京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京のノーサイド」

2019-10-19 09:03:59 | 時計修理

10月19日土曜日。大安だけど雨。「雨降って時?固まる。」
時計の針が止まったような売上不振の週末の雨。売上数字も進まない。

特に地元客相手では消費税増税不況に重ねて週末の雨続きにはウンザリの今日は大安吉日。

「自動巻き時計のことを教えてください」といきなり女性の質問にどういう風に答えるか?
ゼンマイがほどける力で動く、、などクドクド説明している間に眠ってしまうのがこのパターン。
京都は研究都市の街。教えたいが聴くほうが失礼なパターンが増えた。
質問は無料の時代。適当に答えると説明が悪いと非難される。
これに時間がかかってもこちらは一円の利益にもならないし工房にお客様が待っているのにこのタイミングでの質問には驚く。

「自分で裏蓋を開けて電池を入れ替えたが裏蓋が閉まらない。とっとと(無料)で閉めて!」と軽くいう。
入っていた電池は無名の安物、機械はべったりと指紋だらけ。
本来断るところだが可愛そうなので税込み1100円をもらってセイコーの電池を入れて帰ってもらった。
帰り際有料だったのが相当不満のようでした。
「断ったらよかった」と気分が悪いまま仕事を続ける。

地球温暖化で今まで被害がなかった地域にも危険が迫っている。
地球温暖化で空気を読めない客が京都にも確実に来ている。そんな見えない危険が迫っています。

ラグビーに例えるとゴール寸前の5メーター手前でボールをもらってトライするアベノおぼっちゃま人生。
炭鉱育ちの私のようにひたすらぼこぼこにやられても前進してなんとかトライにつなげる人生。
現実に同じ年齢でも社会に認められ優遇されれるのはお気楽なアベノおぼっちゃまのほうだ。

「自分が苦しいときは相手も苦しい」哲学は高校生まででした。
教員同士でも悲惨ないじめがある大阪、兵庫の公立教育とお気楽な文化都市の京都、奈良で育った子供が同じであるはずがない。
いい大人になっても人類皆公平と言うのがおかしい。

そもそも生まれ育ちの環境が違うのだ。
同じ会社に出勤するのでも障碍者と健常者では苦しさが違うのは当たり前。それを全部ひとくくりにする社会はおかしい。
高島炭鉱で育った子供が立命館大学に入学することと、京都育ちの場合のリスクや苦しさが違う。
100メーター競争では私は20メーター後ろからスタートするようなもの。人生フライングだらけだ。
本人の運や努力はあるが日本では京都育ちが間違いなく有利でしょう。

「この四年間すべてを犠牲にしてここまで来た。」ラグビーのインタビューに感激した。
人は時間は同じ24時間だ!という気楽に言う人が多い。
文化、歴史、スポーツ人口、体力などすべて劣っている日本人がベスト8まで登って来た努力に感激しましたね~。
以前のワールドカップでフランス人からひ弱な日本人はガンダム・クロスを着て来い!と言われたことがある。
いつの日かフランスだけは撃破してほしいものです。

これをきっかけに一日24時間はそれぞれ人によって違う長さであることから考え直してほしいと思う。
仕事にも時間の差別がある。一番かわいそうなのが医療関係のお仕事でしょう。
学生時代は勉強に追われ、極貧生活の30歳代、長時間労働で時給換算ではコンビニアルバイト並みのレイバー化。
家庭は育児放棄を責められ老後はバラバラ、患者はとりっぱぐれる外人観光客ばかり。
他人の仕事が気楽に見えても人生の落とし穴があちこちにあるのだね~。

ラグビーの日本代表を見て自分よりはるかに勇気があって頑張っている人たちを見ていられる幸せもあるのだと思う。
「裏蓋を閉めてや~」という客は可愛いほうだと思う。








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