぁ?」
「メカブ、ワカメ、もずく、昆布食べ過ぎたかぁ?」
と不安がよぎっていた。
で、食生活のことを先生に確認してみた。
おもいっきり笑顔で「今までと同じ食生活で大丈夫だよ、何も気をつけることはないよ」と言ってくれた。
すごい、安心したのであります。

今回、腫瘍が出来ていた病院嫌いの私に早く病院へ行け!と背中を押してくれた友人から、検査に通っていたころに先生の様子やこの病院には非常勤で週1日来ていることを報告していたら「pikaさんの先生、かなりの腕の持ち主とかすごい先生かもしれないよ」と突っ込まれて、先生の名前をネット検索してみたり、本屋さんで「医者がすすめる専門医(神奈川県)」を見たりした。
友人の予想は的中。
現在、3病院を回っている先生なのは先生が話してくれたから知っていたのですが
今はここの病院の人間だからと教えてくれた病院では、助教授の肩書きが付いていた。
しっかり、この本にも紹介されたいた。
腕もすごいのでしょうが、患者の私への対応も素晴らしい先生だと感じています
先生の事は、また別の機会に紹介します。


次回は、クリスマスイブに私の診察予約を入れられました。
3ヵ月後です。
しばし、病院と先生とはおさらばです






最近は・・・・

2009年09月27日 | うさぎ
久しぶりに登場のきっくです。
今月もまたてんかんの発作を起こしましたが、それ以外は毎日順調に生活しています。
私の入院前には出来なかった、完全(でもないけど)管理を退院後からはじめました。
しばらくは、1日中一緒にいられるので、生活リズムを作れると思いやれる範囲で本格介護スタートです。
きっくは甘え放題

まず、お水です。
やはり自力での水分飲量はかなり少なく、頑張ってもらってはいたものの、体に良くないので、シリンジを使い私の手で飲ませることが毎日の日課です。
シリンジを差し出しても、飲みたくないときにはプイとそっぽを向きますが、
飲みたい時にはグビグビです。
そんな時には、何度も何度も吸上げながら、飲ませます。
待ちきれず、舌を出してペロペロと出し「もっと、ちょーだい」をアピールしてきます。
「はい、お水だよ~」



日によって飲む量に差があるのを感じました。
こうやってあげていると、1日にどれだけ飲むのかもかなり正確に把握できる、
そして、飲んだ量に比例しておしっこも出るので、おしっこをさせるタイミングも読めるようになりました。
きっくが自力で立てなくなってから、毎日簡単なメモの記録をつけていた。
最初は投薬が6種類も重なりそれが1度に与えるものではなかったので、組み合わせなどが覚えきれず、投薬メモが目的だった。
(現在投薬は3日に一度で1種類だけに減りました)
それから少しづつその日のきっくの様子も記入していると、病院へ行った時に先生に状態を伝えることに役立つ事に気づいたのと同時に先生から「書く事は良い事ですよ、記憶よりメモに残っている方が確かなものだし、あの時はどうした?と振り返った時にも役立ちますよ」と言ってもらえたので、更に内容をアップして記入している。

おしっこの管理もできるようになりました。
今までは午前と午後にわけて回数のみを記録していたが、きちんと細かく時間を記録するようにしたら、1日のリズムがあり何時ごろにおしっこをする時間かが把握でき、きっくをケージから出し、私の手を添えて4本足で立たせ、ふんばりシャーとしてもらうことが出来る。
タイミングが合わない時には、しない時もありますけど
待ちきれなかった時は、ケージに近づくだけで「うぃ~」と小さな声でうなりケージから出すとすぐにジャーとしてくれます。
そして前からあったように、ケージから出ている時間におしっこをしたくなると、
「うぃ~」と小さな声でうなりながら私めがけて前足だけでパタパタを移動してきます。
おかげで、寝たきり動物におきやすい下半身の皮膚の尿やけはない状態です。
でも、床ずれは出来ています

ケージから出すと、前足だけで自分で移動するお気に入りの場所は、このマットの上。

こうやって寝ていることも多々あるのですが、背骨が曲がりはじめているので、矯正のために本格的に寝ていたらうつ伏せにして、なるべく真っ直ぐな体型で寝てもらう





以前、獣医さんから教えてもらったもの。
動物用のマットでないので、ホームセンターなどで目にしたことのある方も多いはず。
そして、きっくのことを気にかけてくれている、犬を飼っているお友達もこのマットのことを教えてくれました。
犬と後足の不自由なウサギを飼っているお宅で使っているよ、と教えてくれました。
すでに愛用していましたが、ありがたい情報です





