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チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『1812年』のソナタ部第3主題/コロッセオの敗者(=死者)の門」

2012年01月02日 23時07分28秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


今年はナポレオンがロシアに侵攻してから200年めにあたる。
チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。

このC部「ソナータ形式」の第3主題は、
"ロシア民謡「門の前で」が用いられてる"
といように、
ちょっと知ったかぶった巷の説明文では書かれてる。ところが、
その"民謡"が詳らかに解説されてるものを見たことがない。が、
それはひとまずおいといて、
チャイコフスキーは1868年乃至1869年に、
「50曲のロシア民謡集」というピアノ連弾用に和声づけして編曲した。
それは1869年にユルゲンソンから出版された。その
第48曲"У ворот, ворот(ウ・ヴァロート、ヴァロート)"
がその"ロシア民謡「門の前で」"である。

[Не слишком скоро(ニ・スリーシカム・スコーラ=あまり早すぎずに)
2/4拍子、3♯(嬰ヘ短調)]
♪ミー、ミ<ファ、・>ミー、>レー、│>ドー、ドー、・<レー、>ラー│
<ドー、ドー、・>ラーーー、│<ドー、>シ<ド・<レー、>ラー、│
<ミーーー・>ラー、ラー、│ラー<ドー、>シー、>ラー、│
<ミーーー・>ラー、ラー、│ラー<ドー、>シー、>ラー、│
<ミー、ミー、・ミー、ミー、│ミー<ソ>ミ・>レー、>シー、│
<ドー、ドー、・>ラーーー、│<ド>シ<ドー、・<レー、<ファー、│
>ミーーー・>ラー、ラー、│ラ<シ<ドー、>シー、>ラー、│
>ミーーー・>ラー、ラー、│ラ<シ<ドー、>シー、>ラー♪

