八国山だより

ノーサイレントマジョリティ!ごまめの歯ぎしりといえど、おかしいと思うことはおかしいと自分の意思を発信しなければ

映画「日本沈没」

2006-07-15 19:07:46 | 映画
現在、「不撓不屈」、「バルトの楽園」、「ブレイブ・ストーリー」、「M:i:Ⅲ」と見たい映画が目白押しで公開されているのに、仕事の都合でなかなか行けない。そんな中、あらたに今日から「日本沈没」も公開されたので、なんとか時間を作って見に行ってきた。1973年森谷司郎版のリメイクである。主人公の小野寺俊夫役は藤岡弘氏だった。

今でこそ地震のメカニズムとしてのプレートテクトニクス論は一般的であるが、ドイツのウェゲナーが1912年に発表した大陸移動説を発展させたこの考えは旧作の公開当時は斬新的で、旧作でも『地球の科学-大陸は移動する』(NHKブックス 1964年)の著者の一人である竹内 均氏が竹内教授として出演してこの理論を解説しており、なるほどと思いながら見ていたのを覚えている。その映画が火付け役となって関連書籍も多数出版されていたような記憶がある。

原作者小松左京氏は初めから第二部を構想しておられたようで、そこでは日本列島が海面下に没し、国土を失った日本人たちのその後の生き方を描きたかった由(すでに谷 甲州氏との共著の形で出版されている。旧作では原作に沿っ主人公とその恋人がそれぞれ別々の国でどんな生き方をするんだろうかと思わせる結末だった。

リメイク版では、その結末はまるで「ディープインパクト」(馬ではなく、映画の)や「アルマゲドン」を思わせるようなものだった。主人公が自分の命と引き替えに高性能爆弾をしかけ、プレートの活動を抑え、日本を象徴する富士山を噴火から守る。
結局日本の沈没は一時的には止められた(マントル対流の活動そのものは止められないのでエネルギーが蓄積されればまた同じことが起こるはず。問題は根絶したわけではない)が、そのあとで危機管理担当大臣役の大地真央が演説を行うシーンは「ディープインパクト」のモーガン・フリーマンを思わせた。

また、主人公のキャラクターも旧作では沈没が始まったあとも必死で救助活動を行い、首相がそんな必死になって助けようとするのはわかるが、なぜ一個人がこんなにまでするのか。やはり日本人には神風特攻隊の精神が流れているのか(手元にカッパブックスの原作がないので正確なところは忘れたが)と、外国のメディアで取り上げられたが、新作では命をかけて守るべきものがあると気づくのは物語の終わりに近く、それまでは沈没が始まってもただ日本を脱出して恋人と安全な外国で暮らすことしか考えていなかった。能力を買われての移住で、国家という後ろ盾を失っての根無し草、単なる難民という設定ではない。映画がそれが制作された時代の空気を反映するものとすればこの違いはなんだろうか。それとも主人公役の役者(旧作の藤岡弘、新作の草なぎ剛)のキャラからそんなストーリー設定になったのだろうか。

旧作の公開当時は、これがパニック映画の走りとなったのか。「ポセイドンアドベンチャー」(今年「ポセイドン」としてリメイク:ジーン・ハックマン主演)、「大地震」(チャールトン・ヘストン主演)、「タワーリングインフェルノ」(スティーヴ・マックイーン、ポール・ニューマン主演)、「サブウェイパニック」(ウォルター・マッソー、ロバート・ショー主演)と続々と公開されていった。