動物愛護週間

2009年09月20日 | うさぎ
9月20日から26日までは動物愛護週間です。

全国各地で動物愛護精神の啓発や適正飼養の知識の普及を目的にこの連休や来月にかけて色々な行事が開催されています。

私も去年は、横浜、川崎の2箇所で開催されたイベントのお手伝いに参加しました。
今年は来月活動に参加する予定です。
人間の勝手で大切な命を放棄されることのないよう、1匹でもその命を守ることが出来るよう、みんな地道に頑張っています。
ペットブームといわれている世の中・・・・
お金があればペットとして命を簡単に買うことができてしまう。
でも、その命を守っていくには更にお金と時間を費やしていかねばならない。
私も最初のウサギとの出会いは、ペットショップでの購入だった。
でももうお金を出して命を買う事はしないような気がする。
子供のころから免疫力の弱かったきっくもいろんな病に冒されながらも、獣医さんのおかげでこんなに長生きすることが出来て、自分の好きなものが食べられている(多分、食べることが一番の楽しみ)
看病、介護をしながら命の大切さをそして毎日生きる力を私に教えてくれている。

犬・猫は特に・・・
里親募集や譲渡会などで引き取り手を探していることをよく目にします。
住宅事情で私は犬・猫を救うことはできませんが、これからペットショップで買おうと考えてる人にはぜひ、まず引き取りを探している動物(健康な子がたくさんいます)と会ってから考えて欲しい。
私の好きな料理研究家の先生の1人のお宅で飼っているワンちゃんも確か何処かから引き取ったワンちゃん。
その先生も以前ご自分のブログの家族紹介で娘さんたちと一緒にワンちゃんの紹介もされて「犬を買わない!」みたいな内容を載せていたのを目にして益々この先生を好きになった。
そんな気持ちの人がもっと増えるといいなぁ~と願うのであります









入院生活その3(ちょっと生々しいです)

2009年09月12日 | 甲状腺腫瘍摘出手術
甲状腺の病気の検索で、このページに飛び込んだ方は、
このページを読む前にとりあえず「甲状腺の手術検索で見にきた方へ」というタイトルの内容からまず読んでいただきたく思います。

これは手術の前に病室で写したものです。
この画像が私の許可なく、他のサイトに使われていますが、そのサイトとは無関係です。
そのサイトに医療機関の名前が出ていても、私が手術してもらった病院ではありません。

わざと腫瘍が目立つように、強調して家族に写してもらいました。

私の場合、右の甲状腺から正面にかけて気管を巻き込むように腫瘍が出来ていました。
ちなみに腫瘍の出来る場所は、こことは限らないようです。
甲状腺の待合室では、喉仏の横あたり顎に近い辺りにポコンと膨らんでいる人をみかけましたし・・・。

この手術着はマジックテープで前身ごろと後身ごろがくっついているだけのもの。
手術中は心電図を着けられたり、麻酔がかかると尿管も入れられたり、翌日まで寝たきりになるので両足をエコノミークラス症候群を防ぐ為のシップのようなものと包帯のようなものでグルグル巻いてくれたり・・・となんだかんだと首にメスを入れるのでも、知らない間にスッ裸にされているわけで、脱ぎやすい仕組みになっている。
病室で下着はパンツ1枚で、この手術着を着て待っていて下さいと言われました。
私「どうせ、パンツも脱がされるなら、履いて行かなくてもいいですか?」と言ってしまうと、看護士さんニヤリとしながらも「それはちょっと・・・」と困っていた。
私「パンツに名前書いてきてないから、『私のおパンツ何処へ行ったの~?』って騒ぎになっても恥ずかしいし~」と言ってしまったら、
緊急手術を受け入院していたお隣のベットの方が、笑い声と共に「大丈夫よ、袋に入ってちゃんと、戻ってくるから」と言ってくれた
そんなやりとりから多分10歳位年上のお隣のベットの方とも術前、術後と色々話しかけてもらい、孤独感を感じない入院生活を過ごせた。
なのできちんと下着のパンツをはいて時間まで待機していた時の写真です。

