昨日は雨こそ降らなかったが、晴れ、と言い切るには至らないてすんだ天気だった。
今日は文句のない晴れ空だ。
ネットがつながらない。NTTの方だ。仕方ないので、主に私用に使っているサブのプロバイダーをの使っている。
これでメールとネットは使えるが、このままでは事務所のWiFiにはつながらないので、プリントアウトができないし、サーバーのバックアップフォルダーにアクセスできない。
その都度、いちいちWiFi の方に切り替えないといけない。面倒だ。
*****
ソウルの築27年のビルが倒壊のおそれというニュースがあった。
この写真を見ると、明らかに危ない。
倒壊の前に全員を避難できたようだ。流石韓国。ちゃんと学習しているね。
手抜き工事のようにしか見えないが、おそらくこんな工事は韓国でもとても例外的だろうから、他のビルは全く心配ないだろう。こういう記事は日本のマスコミは決して報道しないが、それも見識かもしれない。
私自身は韓国に行くことは金輪際ないから、まさに対岸の火だが。
+++++
家のリフォームがいよいよ佳境だ。
そのせいで、キッチンも料理っぽいものすらできる状況ではない。
ということで、歩いて2分の、町内の居酒屋に出向いて夕食を済ませた。
先日市内の図書館で借りた西江雅之先生の『異郷日記』という本を持参した。これをちらちら読みながら、酒を飲む。
これも一興だ。
西江先生は、もう若い人は誰も知らないだろう。
とんでもない日本人なのだ。実は。
私も知らなかった。24歳くらいまで。
その頃、私は大学を一留して(一年留年したということです。念のため。)、最後の五年目を井の頭線の三鷹台駅から歩いて1分の木造アパートに住んでいた。
目の前が立教女学院の正門という、とんでもない立地だった。
特にこれといった野望も希望もなく、ガールフレンドがいるわけでもなく、単調な日々を過ごしていた。
こんなつまらない男に、K君という同年の学生が声をかけてくれた。彼も暇だったのかも。
私は地方都市出身の田舎学生。かれは東京の一流進学高卒のインテリ。
当時、三鷹台駅の近くにもビリヤードの店がありよく2人で通った。
ビリヤードといっても、今皆さんが見るポケットではなく、四つ玉というゲームだ。
これが結構面白い。奥も深い。
最近はほぼポケットに押されて絶滅状態なのが残念だ。
当時、1979年頃。
渋谷にも怪しげなビリヤード場が沢山あった。今のマークシティが立っている辺りだ。
K君とは渋谷でもビリヤードに興じた。
吉祥寺にもビリヤード場がいくつもあった。三鷹台からは歩いても行けるほど近いので、K君とよく通った。
1979年。
ちょうどウォークマンが出た頃だ。
行きつけのビリヤード場の、素性が知れない、しかしとてつもなくビリヤードがうまい専属プレーヤがいて、ウォークマンを身につけてプレイしていたのを昨日のように思い出せる。
あの頃は、夢がなかったのに、毎日それなりに楽しかった。K君のおかげだと今でも思っている。
そのK君がある日、ふらっと私のアパートに寄り、「今から、日本で一番頭のいい人に会いに行こう」と言った。
私は「日本で一番頭のいい人」という意味がよく分からず、からかわれているのかお思った。
「日本で一番野球がうまい長島茂雄」というのなら、まだ理解できるが、「一番頭のいい人」などという修飾ができる人間など、この世には存在しない、というのが当然の常識、と思っていたので、ちょっとびっくりした次第だ。
K君が言うには、この人はあらゆる言葉がしゃべれるというので、興味を持った。
それで一緒に吉祥寺だと思うが、とある居酒屋に出向いて、一生に一度、西江雅之先生を酒を飲んだのだ。
私にとってはそれは数少ない、記憶のクリップになっている。
その方の本を持って、飲みに行ったのだが、読むほどに、先生が行った世界中の場所に行ってみたい、という気になった。
流石先生だ。