pf2台用なのでこれには当然歌詞は附いてない。が、
以下のようなものらしい。

У ворот, ворот, ворот,
(ウ・ヴァロート、ヴァロート、ヴァロート、)
「(逐語大意)前で、門の、門の、」

Да ворот батюшкиных.
(ダー。ヴァロート・バーチュシキヌィフ、)
「といっても、父の、門だけど、」

Аи, Дунай, мой Дунай,
(アイ、ドゥーヌィ、モーィ・ドゥーヌィ、)
「ああ、ドナウ、我がドナウ、」

Аи, весёлый Дунай!
(アイ、ヴィショールィ・ドゥーヌィ!)
「ああ、楽しい、ドナウよ!」

Разыгралися ребята,
(ラズィグラーリシャ・リビャータ、)
「遊びに夢中になって(波立つという二重の意味か)、子供たちは」

Распотешились.
(ラスパチェーシリシ。)
「楽しませた。」

チンプンカンプンである。
ドナウがドナイしとんのや!? なんでドナウなんや!?
恵俊彰と加藤晴彦の声が区別できず、
外国語のひとつも話せない拙脳なる私には、
この詞の意味がさっぱり分からない。が、
それはひとまずおいといて、上記
「50曲のロシア民謡集」には、第5曲にも、
"Не разливайся, мой тихой Дунай
(ニ・ラズリヴァーィシャ、モーィ・チーハィ・ドゥーヌィ =氾濫しないで、穏やかなドナウ川よ)"
という"民謡"が収められてるのである。ロシア帝国は、
【(オスマーン帝国からの)ギリシャ独立戦争】に絡んで
1828年から1829年にかけて戦われた露土戦争の結果、
黒海沿岸低地とドナウ川河口をオスマーン帝国から割譲した。
ドナウ川はかつて十字軍の際にも遠征路として使われ、ナポレオンは、
"Le Danube...le roi des fleuves de l'Europe"
(ル・ダニュブ……ル・ルワ・デ・フルヴ・ドゥ・ルロプ=ヨーロッパの川の王)
と呼んでその重要性を表した。それほどの川なので、
ロシアは獲得してすぐさま、「ドナウ川」を題材にした"民謡"を
たてつづけに作ったのかもしれない。日米戦争で
米国が原爆を投下したどさくさにまぎれて
我が国の北方領土を火事場泥棒した、
がめついソ連ロシアである。ともあれ、すると、
"У ворот"のворотаも、一般的な意味の
「門」ではなく、ドナウ川に敷設された「水門」かもしれない。そして、
【子どもと父】という関係は、片足が不自由ながらも、
同じくキリスト教国ギリシャ支援のために反イスラーム義勇軍を編成して
イヌとサルとキジをお伴に連れて
【(オスマーン帝国からの)ギリシャ独立戦争】
に赴いたバイロン桃太郎侍卿の長編詩、
【Childe Harold's Pilgrimage(チャイルド・ハロルドの巡礼)】
の中の、
"He heard it, but he heeded not...his eyes
Were with his heart, and that was far away;
He reck'd not of the life he lost nor prize,
But where his rude hut by the Danube lay,
There where his young barbarians all at play,
There was their Dacian mother...he, their sire,
Butcher'd to make a Roman holiday...
All this rush'd with his blood...Shall he expire
And unavenged? Arise! ye Goths, and glut your ire!"
(カタカナ読みは省略)
「(拙大意)
彼の耳にはそれが聞こえた。が、心には響いてなかった。彼の目は
心とともにあり、遠く離れたところにあった。
彼はかまわなかった。自分の命がなくなろうと勝負に勝とうと。
が、ドナウ川近くの彼の粗末なほったて小屋が建つところに、
遊び回る彼の素朴な子供たちと、
そのルーマニア人の母親がいることしか頭になかった。その父である彼が、
されて、ローマ人流の休日の娯楽のためにならねばならないのだ。
そうしたことすべてが一瞬にしてこみあげてきた、血が噴き出すとともに。
彼は死ななければならないのか? 復讐の機会も与えられないままに。
立ち上がれ! 汝らガリア人。汝らの怒りをぶつけろ!」
というくだりと大いに関係があるように思える。ちなみに、
ロシアがオスマーン帝国から割譲したドナウ川河口の対岸は
【ルーマニア】である。帝国の領土各地から
強制連行された奴隷や、あるいは生活のために志願した剣闘士がいたが、
現在のルーマニアあたりからも連れてこられたのである。
ローマではコロッセオ(ロシア語でいうАрена=アリェーナ)で猛獣相手に、あるいは、
同じく剣闘士どうしで殺し合うことを余儀なくされた
グラディエイター(グラディアトール)らの無惨な死が
ローマ市民の見せ物であり娯楽であった。
命乞いをする敗者を助命するか殺すかは、
観客が布切れを振る(助命)か、親指を下に(殺処分)するかで
判定された。これは、現在も闘牛のマタドールに対して振られる観客の
白いハンカチの多寡が評価の基準、という形で残ってる。ともあれ、
おなじ人間なのに、強制連行された奴隷剣闘士の命は、
虫けらのように扱われ、見せ物とされてた。そして、
それは現在でもローマ観光などという
脳天気な遊山の種のひとつとなってる、
ということへの狂信的な憤りをドールトン・トランボウは皮肉を込めて
"Roman holiday"というタイトルにした。それが、
映画「ローマの休日」である。いずれにせよ、
猛獣相手に負傷・死亡し、あるいは、相手剣闘士との勝負に
負けて殺されるか、降参して命乞いの結果観客にサムを下に向けられて
ブーイングされた結果殺処分となった奴隷剣闘士の遺骸は、
"La Porta Libitinensis(ラ・ポルタ・リビティーネンスィス)"
(libitina(リビティーナ=死、弔いを司る女神)の門"=敗者の門、死者の門)
という東門から外に運び出されたのである。

チャイコフスキーはこの故事を
念頭に、「1812年」の主題のひとつに採ったのかもしれない。
「1812年」を作曲した1880年の10月に、チャイコフスキーの召使い
アレクセイ・ソフローノフが徴兵のくじ引きにモスクワに出向いた。チャイコフスキーは
八方手を尽くして召使いの懲役を免れさせようとしたらしい。が、
徒労に終わり、結果、
ソフローノフは12月から3年4か月の兵役に就くことになった。繊細な
チャイコフスキーは、召し使いが兵役にとられることを気の毒に思い、
自身も淋しくて酒に溺れる日々となってしまったのである。

