【記事】毎日新聞 2006年3月29日 19時06分 最終更新時間 3月30日 10時10分)
高校教科書検定:父子・母子家庭に意見相次ぐ
05年度の高校1年用家庭科教科書の検定で、父子・母子家庭に触れたり、ペットを家族とする記述に、意見が相次いだ。これらの記述をした複数の現行教科書に対し、一部の国会議員が「これでは“家庭崩壊科”」と非難する動きがあり、01年度の前回検定から一転して「逆風」にさらされた形だ。編集者からは「現実にさまざまな家族形態があり、選択肢を示しているだけなのに」と戸惑いの声が上がっている。
教育図書「家庭基礎」の申請本には「自分の家族観」の項目で、ロックバンドGLAYのリーダー、TAKUROさんのコラムが掲載された。父親が亡くなり母、姉と生きてきた中、「父親がいないことを、不満に思ったりした形跡はまったくない」とのくだりがある。このコラムに対し「さまざまな家族形態を考えるページの中で、親が1人の家庭の記述が目立つ」との理由で検定意見が付いた。修正でこのコラムはなくなり、「CMの家族像」と題した父子・母子家庭には触れない内容に差し替えられた。
ペットを家族とみなす記述にも意見が付いた。開隆堂の「家庭基礎」「家庭総合」の申請本に掲載した「次にあげる関係を家族と考える?」の例示のうち、修正後は「愛情を込めて育てているペットと自分」との記述が削除された。この記述は前回検定で意見が付かなかったが、文部科学省は「家族は通常人間と考えるべきだ」と説明している。
家庭科では、前々回の96年度検定で、家族からの自立に焦点を絞ったり同性愛カップルに触れたりした申請本4点が不合格になったが、前回の01年度検定からは一転してこれらの記述が認められ、不合格はなかった。
一方、昨年、参院議員が国会で「浮気をする権利を教えている」「祖母は家族ではないのに、ペットは家族と考える人もいるとの記述がある」と特定の教科書を非難するなど、家庭科を取り巻く状況は変化している。
96年度検定で不合格となった東京都内の出版社の編集者は「前々回に比べ前回は全般に基準が緩かった。しかし今回はまた厳しくなり、改訂していない記述にも意見が付いた。これも社会情勢の変化なのか」と話す。別の出版社の編集者は「今回、調査官は離婚や一人親の記述に敏感だったと感じた」と話している。【長尾真輔、種市房子】
◇多様な家族が実在
若桑みどり・千葉大名誉教授(ジェンダー文化論)の話 文科省は「家族とは両親がいて子どもがいるのが“正常”」との観念に立っているのではないか。実在する多様な家族形態の中に生きる父子・母子家庭の子どもの存在を消し去ることには納得がいかない。
◇選択肢提示が役割
山田昌弘・東京学芸大教授(家族社会学)の話 「家族はこうあらねばならない」と示しても教育効果はない。ペットを家族だと思う人が多いことは数々の調査で判明しているし、小泉純一郎首相も離婚している。現実を示して、実社会で幸せになるための選択肢を示すことが教科書の役割ではないか。
【コメント】
国会議員のセンセイがたには父子・母子家庭は「家庭崩壊」なのか。事故や病死、DV、その他の事情でシングルマザーあるいはシングルファザーを選択する方もいる。
私も仮に自分と子供だけになった場合、後妻を迎えることは少なくとも子供が独立するまではないと思う。子供が生みの母にどれだけ思いがあり、継母とうまくやっていけるか予測不能だからだ。
両親が健在だからといってちゃんとした家庭というわけではない。
逆に父子・母子家庭だからこそ家族の絆が強いこともある。そういう家庭の子に特に問題があるわけでもない。
「浮気をする権利を教えている」? それは国会議員のセンセイがたが自分のことで考えるからではないのか。政治屋の下半身は権力を抱えているだけに疑わしいものがある。
「家族は通常人間と考えるべきだ」とのことだが、ペットを家族と見なすかどうかはその人の考え方で、他人があるいは国がどうこういうことではない。余計なお世話だ。現在ではペットを家族と見なしている人が増えているのが実情だ。
家族にはいろいろな形態がある。父子・母子家庭以外に未婚の母というケースもある。文科省の役人や教科書の検定委員、国会議員のセンセイがたは、そうではない家庭で苦労なく育って、そのような家庭の子が教科書を見て、自分は特異な環境なのかと傷つくとは思わないのだろうか。