この後、点滴も何もされていない私は、下の階にある中央手術部へ看護士さんと旦那と3人でテクテク歩いて向かった。
手術部の前には朝一番の手術待ちの人たちが5人くらいいました
結構若い人たちが多かった。
みんな何処を手術するんだろう・・・?なんて思っている間に大きな自動ドアが開き私が呼ばれて「じゃぁ」と言った時の旦那さんの反応がそっけなかったようで私を呼んでくれた麻酔科の先生から「そんなもんでいいんですか?」みたいな突込みを受けてしまい、さんも軽くをふった(笑)
元々、私の10分の1くらいしか言葉を発しない人、マイペースでお外では更に感情をあまりむき出しにしないし、言葉少ない人になる。なので、これが普通だったのです

そして、なんと・・・・
大きな自動ドアの向こうは更に左右に5部屋くらいづつ手術室があったのです、こんな体験初めてだったので初心者の私キョロキョロ
こちらです、とその中の左側の一つの手術室の扉が開き中へ入り、改めて麻酔科の先生、手術室の看護士さん男、女1名づつと挨拶をされて、腕のバーコードチェックと名前確認と手術箇所の確認をされた。
手術室には意外な音楽が流れていた・・・こんなのリクエストしてないわい

この先もコロッと麻酔がかかるまで色々なエピソードがあるのですが、今回は首の紹介なので話題を戻します。
退院の日の朝、自宅に帰ってからのテープの交換方法を看護士さんに教わる。

この白いテープが術後からずっと貼られていたもの。
この日まで更にこの上にはガーゼなどを当てられていたり大きなテープで固定されていた。
白いテープを自分で剥がして(剥がし方も学ぶ為)から貼りかえましょうと言われたけれども・・・・
この状態を見て「これを剥がすのは怖いよ」と言ったら看護士さんが説明しながら剥がしてくれた。
傷口からほんのちょっと血が滲んで出てきたでも、しっかりついてるから大丈夫ですよ、傷口も綺麗ですよ、と消毒をしてくれた。
私にはこれで大丈夫なのか???という風にしか見えなかった
左に見えるカサブタは、ドレンといって手術部分からの血液、廃液などを吸い出すための管(ストローのような)が出ていた穴。
この管は術後2日目に抜いてもらえた。

退院してからは、こんな保護テープを貼っています。
(首がシワシワ

このままお風呂に入っても良し、だけどなるべくならテープを剥がしゴシゴシとよく洗ってからテープを貼ることが良いと言われる。
しかし・・・・まだ変な痛みもあるし、いまだにゴシゴシなんて洗えておりませんのよ。
多分、首は垢だらけ

ここから生々しいです
術後5日目です

周りが赤いのはテープかぶれです。
皮膚が弱いので痒くなったら病院に連絡くださいと言われていたけど、我慢できる程度と家にいる時には剥がしている時間を多くとっているのでこのテープを使って頑張っている。

そしてこれが術後8日目

段々と腫れがひけてきました。
自分自身もここを見るのに慣れてきました。
慣れてくると気になり毎日何度も何度も見てしまう

そしてめまいなどのフラフラ感も治まったので、1人で歩いて世間に出てみようとした日がまだ少し暑かったので、ストールじゃ暑苦しく、こんなものを首に巻き買い物に出てみた。

しかし首がスムーズに回らず、道を渡る時に車の往来の確認が大変だった。
買い物することも結構大変だった
なんだものすごく疲れた

そしてこれが一番最近のもの手術から2週間。
怪しげな事が起きたので病院へ連絡をして急遽診察へ行くことになった日。

この日診てくれたオペに加わった外科の先生には術痕がすごくきれいだと言われ、確かに綺麗だと思ったのだが、上手い具合にシワが1本増えたように見えるな~とも思えた。

「ボクが頑張りますからね」「いっしょに頑張りましょうね」とポンポンと何度も肩を叩いてくれ手術説明を受けた時、執刀医(甲状腺専門の先生)には「傷口は最小限にしますから5cm程度になると思います」と言われ、
「傷口はいくら大きくても無事に終わればいい」みたいな発言をしてしまった私に先生からは「ボクのポリシーが許さないから・・・」と言われた。
女性ということもあり傷口は最小限に綺麗に仕上げたいことポリシーにしているんだという事を知った。
なので紫外線を当てないようにというメッセージをしっかり守る日々を過ごしている。