[(アッレーグロ・ジュスト、4分音符ー138の)リステッソ・テンポ(同じ速度で)、
4/4拍子、6♭(変ホ短調)]
コントラバスの前2拍の2分音符と2番クラリネット1管の2拍めからの
付点2分音符の主音低奏と、ヴィオーラとチェロのオクターヴ・ユニゾンの
♪●●ラー・ーー<シー・・<ドーーー・<レーーー♪
という同型反復のオッブリガートと、
タンバリンの[ター●●・ターター・ター●●・ター●●]という
同型反復打突律動に乗って、
1番フルート1管とコルノ・イングレーゼのオクターヴ・ユニゾンが、
♪ミーッ、ミ<ファ・>ミー、>レー・・>ドー、ドーッ、・<レー>ラー、│
<ドーッ、ドーッ、・>ラーーー、・・<ドー>シ<ド・<レーッ、>ラーッ、│
<ミーーー・>ラー、ラーッ、・・ラー<ドー、>シーッ、>ラーッ、│
<ミーッ、ミーッ、・ミーッ、ミーッ、・・ミー、<ソ>ミ・>レーッ、>シー│
<ドー、ドーッ・>ラーーー、・・<ドー>シ<ド・<レーッ、>ラーッ、│
<ミーーー・>ラー、ラーッ、・・ラー<ドー、>シーッ、>ラーッ、│
<ミーーー・>ラー、ラーッ、・・ラ<シ、<ドッドッ、・>シ>ラ、ソッ、>ファッ、│
>ミー♪
という、民謡「ウ・ヴァロート」を吹奏する。この主題の断片が、
オーボエ1管から低音域ファゴット1管、そして、
ヴィオーラ、チェロによって受け継がれて繰り返され、
主音esの全音符→desの全音符となり、
ソナータの提示部を終え、展開部に移行する。
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「チャイコフスキー『1812年』のソナタ部第2主題/破棄したオペラの二重唱からの転用」

2011年08月28日 20時54分27秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


数日前の新聞に、
横浜市にある神奈川県立高校の地理歴史科の女性教諭が
日本史の授業で生徒にハングルを教えていたことに対して、
県教委が教育内容として不適切でありこうした授業をしないよう
学校側を指導したという記事が載ってた。また、この教諭が
"関東大震災のさいに起きた朝鮮人虐殺現場見学ツアー"を企画して
生徒に参加を募っていたことも判明したという。
こうやって反日教育を無垢な生徒に施そうとする動きは
以前から日常的にあったことである。が、昨今、
真っ当な記載がなされてるらしい育鵬社版公民教科書を採択する
自治体が増えそうになってる傾向を危惧した
反日貶日思想教職員の輩が企てたもののひとつなのだろう。
この女性教諭の申し開きによれば、
<<日朝貿易に関連して、輸入品の木綿についてハングルの発音の
 モクミョンが日本語と似ていることを教えたところ、
 生徒が関心を示した。韓流のドラマなどもはやっていた>>
とのことである。噴飯ものである。日本が独立させてあげるまで
中国の属国だった朝鮮が漢語を採り入れたのは当然で、
この"ハングルの発音"とされてる"モク・ミョン"は漢語の
"木綿(ムー・ミエン)"の朝鮮訛りである。いっぽう、
優れたものは謙虚に認める日本では中国の属国でなくても
その秀逸なる漢字文化を採り入れてた。我が国の
綿の音読みのひとつであるメンは呉音という日本訛りであり、
木綿は古くは"モク・メン"と発音してたのである。ともあれ、
「木綿」に関して朝鮮語と日本語が似てる、のではなく、
ともに漢語由来の語ゆえ、互いも音が似てるというだけのことである。
そんなことも理解できてない知的レヴェルのくせに、余計なことに
時間をかけ労力を費やすという愚かな活動に精を出す。ちなみに、
この邪心だけは旺盛な左翼先生がない知恵を搾って企画した校外活動ツアーは、
「参加希望者ゼロ」だったために実現しなかったらしい。どうやら、
生徒のほうは至極真っ当だったようである。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。

このC部「ソナータ形式」の第2主題は、
チャイコフスキー初期(1867-68年作曲)のオペラ
"Воевода(ヴォィヴォーダ=地方長官)"(op.03)
(3幕4場)の2幕終わり近くで歌われる、
Марья Власьевна(マーリヤ・ヴラースィイヴナ=ソプラーノ)と
Олёна(アリョーナ=メッゾ・ソプラーノ)による二重唱の節の
再利用である。

第2幕第2場(第8曲)[Allegro、2/2拍子、1♯(ト長調)]
(マーリヤ) ***♪●│●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●レ│
(アリョーナ)***♪ド│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ソー・・ソー・●●│

<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ソー・・ソー・●●│
●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・ソー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・ソー│
<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│<ソー・ーー・・ーー・>ファー│

<ラー・<ドー・・>シー・>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●・●●│
>ミー・ミー・・>レー・レー│>ドー・ーー・・●●・>ソー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・ソー│
<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│<ソー・ーー・・ーー・>ファー│