PSE法の件といい、PTAの安全互助会を禁止する法律といい、上の考えていることはおかしい。
高校教科書検定:父子・母子家庭に意見相次ぐ
05年度の高校1年用家庭科教科書の検定で、父子・母子家庭に触れたり、ペットを家族とする記述に、意見が相次いだ。これらの記述をした複数の現行教科書に対し、一部の国会議員が「これでは“家庭崩壊科”」と非難する動きがあり、01年度の前回検定から一転して「逆風」にさらされた形だ。編集者からは「現実にさまざまな家族形態があり、選択肢を示しているだけなのに」と戸惑いの声が上がっている。
教育図書「家庭基礎」の申請本には「自分の家族観」の項目で、ロックバンドGLAYのリーダー、TAKUROさんのコラムが掲載された。父親が亡くなり母、姉と生きてきた中、「父親がいないことを、不満に思ったりした形跡はまったくない」とのくだりがある。このコラムに対し「さまざまな家族形態を考えるページの中で、親が1人の家庭の記述が目立つ」との理由で検定意見が付いた。修正でこのコラムはなくなり、「CMの家族像」と題した父子・母子家庭には触れない内容に差し替えられた。
ペットを家族とみなす記述にも意見が付いた。開隆堂の「家庭基礎」「家庭総合」の申請本に掲載した「次にあげる関係を家族と考える?」の例示のうち、修正後は「愛情を込めて育てているペットと自分」との記述が削除された。この記述は前回検定で意見が付かなかったが、文部科学省は「家族は通常人間と考えるべきだ」と説明している。
家庭科では、前々回の96年度検定で、家族からの自立に焦点を絞ったり同性愛カップルに触れたりした申請本4点が不合格になったが、前回の01年度検定からは一転してこれらの記述が認められ、不合格はなかった。
一方、昨年、参院議員が国会で「浮気をする権利を教えている」「祖母は家族ではないのに、ペットは家族と考える人もいるとの記述がある」と特定の教科書を非難するなど、家庭科を取り巻く状況は変化している。
96年度検定で不合格となった東京都内の出版社の編集者は「前々回に比べ前回は全般に基準が緩かった。しかし今回はまた厳しくなり、改訂していない記述にも意見が付いた。これも社会情勢の変化なのか」と話す。別の出版社の編集者は「今回、調査官は離婚や一人親の記述に敏感だったと感じた」と話している。【長尾真輔、種市房子】
◇多様な家族が実在
若桑みどり・千葉大名誉教授(ジェンダー文化論)の話 文科省は「家族とは両親がいて子どもがいるのが“正常”」との観念に立っているのではないか。実在する多様な家族形態の中に生きる父子・母子家庭の子どもの存在を消し去ることには納得がいかない。
◇選択肢提示が役割
山田昌弘・東京学芸大教授(家族社会学)の話 「家族はこうあらねばならない」と示しても教育効果はない。ペットを家族だと思う人が多いことは数々の調査で判明しているし、小泉純一郎首相も離婚している。現実を示して、実社会で幸せになるための選択肢を示すことが教科書の役割ではないか。
【コメント】
国会議員のセンセイがたには父子・母子家庭は「家庭崩壊」なのか。事故や病死、DV、その他の事情でシングルマザーあるいはシングルファザーを選択する方もいる。
私も仮に自分と子供だけになった場合、後妻を迎えることは少なくとも子供が独立するまではないと思う。子供が生みの母にどれだけ思いがあり、継母とうまくやっていけるか予測不能だからだ。
両親が健在だからといってちゃんとした家庭というわけではない。
逆に父子・母子家庭だからこそ家族の絆が強いこともある。そういう家庭の子に特に問題があるわけでもない。
「浮気をする権利を教えている」? それは国会議員のセンセイがたが自分のことで考えるからではないのか。政治屋の下半身は権力を抱えているだけに疑わしいものがある。
「家族は通常人間と考えるべきだ」とのことだが、ペットを家族と見なすかどうかはその人の考え方で、他人があるいは国がどうこういうことではない。余計なお世話だ。現在ではペットを家族と見なしている人が増えているのが実情だ。
家族にはいろいろな形態がある。父子・母子家庭以外に未婚の母というケースもある。文科省の役人や教科書の検定委員、国会議員のセンセイがたは、そうではない家庭で苦労なく育って、そのような家庭の子が教科書を見て、自分は特異な環境なのかと傷つくとは思わないのだろうか。
PSE法の件といい、PTAの安全互助会を禁止する法律といい、上の考えていることはおかしい。