これからは、ストールやマフラー(まだ早いか?)も巻ける時期になるので、テープを卒業してお外に出られそうです









入院生活その2(病院食その3)

2009年09月11日 | 甲状腺腫瘍摘出手術
入院4日目、術後2日目。
入院した日に選択できたメニューが登場のこの日。
朝はパンを選びました。
入院してから、はじめての朝食です。
食パン2枚
ジャム&マーガリン
クラムチャウダー
ソテー(キヌサヤ、人参、もやしだったような・・・)
牛乳

クラムチャウダーをパンに吸わせて食べることが出来るぞ!と期待していたのですが、見ての通り、スープ少なく、肉じゃがならぬアサリじゃがみたいな物だった
パンは焼くと硬くなるので生のまま少ないながらもスープを吸わせてなんと、1枚を食べることが出来た。
じゃがいもと人参が柔らかかったので、スプーンでブニュ~と潰して食べる事が出来た。
アサリは噛めないのでごろごろと残してしまいまるでアサリが嫌いでよけたようになってしまった
この日、昨日より飲み込みの違和感が少し楽になってきたのを感じ、あんなにヒリヒリガンガンしていた首の痛みが少なくなったのも感じた。
先生の言っていた通り1日、1日と良くなってきている。
昨日はほとんど食べられなかったので点滴を追加されてしまったが、この日で点滴を外してもらえた。
熱も下がり、看護士さんから「ご自宅に戻られて食べやすいものをたくさん食べた方が良さそうですね」と言ってもらえたので、6日目退院予定だったが希望を出した5日目退院への期待が大きくなった

そしてこの日のお昼だけ選択できなかったメニューが
ご飯200g
キャベツとセロリのスープ
鶏肉のから揚げ
花野菜サラダ(ブロッコリーとカリフラワー)
フルーツ

この短い間に・・・なんと2回目の鶏肉のから揚げにあたる
しかもこの日はまだ顎の不調と飲み込みの違和感で硬いものは噛めない。
付け合せのミックスベジタブルを食べましたよ
ご飯はスープに浸けて柔らかくして食べた。
この日はご飯4分の1食べることが出来た。
フルーツはネーブルだった・・・果物にはちょいと詳しい私。
旦那さんに「これ何だ?」と言って食べさせると「みかん」とか「八朔」とか言うだろうな~。オレンジ色していれば食べてもなんでも「みかん」と言う。
最近やっと、「八朔」とか「いよかん」の名前を覚えてくれたのだが、味の区別はわかっていない、わかろうともしていない。
ネーブルなんて絶対に当てられないだろうな~と思いながらなんとか吸い付いて果汁をいただいた。(美味しかったよ

点滴は外れて完全に自由な体になったので、1階の売店に行きプリンを買ってきた。
が、しかし、よくばってジャンボプリンを買ってしまい1個を食べきるのに、すごく時間がかかった

そしてこの日、インフルエンザも流行っているし、入院期間も短いので、とお断りしていたんだけど、友達がお見舞いに来てくれた。
ご飯200g
味噌汁(麩と葱)
野菜あんかけ(カレイ)
長芋の酢の物

味噌汁登場でねこまんま状態にしてご飯半分は食べた。
カレイも柔らかかったので少し食べることが出来た。
酢の物はオクラともずくも混ざっていて好きなパターンだったけど残念なことに食べにくくて無理だった。
少しの時間だったけど、友達に来て貰え、顔を見せてくれただけで嬉しかった
インフルエンザに感染しないようにと、祈りながら1階まで降りてちょっと涼しくなっている外の空気を吸いながら、さようならした

入院5日目(術後3日目)
昨日、漠然と退院の許可がでていたのですが、朝の回診時に傷口のテープを剥がし状態がよければ、退院OKということにしましょうと先生から言われていた。
この日昼前には退院したので、
病院食最後の朝食メニュー(選択していないので、何が出るだろう~?)
ご飯200g
大根の味噌汁
豚肉とインゲンの炒め物
コールスローサラダ(ミカン入り)
牛乳