<ラー・<ドー・・>シー・>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●・●●│
>ミー・ミー・・>レー・レー│>ドー・ーー・・●●・(このドをシと置換して、変イ長調)シー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・ファー・ーー│
<ドー・>シー・・シー・>ラー│ラー・<シー・・シー・<ドー│

>ミー・<ソー・・ソー・>ファー│ファ>ミ・<ラ>ソ・・>レー・●●│
ドー・ーー・・>シー・ーー│<ドー・>ラー・・<シー・>ソー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・ファー・ーー│
<ドー・>シー・・シー・>ラー│ラー・<シー・・シー・<ドー│

>ミー・<ソー・・ソー・>ファー│ファ>ミ・<ラ>ソ・・>レー・ーレ│
ドー・ーー・・>シー・ーー│<ドー・>ラー・・<シー・ー>ソ│

<ミ(このミをラと置換して、変ホ長調)ー・ーー・・ーー・ラー│ラー・ーー・・ーー・ーー│
<ド(このドをファと置換して、変ホ長調)ー・ーー・・ーー・ファー│ファー・ーー・・ーー・ーー│

ーー・●●・・●●・●>ド│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│
ーー・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・>ソー│

<ソー・ーー・・ーー・●>レ│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│
<ラー・<♯ラー・・<シー・<ファー│>ミー・ーー・・>レー、・>ソー│

<ソー・ーー・・ーー・ソー│ソー・ーー・・ーー・ーー│
<ラー・<♯ラー・・<シー、・>ソー│<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│

ーー・<ラー・・<シー・、>ソー│<ラー・<ドー・・>シー・>ラ>ソ│
<ソー・ーー・・ーー、・>ファー│>ミー・ミー・・>レー・レー│

<ドー・ーー・・●●・(このドをシと置換してホ長調)シー│
<ミー・ーー・・●●・(ホ長調に転調)>レー│

<ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ラー・<シー、・・シー・<ドー、│
>ドー・ーー・・<レー・ーー│<ミー・ーー・・>レー・ーー│

ドー・>ソー、・・ソー・>ファー、│ファ>ミ・<ラ>ソ、・・(ヘ長調に転調)>ファー・<ソー│
>ドー・ーー・・>シー・ーー│<ドー・ーー・・ドー・(このドをシと置換してヘ長調)・シー│

<ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ラー・<シー・・<ドー、・(ト長調に転調)<シー│
<ドー・ーー・・<レー・ーー│<ミー・>レー・・<ソー、・(ト長調に転調)>レー│

<ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ラー・<シー・・<ドー、●●│
>ドー・ーー・・<レー・ーー│<ミー・>レー・・>ドー、●●│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●●│
●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●●│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●>ド│
●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●●│

<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ーー・・ーー・●>レ│
●●・●●・・●●・>ソー│<ラー・<♯ラー・・<シー、<ファー│

<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ーー・・ーー、・ソー│
>ミー・ーー・・>レー、>ソー│<ラー・<♯ラー・・<シー、>ソー│

ソー・ーー・・ーー・ーー│ーー、<ラー・・<シー、・>ソー│
<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│<ソー・ーー・・ーー、>ファー

<ラー・<ドー・・>シー>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●、・>ソー│
>ミー・ミー・・>レー・レー│<ミー・ーー・・●●、・>ソー│

ソー・ーー・・ーー・ーー│ーー、<ドー・・>ソー、・>ソー│
<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│<ソー・ーー・・ーー、>ファー

<ラー・<ドー・・>シー>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●(ドをミと置換して変ホ長調)、・>ミー│
>ミー・ミー・・>レー・レー│>ドー・ーー・・●●(ドをミと置換して変ホ長調)、・>ドー│

<ファー・ーー・・<♯ファー・ーー│<ソー・ーー・・<♯ソー・ーー(これをミと置換してト長調)│
ドー・ーー・・<レー・ーー│レー・ーー・<ミー・ーー(これをドと置換してト長調)│

<ファー・>ミー・・>レー・<ミー│<ファー・<♯ファー・・<ソー・<ラー│
ドー・ドー・・ドー・ドー│ドー・<♯レー・・<ミー・>ドー│

>ミー・ーー・・>♯レー・ーー│<ミー・ーー・・>♯レー・ーー│
ドー・ーー・・>♯ファー・ーー│<ドー・ーー・・>♯ファー・ーー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・<ドー・ーー│
●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・<♯レー│

