厳かなるメリハリっ子

モラハラ妻から逃れて20年。70歳に向けて厳かな人生を送る年金受給者のブログです

67 92-148 9250 西江雅之先生

2018-12-13 08:45:21 | 日記
昨日は雨こそ降らなかったが、晴れ、と言い切るには至らないてすんだ天気だった。

今日は文句のない晴れ空だ。

ネットがつながらない。NTTの方だ。仕方ないので、主に私用に使っているサブのプロバイダーをの使っている。

これでメールとネットは使えるが、このままでは事務所のWiFiにはつながらないので、プリントアウトができないし、サーバーのバックアップフォルダーにアクセスできない。

その都度、いちいちWiFi の方に切り替えないといけない。面倒だ。

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ソウルの築27年のビルが倒壊のおそれというニュースがあった

この写真を見ると、明らかに危ない。

倒壊の前に全員を避難できたようだ。流石韓国。ちゃんと学習しているね。

手抜き工事のようにしか見えないが、おそらくこんな工事は韓国でもとても例外的だろうから、他のビルは全く心配ないだろう。こういう記事は日本のマスコミは決して報道しないが、それも見識かもしれない。

私自身は韓国に行くことは金輪際ないから、まさに対岸の火だが。

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家のリフォームがいよいよ佳境だ。

そのせいで、キッチンも料理っぽいものすらできる状況ではない。

ということで、歩いて2分の、町内の居酒屋に出向いて夕食を済ませた。

先日市内の図書館で借りた西江雅之先生の『異郷日記』という本を持参した。これをちらちら読みながら、酒を飲む。

これも一興だ。

西江先生は、もう若い人は誰も知らないだろう。

とんでもない日本人なのだ。実は。

私も知らなかった。24歳くらいまで。

その頃、私は大学を一留して(一年留年したということです。念のため。)、最後の五年目を井の頭線の三鷹台駅から歩いて1分の木造アパートに住んでいた。

目の前が立教女学院の正門という、とんでもない立地だった。

特にこれといった野望も希望もなく、ガールフレンドがいるわけでもなく、単調な日々を過ごしていた。

こんなつまらない男に、K君という同年の学生が声をかけてくれた。彼も暇だったのかも。

私は地方都市出身の田舎学生。かれは東京の一流進学高卒のインテリ。

当時、三鷹台駅の近くにもビリヤードの店がありよく2人で通った。

ビリヤードといっても、今皆さんが見るポケットではなく、四つ玉というゲームだ。

これが結構面白い。奥も深い。

最近はほぼポケットに押されて絶滅状態なのが残念だ。

当時、1979年頃。

渋谷にも怪しげなビリヤード場が沢山あった。今のマークシティが立っている辺りだ。

K君とは渋谷でもビリヤードに興じた。

吉祥寺にもビリヤード場がいくつもあった。三鷹台からは歩いても行けるほど近いので、K君とよく通った。

1979年。

ちょうどウォークマンが出た頃だ。

行きつけのビリヤード場の、素性が知れない、しかしとてつもなくビリヤードがうまい専属プレーヤがいて、ウォークマンを身につけてプレイしていたのを昨日のように思い出せる。

あの頃は、夢がなかったのに、毎日それなりに楽しかった。K君のおかげだと今でも思っている。

そのK君がある日、ふらっと私のアパートに寄り、「今から、日本で一番頭のいい人に会いに行こう」と言った。

私は「日本で一番頭のいい人」という意味がよく分からず、からかわれているのかお思った。

「日本で一番野球がうまい長島茂雄」というのなら、まだ理解できるが、「一番頭のいい人」などという修飾ができる人間など、この世には存在しない、というのが当然の常識、と思っていたので、ちょっとびっくりした次第だ。

K君が言うには、この人はあらゆる言葉がしゃべれるというので、興味を持った。

それで一緒に吉祥寺だと思うが、とある居酒屋に出向いて、一生に一度、西江雅之先生を酒を飲んだのだ。

私にとってはそれは数少ない、記憶のクリップになっている。

その方の本を持って、飲みに行ったのだが、読むほどに、先生が行った世界中の場所に行ってみたい、という気になった。

流石先生だ。





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