八国山だより

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小学校の校内暴力

2006-09-15 14:34:27 | 教育
記事】[毎日新聞 2006年9月13日 20時15分 最終更新時間 9月14日 2時20分)]

校内暴力:深刻な対教師暴力の実態浮き彫りに…現状探る

 「こら、くそばばあ。あっち行け」。小学生が教師に暴言を吐いて殴る、ける。13日に発表された文部科学省の調査で、深刻な対教師暴力の実態が改めて浮き彫りになった。一人の児童の暴力が、クラスに荒れた雰囲気をつくり出し、学級崩壊の連鎖を生む。家庭に指導力はなく、暴力の対象になった教師は休職に追い込まれる。暴力でしか自分を表現できなくなった子どもたち。その現状を探った。【高山純二、吉永磨美】

 給食の時間。小3の男児が壁や友達の机、テレビの台をガンガンとけって回る。周りの児童がはやしたて、男児の勢いは止まらない。教室の後ろでは、別の児童たちがパンをちぎって、ごみ箱に投げ入れる「遊び」に夢中だ。歩きながら給食を食べている児童もいる。

 兵庫県内の小学校に勤務する40代の女性教諭は03年10月、学級崩壊したクラスの「応援」に入り、モノをけ散らす男児を廊下に引きずり出した。「何かをけらないと収まらないなら、私をけりなさい」。男児はためらわなかった。手加減もせず、女性教諭のおなかや足を20発以上もけり続ける。担任は別の児童を指導しており、暴行に気がつかない。女性教諭にとっては、児童から受けた初めての暴力を、隣のクラスの男性教諭が助けに来るまで耐え続けた。

 3年生は2クラス。04年のクラス替えで、2クラスとも学級崩壊に陥り、さらに05年は下の学年にも「崩壊」が波及した。「指導を聞かない子どもと何度取っ組み合いをしてきたか。みんな(ほかの教師)もやられていた」。保護者会には、荒れている児童の保護者に限って欠席する。家庭での指導はもはや期待できなかった。今年度、女性教諭は耐え切れなくなって休職した。

 「すれ違いざま、何もしていないのに『くそばばあ』と言われて……。今も小学生の登下校を見ると、心臓がどきどきする。このまま退職するかも……」

  ◇  ◇  ◇

 教師の名前を呼び捨てにして、「死ね、死ね、死ね」と何度も繰り返す。埼玉県内の50代の女性教諭は、ほんの些細(ささい)な指導をしただけで、まるで幼児がじだんだを踏んでいるような小2男児の様子に戸惑った。教諭自身はまだ暴力を振るわれたことはない。しかし、暴言や児童間暴力は、実感として年々低年齢化が進んでいる。

 中国地方の小5男児が授業妨害などの問題行動を繰り返して10日間の出席停止処分を受けるなど、「厳罰化」や「警察との連携強化」を模索する動きが進んでいる。だが、女性教諭は「今の教師は、『子どもと向き合う』こと以外の負担(学校内の事務作業など)が大きくなっている。もっと子どもと向き合う時間と余裕がほしい」と漏らした。

 ◇毅然と語りかけを 

 森嶋昭伸・国立教育政策研究所生徒指導研究センター総括研究官の話 少子化、情報化の影響で、子どもたちは感情をぶつけ合い、対処することが苦手になっている。まずは「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)のように、当たり前の常識やマナーを子どもや保護者に毅然(きぜん)と語りかけていくことが大切だ。さらに、警察・地域との連携も必要になるだろう。

 ◇成果主義でひずみ 

 葉養正明・東京学芸大教授の話 個性重視の半面、競争主義や成果主義が教育現場にも持ち込まれ、そのひずみが子どものストレスとなり、暴力や学級崩壊となって表れ、さらに校内暴力という形で問題が噴き出している。対症療法では解決しない。社会構造のレベルでの問題解決が求められている。


 
【コメント】 

 息子が去年まで通っていた小学校ではそんなことなかったが、学校の暴力、それも先生に向けられるものが多いとのこと。なぜそうなったのだろう。

 自分が子供の頃は先生は偉い存在だった。また、怖い存在でもあった。言うこと聞くのは当然と思っていたし、先生も悪いことした子には普通にげんこつぐらいしてたし、された児童も、また周りの児童も悪いことしたんだから仕方がない、そんな風にとらえていた。

 だが、今は…。
体罰は決していいことではないが、今の教育現場のように、体罰はもちろん児童に対して怒鳴ることも禁止されている状況では、先生をなめてかかる子がでてきても不思議ではない。

 子供たちは(最近は大人のもそういう人が増えているらしいが)、善悪の価値観ではなく、快・不快の二元論で動くようになってきている。目の前の不快さを手っ取り早く取り除くために、彼らはぶち切れる。快、つまり、やりたいことを制止する先生に暴力が向けられていく。
 
 葉養教授がいう、「成果主義でひずみ」は小学校でではあたらないと思う。中学校における内申書の観点別評価のように学校での一挙手一投足を監視されているならともかく、小学校では、たとえば運動会で個人間の順位をつけないように「競争主義や成果主義が教育現場にも持ち込まれ」ていることはない。したがって、この結果「ストレスが~」ということはないと思う。ストレスではなく、自分のやりたいことを妨げる妨害物を排除するために暴力を行使しているに過ぎないのである。

 子育てでもそうだが躾けられていないうちはただの動物。
社会のルールは教え込んでいく必要がある。それを問題視してすぐPTAや学校に文句を言う親にも問題がある。


 この時期の子供(反抗期にある)が、親に向かって「じじぃ」だの「ばばぁ」だの、「死ね」とか悪態をつくのはごく普通の反応ではなかろうか。また、現在の社会環境では子供がうっ屈してしまう無理からぬ面がある。
 
 都会では子どもが自由に遊びまわれるスペースがない。道路はだめだし、公園はボール遊び禁止になっている。多くは賃貸のアパートやマンションに住んでいてそうりうところでは走り回ったり騒いだりできない。加えて子どもを狙った犯罪が増えてきている。不審な大人だけでなく、時には昨日まで小学生だった子でさえもそうなるケースがある。そうなると親が保護というか過干渉になり、そうした状況では子どもも羽目をはずしにくくなり発散できない状態になる。

 躾がどうこうとは云っても、あるいは親が不仲であったり、リストラでワーキングプアとなり、その日その日を暮らすだけで精一杯となったらどうだろう。拡大する格差はこんなところにも影を落としているかも知れない。
安倍氏の「教育再生」にはこのような視点が入っているのだろうか。


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