>シー・ーー・・<ミー・>♭シー│>ラー・ーー・・<♭シー・ーー│
<ラー・>♯ソー・・>Nソー・ーー│ソー・ーー・・ーー・>♯ドー│

>ラー・ーー・・<レー・>♭ラー│>ソー・ーー・・>♯ファー・ーー│
<ファー・<♯ファー・・>Nファー・ーー│ファー・>ミー・・ーー>♭ミー│

>(N)ファー・ーー・・>ミー・ーー│>レー・ーー・・ーー・>ドー│
<(N)ミー・>レー・・ーー・>ドー│●●・>ファー・・>レー、・<ミー│

>シー・ーー・・>ラー・●●│<ファー・ーー・・ーー・>ミー│
<ファー・<ソー・・<♭ラー・ーー│●●・♭ラー・・>ファー、・<ソー│

>レー・ーー・・ーー・●●│●●・●●・・<ミー・ーー│
<♭ラー・<♭シー・・<Nシー・ーー│●●・●●・・<ドー・ーー│

<ファー・ーー・・<シー・ーー│シ(tr)ー・ーー・・ーー・ーー│
<レー・ーー・・>ファー・ーー│<♭ラー・ーー・<♭ラー・>ファー│

ーー・ーー・・ーー・ーー│ーー・ーー・・ーー・ーー│
>レー・>シー・・>♭ラー・ーー│>ソー・ーー・・ーー・ーー│

ーー・ーー・・ーー・ーー(>ラ<シ)│<ドー・ーー・・ーー・ーー│
>ファー・ーー・・ーー・ーー│>ミー・ーー・・ーー・ーー│

ーー・ーー・・●●・●●♪
ーー・ーー・・●●・●●♪

"сердечного(スィルヂェーシナヴァ=心優しい) дружка(ドルーシカ=友)"
とか、
"милого(ミーラヴァ=愛しい) дружка"
とか言い合う、マーリヤ・ヴラースィィヴァとアリョーナの再会の場面である。
これを転用したのであるから、単純には、
戦場で、生き残った友同士が再会した感慨を詠ってると推量できる。
いずれにしても、
2分の2拍子でアッレーグロというテンポ指定であるから、
かなり速い歌である。転用先でも
4分の4拍子ながらアッレーグロ・ジュストのリステッソ・テンポ(同じテンポで)なので、
この箇所でテンポを落として演奏させる指揮者は
まったくの心得違いをしてると思っていい。
作曲者の指示がないのに恣意的にテンポを落とす指揮者には、もとより
「拍感」「律動感」が備わってないのである。というより、
そんな指揮者ばかりである。
真っ当な指揮者は皆無なのである。
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「チャイコフスキー『1812年』のソナタ部第2主題(その3)/ト長調から変ホ調へ」

2011年08月25日 00時17分03秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


先日、
私が小学生のときに火曜21時からTBSで放送してたTVドラマ
「木下恵介アワー」のスィリーズで栗原小巻女史とコンビのように共演してた
竹脇無我が、小脳出血で亡くなった。当時の日本人の典型的なイケメンである。
ブサイクヅラな私の、いわば憧れの顔の俳優だった。今では、
「二人の世界」と「三人家族」の内容の区別もつかないが、
あおい輝彦の主題歌だけはどっちがどっちだかはっきり判り、
ナレイターの矢島正明の声の記憶だけはある。竹脇昌作が
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます」
と割っては入らなかったことも確かである。ただし、
子供心にも栗原小巻女史は虫が好かなかった。私は
サユリストだのコマキストだのという連中の気が知れなかった。ともあれ、
共産党シンパの吉永女史同様に、のちに
栗原女史は共産党色が強い俳優座所属の屁理屈屋女優だとわかった。が、
栗原小巻女史とちあきなおみ女史の顔の違いが判別できなかった
拙脳なるガキの私にそんなことは判るはずもない。ともあれ、
栗原女史はロシアとの関係が深い。そして、当然に
チェーホフが"お得意"である。このように、私がガキだった頃に
ロシア(ソ連)文学・ロシア(ソ連)音楽に携わってる者は、ほとんどが
反日貶日の左翼思想・共産党シンパ・日教組・労組、読む新聞は朝日、
そして"インテリゲンチャ"を気取って趣味はクラシック音楽、
住んでるところは鎌倉・逗子・市川・杉並といった文化の香る住宅地、
態度はでかい、というように、
絵に描いたような鼻持ちならない生意気な奴らばかりだった。
これが、私がチャイコフスキー研究の道に進まなかった5番めぐらいの理由である。
私はロシアとロシア人が大嫌いながらチャイコフスキーの音楽が大好き、
という憐れで惨めな野郎なのである。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。