今日は文句のない晴れ空だ。
ネットがつながらない。NTTの方だ。仕方ないので、主に私用に使っているサブのプロバイダーをの使っている。
これでメールとネットは使えるが、このままでは事務所のWiFiにはつながらないので、プリントアウトができないし、サーバーのバックアップフォルダーにアクセスできない。
その都度、いちいちWiFi の方に切り替えないといけない。面倒だ。
*****
ソウルの築27年のビルが倒壊のおそれというニュースがあった。
この写真を見ると、明らかに危ない。
倒壊の前に全員を避難できたようだ。流石韓国。ちゃんと学習しているね。
手抜き工事のようにしか見えないが、おそらくこんな工事は韓国でもとても例外的だろうから、他のビルは全く心配ないだろう。こういう記事は日本のマスコミは決して報道しないが、それも見識かもしれない。
私自身は韓国に行くことは金輪際ないから、まさに対岸の火だが。
+++++
家のリフォームがいよいよ佳境だ。
そのせいで、キッチンも料理っぽいものすらできる状況ではない。
ということで、歩いて2分の、町内の居酒屋に出向いて夕食を済ませた。
先日市内の図書館で借りた西江雅之先生の『異郷日記』という本を持参した。これをちらちら読みながら、酒を飲む。
これも一興だ。
西江先生は、もう若い人は誰も知らないだろう。
とんでもない日本人なのだ。実は。
私も知らなかった。24歳くらいまで。
その頃、私は大学を一留して(一年留年したということです。念のため。)、最後の五年目を井の頭線の三鷹台駅から歩いて1分の木造アパートに住んでいた。
目の前が立教女学院の正門という、とんでもない立地だった。
特にこれといった野望も希望もなく、ガールフレンドがいるわけでもなく、単調な日々を過ごしていた。
こんなつまらない男に、K君という同年の学生が声をかけてくれた。彼も暇だったのかも。
私は地方都市出身の田舎学生。かれは東京の一流進学高卒のインテリ。
当時、三鷹台駅の近くにもビリヤードの店がありよく2人で通った。
ビリヤードといっても、今皆さんが見るポケットではなく、四つ玉というゲームだ。
これが結構面白い。奥も深い。
最近はほぼポケットに押されて絶滅状態なのが残念だ。
当時、1979年頃。
渋谷にも怪しげなビリヤード場が沢山あった。今のマークシティが立っている辺りだ。
K君とは渋谷でもビリヤードに興じた。
吉祥寺にもビリヤード場がいくつもあった。三鷹台からは歩いても行けるほど近いので、K君とよく通った。
1979年。
ちょうどウォークマンが出た頃だ。
行きつけのビリヤード場の、素性が知れない、しかしとてつもなくビリヤードがうまい専属プレーヤがいて、ウォークマンを身につけてプレイしていたのを昨日のように思い出せる。
あの頃は、夢がなかったのに、毎日それなりに楽しかった。K君のおかげだと今でも思っている。
そのK君がある日、ふらっと私のアパートに寄り、「今から、日本で一番頭のいい人に会いに行こう」と言った。
私は「日本で一番頭のいい人」という意味がよく分からず、からかわれているのかお思った。
「日本で一番野球がうまい長島茂雄」というのなら、まだ理解できるが、「一番頭のいい人」などという修飾ができる人間など、この世には存在しない、というのが当然の常識、と思っていたので、ちょっとびっくりした次第だ。
K君が言うには、この人はあらゆる言葉がしゃべれるというので、興味を持った。
それで一緒に吉祥寺だと思うが、とある居酒屋に出向いて、一生に一度、西江雅之先生を酒を飲んだのだ。
私にとってはそれは数少ない、記憶のクリップになっている。
その方の本を持って、飲みに行ったのだが、読むほどに、先生が行った世界中の場所に行ってみたい、という気になった。
流石先生だ。
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