ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

犯人特定

2007年07月05日 22時44分57秒 | 日記2005-10
 昨夜メガネを元に戻したとたん、ここまでの小さな不幸せを全て帳消しにするような出来事がありました。何があったかは、ひ・み・つ。

(*´∀`*)ウフフ

メガネパワー恐るべし。あ、あのー…これ[写真]に6万払ったんですけど…どうしよう?? 単なる偶然とは思うけれど捨ててもおけず。ウムム…

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【本】笑う月

2007年07月05日 20時28分56秒 | 読書記録2007
笑う月, 安部公房, 新潮文庫 草121=18(3230), 1984年
・ひさびさに安部公房の作品を読みました。独特の幻想的な雰囲気の公房ワールド。ヤバイ、これは面白すぎる。『お気に入り作家リスト』に追加。 "夢" を題材にした短編集。17編収録。
・写真は安部真知(夫人)による表紙絵。本文中にも挿画6点収録。
・「ぼくが経験した限りでは、どんなたのしい夢でも、たのしい現実には遠く及ばない反面、悪夢のほうは、むしろ現実の不安や恐怖を上まわる場合が多いような気がする。」p.17
・「夜空を見上げているとき、視野の周辺にちらと星影がうつり、視線をあらためて向けなおすと、かえって見えなくなってしまう事がある。眼をそらしてやると、再び視界に戻ってくる。網膜の中心部と、周辺部の、機能の分業からくる現象だ。夢と現実の関係にも、どこか似たところがあるように思う。」p.19
・「いくらエンジンを全開にしていても、地図に出ているコースを走っている間は、まだ駄目なのである。いつかコースを外れ、盲目にちかい周辺飛行を経過してからでないと、納得のいく目的地(作品)には辿り着けないのだ。  夢は意識されない補助エンジンなのかもしれない。すくなくも意識下で書きつづっている創作ノートなのだろう。」p.21 "すくなくとも"の誤植?
・「白昼の意識は、しばしば夢の論理以上に、独断と偏見にみちている。」p.30
・「自殺志願の浮浪者が首をくくるのを、仲間が親切に手伝ってやる。自殺者が発見されたとき、その仲間は近くの石に腰をおろして泣いていた。警察の尋問に対して、男はただ「待っていた」とだけ答えた。「何を待っていたのか」と聞かれても、それには答えることが出来なかった。」p.35
・「けっきょく創作ノートは覚めてみる夢なのだろう。必要なのは、メモをしようという心構えらしい。」p.37
・「いま北海道では、あのとおり、いたるところでアムダ狩りが行なわれている。アムダというのは、戦時中、軍が音頭をとってその飼育を農家に半ば強制してまわった、人間そっくりの動物で、皮はなめして靴や鞄に、肉は軍隊用の罐詰に、骨は歯ブラシの柄から、ボタン、カルシウム剤の原料、等々と、かなり大々的な期待がかけられていたらしい。さすがに、期待されただけのことはあって、そのアムダは信じがたいほどの繁殖力をもっていた。(中略)恐ろしい食糧難の時代だった。アムダの肉が歓迎されたのは言うまでもない。」p.43
・「ぼくはこの新薬に、「ワラゲン」と銘名することにした。  ただ、実際に使用したのはそのとき一回だけで、その後は一度も使っていない。作用があまりにも強烈すぎたことと、ワラジ虫が生理的に嫌だったせいだ。」p.67
・「使わないのに買ってくれる消費者のおかげで、日本のカメラは世界制服をなしとげたようなものである。」p.72
・「マニヤがカメラに求めているのは、単なる実用主義的な現実ではなく、むしろ空想なのである。シャッターを押すことで、世界の部分を手に入れる手形にサインをしたつもりになれる。その瞬間の自己欺瞞がたのしいのだ。」p.74
・「とにかくぼくは、ゴミにひかれる。廃物や廃人との出会いが、何よりもぼくを触発する。それは人間の恥部に似ている。虚しく、壮麗で、ただ存在することによってあらゆる意味を圧倒してしまう。当然のことだ。「有用性」が「廃物」に負けることはありえても、「廃物」が「有用性」に屈服したりすることはまず不可能だろう。」p.84
・「夢の引金が、光、音、皮膚刺激、などの生理感覚によって引かれ、飛出した弾丸が脳細胞の何処かに命中すると、あとは玉突きのようにオートマティックな運動の連鎖がイメージを形成する、という道筋についてはぼくもまったく同意見だ。」p.99
・「夢を見たという表現は、もはや適切でなく、夢のなかで言葉が編まれた、とでも言い替えるべきだろう。」p.100
コメント (4)
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