このC部「ソナータ形式」の第2主題提示後半=
[Allegro giusto(アッレーグロ・ジュスト)、4分音符=138、4/4拍子、6♯]
(提示後半=実質ト長調)
***♪シー│
    <ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ 
    ラー・<シー、・・シー・<ドー、│
    ドー・>ソー、・・ソー・>ファー、│
    ファ>ミ・<ラ>ソ・・>レー、<ソー│
    <ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ 
    ラー・<シー、・・シー・<ドー
(このト長調のドを変ホ長調のミと置き換えて変ホ長調に転じる)│
    ミー・>レー・・レー・>ドー│
    ドー・<レー・・レー・<♭ミー
(ここで変ホ長調の第3音が下方変位、変ホ短調となる)│
    ♭ミー・>レー・・レー・>ドー│
    ドー・<レー・・レー・<♭ミー
(この♭ミの箇所で木管群がドを吹き、
C部「ソナータ形式」の第2主題が前半から変ホ長調で繰り返される。ドー)│
    <ソー・ー、ソ、・・ソ>ファ・>ミ>レ│
    <ソー、・ソー・・●●……♪
弦の3重オクターヴ・ユニゾンで提示された主題が、繰り返されるときには
フルート1管+オーボエ1管+クラリネット1管、そのオクターヴ下の
オーボエ1管+クラリネット1管、という組み合わせで吹かれる。が、それは、
***♪ドー│
     <ソー・ー、ソ、・・ソ>ファ・>ミ>レ│
     <ソー、・ソー・・●●・>レー│
     <ソー・ー、ソ、・・ソ>ファ・>ミ>レ│
     <ソー・ーー、・・ーー・♪
までであり、続く、
***♪>ソー│
     <ラー・<ドー、・・<レー・<ミ<ファ、│
     <ソー・ーー・・ーー、・『ソー│
     <ラー・<ドー、・・>シー・>ラ>ソ│
     <ドー・ーー・・ーー』、ソー│
     <ラー・<ドー、・・<レー・<♭ミ<ファ、│
     <ソー・ーー・・ーー、>ソー│
     <ラー・<ドー、・・<レー・<♭ミ<ファ、│
     <ソー・ーー・・ーー、♪
以降では、チャイコフスキーは組み合わせを替えてくるのである。つまり、
フルート1管+オーボエ2管、そのオクターヴ下のクラリネット2管、
という配置である。ただし、『』の中は、
フルート1管+オーボエ1管、そのオクターヴ下のオーボエ1管+クラリネット2管、
という仕様である。いっぽう、
木管群が主題の
[ドー<ソーーソソ>ファ>ミ>レ<ソーソー]の箇所を吹く間、弦は、
***♪ミー・ーー・・>レー・ーー、│>ドー>シー>ラー(3連)、・・>ソー>♯ファー>Nファー♪
というオッブリガードふうな下降旋律を擦り出し、木管群が主題の
[ソー<ラー<ドー<レー<ミ<ファソーーーーー]の箇所を吹くとき、弦は、
その節を追いかけてカノるのである。そして、
この輪唱ゼクヴェンツから、第3主題ともいえる民謡、
"У Ворот(ウ・ヴァロート=門前で)"*と繋がる。
(*у=生格支配の前置詞=「傍で」「前で」、
 ворот=ворота(ヴァロータ=門)の生格)
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「チャイコフスキー『1812年』のソナタ部第2主題(その2)/嬰ヘ長調から一転ト長調へ」

2011年06月28日 00時02分38秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


昔は、
[風が吹けば桶屋が儲かる]
と言ったらしい。が、
昨今は黄砂を運ぶ西風が吹くと、

民主党が原発廃止という風潮を演出する
→ヒューマニスト、エコロジスト、左翼活動家、そのシンパなどが
 ブログやツイッターで「原発廃止」を唱えたりデモをしたりする
→政治的にノンポリな一般的な人たちにも原発は悪だという思想誘導がなされる
→原発は確実に廃止されるという一般認識が定着する
→停電にされたら商売あがったりな企業がさらに国外に生産工場を移す
→国内雇用が減る
→GDPがさがる
→日本がさらに中国その他のアジア諸国より国力が下になる
→中国あるいは南北朝鮮のために働くなりすまし日本人政治家の思惑どおりになる

日本の危機は今まさにここにある。
やつらが本気で「復興」などするはずがない。なにしろ、
他国のために働くなりすまし日本人政党なのだから。
ナポレオンがロスィアに攻めてきた、どころではない。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。