朝食なのに、フルーツがない~サラダに入っているミカンだけ
朝食なのに我が家の夕食のようなおかずの豚肉とインゲンの炒め物。
さすがにまた肉は噛み切れないし、インゲンは冷凍インゲンを使っていたのが個人的に残念だった。
まっ、退院するからとりあえず無理せずにと、おかずを残し、この日もご飯を味噌汁浸し半分くらい食べた。

心苦しかったのが、入院中かなり食べ物を無駄にしてしまうこととなってしまった
でも、顎の不調の時は無理しないことが一番の回復に繋がるので無理はしなかった。
違和感や痛みだけだったら、時間をかけてもう少し頑張って食べることが出来たと思うのですが・・・・

と、期待はずれの食生活を終えて病院から1人でタクシーに乗り家に戻ってからは・・・・
事前に買い物をしてもらっていた、冷蔵庫にある玉子豆腐やカステラやゼリーやヨーグルトやバナナ、じゃがいもをレンジで温めバターをつけてじゃがバターなど柔らかいものを食べまくった。
家に戻ってから作ったものは、豆腐の味噌汁。
もちろんご飯を浸して食べた。
煮込みうどんも作りなんとか食べているうちに段々と顎の違和感も治まり退院から3日目くらいには普通のご飯も噛めるようになり徐々に回復したのであります。





入院生活その2(病院食その2)

2009年09月11日 | Weblog
入院3日目、術後1日目の朝。
朝の回診(テレビドラマのように朝と夕方にぞろぞろと先生数人&看護士数人がやってくる)の時にお水を飲むことの許可がおりる。
手術の影響でむせないか??が怖くて恐る恐るストローで水を吸い込んでゴックンと飲んでみた。
「飲めた~」という安心と同時に、喉に激痛
なに???この痛み
首にメス入れてるんだもん、しょうがないんだよなぁ~と自分を励ます。
首を動かすのが不自由でこの後からず~っとストローを使って水分を飲んでいた。

病院食の続きの紹介の前に・・・・

私、約15年前に顎関節症を患った。
通院治療で一応症状は治まったが、顎に負担をかけると調子が悪くなる。
今回入院した病院は、この顎関節症でお世話になった歯科口腔外科がある。
しかも、私の人生の中で一番素敵と思えた、口が開きずらくなった時に精神的に助けてくれた先生との出会いの病院だった。
現在も在籍しておられて、現在では顎関節症の名医としてものすごく有名になられた先生、この先生がいらっしゃるので今回この病院を指定した。
しかも運良く外科に甲状腺専門外来があったので、ここに入院することが出来た。

手術前(入院1日目)に手術室の看護士、薬剤師、麻酔科の先生などが次々と手術説明に病室に来てくれる。
全身麻酔中には、口から気管に管を入れ人工呼吸になる事を説明される。
心配ごとはあるか?と聞かれ、顎の話をしたところ充分に注意しながら口を開かせてもらうと言ってくれた。
手術が終わって麻酔から覚め病室に戻り、自分の存在が頭の中で理解できるようになった時に、口の違和感を感じた。
それから夜中の痰を出す為の咳き込みなどで、口の咬み合わせの違和感も感じた

術後1日目の朝、尿管の管も抜かれ看護士さんと歩く練習を済ませて少しだけ身軽になって、その他の点滴などの付属品を連れて歯磨きに行くと、口が大きく開かないことがわかった
でも、顎に痛みは無かったのでそれほど辛くはなかった。
熱の為もあるかと思うが歯茎が異常に痛かったのと、気管の管の影響だと思われる下唇が明太子のように赤く腫れていたのが気になった。
甲状腺専門の先生のチームで手術に加わった外科の若い先生に話すと「顎の弱い人は何かあるとすぐ顎に影響が出るからだと思うよ・・・」という返事だった。
って、事は???と日が経てば落ち着くだろうと自分の中で思えた。
術後現れた麻酔科の先生の代理の人からは、顎には充分気をつけてやらせていただきましたので・・・・と言われたので多分心配ないだろうと思った。

時が解決してくれて退院後に回復して、現在はもう全然大丈夫です。

では病院食の続きです。
入院3日目、術後1日目のお昼から食事がスタートです。
全粥330g
鮭のホイル焼き
インゲンのささみ和え
フルーツ(マンゴー)