このC部「ソナータ形式」の第2主題提示後半=
[Allegro giusto(アッレーグロ・ジュスト)、4分音符=138、4/4拍子、6♯]
(提示前半は調号どおりの嬰ヘ長調、後半は実質ト長調)
***♪……ソー│
    <ラー・<ドー、・・>シー・>ラ>ソ、│
    <『ドー・ーー』・・【ーー、(このドをシと置き換えて)シー】│
    <ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ 
    ラー・<シー、・・シー・<ドー、│
    ドー・>ソー、・・ソー・>ファー、│
    ファ>ミ・<ラ>ソ・・>レー、<ソー│
    <ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ 
    ラー・<シー、・・シー・<ドー♪

この第2主題前半の最後の小節の『前半』は、
木管群とホルン4管による『嬰ヘ長調の主和音』の2分音符、
という和音である。それが一転、
【後半(第3拍、第4拍)】に、
【ト長調の属7】の2分音符が吹奏され、第4拍から、
両翼vnとヴィオーラによる3オクターヴにわたるユニゾンの主題が
ト長調に転調されて歌われるのである。

[fis(嬰ヘ=ド)-ais(嬰イ=ミ)-cis(嬰ハ=ソ)](『嬰ヘ長調の主和音』)

[a(イ=レ)-c(ハ=ファ)-d(ニ=ソ)](【ト長調の属7】/第4拍に弦がfis(嬰ヘ=シ)を加える)

何の変哲もない和音と和音が繋がれてるだけなのに、
山頂に達して急に眼前に壮大な景観が開けたような、
脳が激しく揺さぶられるような感動が呼び起こされる。
チャイコフスキーの卓越した和声センスのなせる技である。
ト長調に替わっても、ここからもまた、
4拍子の前半2拍を「主和音」、後半2拍を「属7」、
という同型反復が重ねられる。ここでは、
第1ホルンの[ミー・ーー・・<ファー・ーー│>ミー・ーー・・<ファー・ーー]
という高音の響きがとくに効いてる。また、
この[前半2拍-後半2拍]という対称が、
旋律を弾く弦のボウイング(アーティキュレイション)が
前半2拍と後半2拍がそれぞれひとまとめにされてることも、
音楽の天分に恵まれたチャイコフスキーの策である。さらに、
前半は4拍のうちの第1拍だけに弱く打たれてた
[●ー・○○・・○○・○○]トライアングルが、後半からは、
[●ー・●●・・●ー・○○]というリズムで強く鳴らされる。
打楽器使いの名人チャイコフスキーの舌を巻く律動センスである。

ところが、
4分音符が2拍ずつに分けられてきた旋律が、
[《ファ》>ミ・<ラ>ソ・・>レー]の箇所でそれまでの
「まとまり」が破られる。そして、
その《ファ》が主和音の中で倚音効果を遺憾なく発揮するのである。
そこでまたさらに音楽を解する者たちの涙腺を緩ませるのである。さらに、
トライアングルにも強拍と中強拍だけに控えさせる、という
チャイコフスキーの気配りにとことん感嘆するのである。

ちなみに、
この第2主題では巷の指揮者なる者のほとんどが
テンポをかなり遅くしてしまう。が、
旋律の美しさだけでなく、和声による効果、さらに
律動にまで充分な配慮がされてることに気がつけば、
それが如何に愚かなことかが解るというものである。
遅くしてはこの律動感が著しく損なわれてしまうのである。
チャイコフススキーがこの第2主題が始まる箇所に「わざわざ」
[L'istesso tempo(リステッソ・テンポ=これまでと同じ速度で)]
(行き届かない神経の指揮者にも解るように言い換えれば、
「ここで遅くなんかするんじゃねぇぞ、このドアホウ」という意味である)
と記してることに何の注意も払わないお気楽な神経の持ち主が
音楽演奏に関わること自体、本来あってはならないことである。

一部に、
芸術作品はその意図や真理を追究しないで
ただ自分の感じたまま鑑賞すればいい、とか、
「音楽」はその"字の如く"「音を楽しむ」もの、
などという思慮に足りないことを言い張るむきがある。
最高の料理を味わうときに、
器や盛りつけなどどうでもいい、味がいいのだから、といって、
便器の中にぶちまけてごちゃまぜにしてそこに顔をつっこんで
口をとがらせて吸いとるようなものである。そういう輩は、
「楽」の字源を考えることもなく、短絡にそういう先入観を動員し、
音楽に正しい聴きかたなどない、という。
とんでもない。音楽には正しい聴きかたがある。いや、
正しい聴きかた以外では聴いたことにはならない。
もちろん、
お気楽な聴衆は音楽を"楽し"めばいい。が、
そんなむきには本来、音楽など必要ないのである。
真の音楽はただ美しいだけのものでも、ただ楽しいだけのものでもない。
感動するものである。
再現者は正しく聴衆を感動させなければいけない。