熱がある、頭が痛い、喉も痛い(飲み込みの違和感もある)、痰がからむ、咬み合せの違和感、歯茎も痛い・・・・・
なんだかボロボロ状態の中、このメニューとは
お粥スプーンで3杯とマンゴー(冷凍マンゴーが半解凍状態)を半分食べれただけ。
鮭に箸をつけたが、噛めないので諦めた。
お腹は空いているんだけど、これじゃ、無理だよ~。
柔らかい梅干があれば、もう少しお粥は食べられたかも

この日まで会社を休んでくれた旦那さんが午後から来るので、
ゼリーなどの柔らかいものを買ってきてもらった。
フルーツ入りのヨーグルトも買ってきてくれた。
(共同冷蔵庫があるのでひとまず保管)

きっくの世話もあるので、さんには夕方早めに帰ってもらった。
せめて夕食までいてもらえば良かったと後悔するメニューの夕食

ご飯200g
小松菜のすまし汁
牛肉の山椒焼き
ビーフンソテー
桜大根漬け

もう普通のご飯だよ~
午後に痛み止めの点滴を入れてもらい、歯茎や頭や喉の痛みが楽になったので、
いけるかもしれないと思った夕食。
すまし汁にご飯を入れて食べてみる・・・飲み込みの違和感に負けてスプーン3杯のご飯がやっと。
ビーフンソテーから柔らかいビーフンだけをひろいあげて食べれた。
牛肉がなんだかたっぷりあったのだか、口に入れてみたが噛めずに出してしまった。
おかずもご飯もものすごく無駄になってしまった、この時あ~もう少し旦那さんにいてもらえばよかったと後悔
旦那さんは、昨日きっくの世話などでかなり疲れていたようで、野菜ジュースを飲みそのまま寝てしまい夕飯を食べなかったと言っていたのだ
多分、お菓子を食べたんだとは思いますけど・・・

甲状腺の専門の病院ではないので、食事がかなり厳しいな~と感じた。
豆腐や炒り卵やうどんなどは出ないのかい????と心の中で叫ぶ
食事確認に来た看護士さんに「同じ手術をした人で翌日からこれを食べれる人はいるんですか~?」と尋ねると「みんなそれぞれで、なかにはバクバクと食べられる人もいるんですよ~、違和感も痛みもあるから辛いですよね、無理しなくていいですよ」と言われた。

この夜はゼリーとヨーグルトを食べてお腹を満足させた
この日動かなければ痰がからまなくなってきたのと、痛み止めを点滴に入れてもらえたので、昨夜よりは落ち着いた夜を過ごせた。

長くなったので、つづく・・・・









入院生活その2(病院食その1)

2009年09月10日 | 甲状腺腫瘍摘出手術
今回の入院体験で、病院食は勝手に期待していた。
色々な方々の入院生活のブログを拝見したところ果物も毎回付き病院食は意外にも結構充実しているようだったので。
元々家庭でも野菜中心のお粗末な食生活をしているし、なんといっても何もせずに食事が運ばれてくるう~上げ膳据え膳生活が主婦にとってはうれしくもあり、気分は上昇

まず、入院一日目のお昼
入院が午前中だったのでお昼から病院食がスタート。
ご飯200g
鯖の味噌煮
チンゲン菜の炒め物
フルーツ(梨)

魚好きな私にはラッキーなスタートとなった。
が、この時点で米の量に比べておかずが少ないじゃないかと気づく
スープも味噌汁もない
結局鯖の味噌煮の汁を残ったご飯にかけて完食。
この病院特に食事制限のない患者には入院3日目以降食事を選べる仕組みになっているA、Bの2コースから選択。
この日についてきたのが、28日のメニュー選択の用紙だった。
選択できるはずが、28日の昼は1コースしかないと書かれていた。


その日の夕食
ご飯200g
鶏肉のから揚げ
キャベツの甘酢和え
切干大根煮

お昼より1品増えたものの、汁物がない?そして果物もない(やっぱり夜は果物食べるものじゃないのね、とせつなくなる)
(ピンクのカップに入っているのはお茶です)
漬物さえあれば、ご飯をすべて食べられたのですがこのおかずだけでは食べきれず
おかずはずべて食べましたが、ご飯を少し残してしまった

そしてこの夜下剤を飲まされる。
看護士さんに、お通じの良い私が飲んだら夜中お腹ゴロゴロして眠れないのではないか?と尋ねたらニヤッとされて明日の朝に出たくなるような下剤なので大丈夫ですよ~と言われた。
その通りで翌朝いつもの時間に普通に出ました

入院2日目は手術の日なので禁食の札をベットに下げられ明日は何も食べられない、飲めない(水分は夜中の12時以降もダメだった)。
人生初のまる1日何も飲まない食べない日がやってきた。
と、言っても手術室に行くのが朝一番の9時だったので、そんなに辛くはなかった。
この日禁食だった為29日のメニュー選択は出来なかった。(そんな事に気づいたのが29日の朝食の時だったのですが・・・)

そして入院3日目術後1日目へつづく・・・・


入院生活その1

2009年09月04日 | 甲状腺腫瘍摘出手術
5日間の人生初の入院生活。
手術をしたにもかかわらず、結構無理やり術後3日目にしてタクシーに乗り1人で退院してきた私は、めまいや頭痛を感じる日々でした。
退院3日目にきっくを連れて(旦那の車で)動物病院へ行き獣医さんに退院おめでとうございますの言葉と一緒に顔が青い事を指摘された(さすが、先生)
でも、私の担当の先生が言ってくれたように、1日ごとに回復してきているのを感じています。
心配して連絡くれた方々ありがとう。
睡眠も充分にとれるようになりました。
ただ・・・・・・・
目を瞑ると、多分夢の中でも、
手術室の麻酔をかけられる前の出来事や麻酔から覚めたときのことなどが
はっきりと思い出されて、頭の中から離れない
思い出したくないのは、術後病室で夜中に痰がからみ、腰が砕けそうになるほど痛くなったり、熱が上がってしまい頭が痛く、もちろんメスを入れた首もヒリヒリずきずきして、苦しんだこと
ナースコール押しまくりで「ゲーゲー」と大騒ぎをした
痰がからまなければ、こんなに苦しくならなかったはず。
「吸引をしようか?でも管を入れるから気持ち悪くなるよ」と言われて即「ダメ」と手を振った
でも、夜中のピーク時にはチャレンジした。
口から管を入れるのは想像しただけでももどしてしまいそうだったので、鼻から入れてくれたのだが・・・・・・管が喉を通過した瞬間看護士さんの腕をつかみ「やめてくれ~」と気持ちで訴えたと同時に「おえええええ~っ」と、もどしてしまった
もどしたものは、痰
でも、全然すっきりしない・・・・
再度吸引にチャレンジするも無理だった私
首にメスを入れたので、起き上がってはいけない、しかも痰も唾もごっくんと飲み込んではいけない、そんな状態で痰を出すのはかなり難しい。
痰との闘いが一番辛かったぁ

術後の夜は、「苦しくなる」と入院前に看護士さんからの説明があった。
吐き気止めや睡眠薬などを使えるけれども、甲状腺の手術の方々は苦しくなるのがほとんどと言われていた。
そして、事前に手術経験者の方々のありがたい情報を収集していた私のデータからも術後の夜は覚悟した方が良さそうだと思っていたので、夜中に苦しみながらもこれがみんなと同じ苦しみだろうか?とか朝がくれば、起き上がれるようになれば、解放されるだろう。と自分を励ましていた

そんな苦しみも乗り越え自宅療養中。
さっそく保険やさんに連絡をしてみた。
入院期間が5日。
「じゃ、手術はしていませんね?」
とか、手術名などを話しても「ファイバースコープなどを使った簡単な手術で切ってはいませんね?」とか勝手に軽く言われている
「全身麻酔をして5cmくらい首の前を切っています!」と伝えた

入院生活は辛いことだけじゃなく、おもしろいこともありました
同じ部屋で同じ日に乳がんの手術を受けた75歳の元気で呑気なおばさまがお話好きでとにかく元気だった。
更に口数の少ない耳が少し遠くなってしまっているご主人とのやりとりがメチャクチャおもしろかったのです。
おばさまとも色々お話も出来て、苦しいだけではなくおもしろくもありました。

病院では今すべてがバーコード管理
入院の日から腕にはバーコードが・・・
写真は退院の日に写しました


麻酔の事とか、この病気の事とか、なんでも質問がありましたらコメント欄に書き込みくだされば、体験した事をピックアップして紹介します。