それから、
福島原発事故が菅の見栄と不手際によるものとはいえ、震災後に
放射線風評で来日をキャンセルした演奏家どもを、私はけっして忘れない。いっぽう、
スィンディ・ローパー女史、レイディ・ガガ女史、ジェイン・バーキン女史、
プラシド・ドミンゴ、バルバラ・フリットリ女史、ファービオ・ルイーズィ、など、
真の演奏家・歌謡歌手を日本人音楽ファンは見極めるべきである。
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「チャイコフスキー『1812年』のソナタ部第2主題(その1)/チャイコフスキー生誕171年記念」

2011年05月07日 00時48分03秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


煎餅焼き稼業の注文を月曜までに納品しなければならないのに、
またしても怠け癖が出て一枚も焼いてない。午前に
小用で音羽村に出かけたら、鳩山会館前に
黄色いはとバスが駐まってて、けっこうな数のツアー御一行様が
きれいなガイドのおねえさんの旗のもと、
一丸となって坂を登ってくところが見えた。

この鳩山御殿でのうのうと育った鳩山由起夫が5日に、
ペキンに参内して習近平に、
<空と海が毎日汚染されてしまっていることを申し訳なく思っている>
と陳謝したらしい。
新疆ウイグル自治区の楼蘭付近で三十余年にわたってやってきた
中華人民共和国の核実験では、日本は謝罪されてない。
同国領土内で発生してる黄砂が及ぼしてる害も詫びてない。いっぽう、
菅直人は内政などは原発を止めさせること以外ほっぽらかしで、
大清国の属国時代にフランス軍に略奪された分の「朝鮮王室儀軌」が先月、
「貸与」という名目ながらも実質返還されたことに困って、
「朝鮮王室儀軌」など1205冊を大韓民国に引き渡すだけで、
「対馬宗家文書」2万8千冊の返還にはひとことも触れない法律を通すことに
躍起である。これら、なりすまし日本人と、なりすまし日本人との縁戚者を
選んだのは、脳の足りない、そこらへんにウヨウヨ・ウジャウジャいる
日本人らなのであるから、しかたない。

ところで、
略奪といえば、清朝末期にイギリス軍とフランス軍が
円明園の宝物を略奪し、それから破壊つくして廃墟となった。
近年になって中華人民共和国がその宝物の所有者となってる
フランス人(故イヴ・サン=ロランも所有者のひとりだった)に、
返還交渉を始めたらしい。が、
<ダライ・ラマをチベットに帰すのなら譲ってややらないこともない>
とフランス人に言われてドタマにきて決裂したようである。

そんな図太いフランス人でも、ロスィアの冬には勝てなかったことがある。
1812年のできごとである。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。

2年近く前に、この曲の楽譜をどこにやってしまったかわからなくなった。
それでずっとこの曲について書けないでいた。が、
3月11日の地震で実家マンションの自室の書庫が崩れて、
それを整理整頓した結果、その中から見つかった。ともあれ、

このC部「ソナータ形式」の第2主題は、[4/4拍子]、
[Allegro giusto(アッレーグロ・ジュスト)、4分音符=138]の
[L'istesso tempo(リステッソ・テンポ=同じ速度で)]である。
ただし、調号は、
[6♭]→[6♯]
という、フラットとシャープがそれぞれ6つの対称を成す
異名同音的(変ト長調=嬰ヘ長調)変換がなされる。

(当初は調号どおりの)[嬰ヘ長調]、
木管群とホルン4管の2分音符刻みの和音の伴奏、
チェロとそのオクターヴ下のコントラバスの全音による属音の通奏、そして、
トライアングルの愛らしい強拍の打突に乗って、
両翼vnとヴィオーラが3層のオクターヴ構造で主題を弾きだす。
***♪ドー│<ソー・ーソッ、・・ソ>ファ・>ミ>レ、│
     <ソーッ・ソーッ・・●●、・>レー│
     <ソー・ーソッ、・・ソ>ファ・>ミ>レ、│
     <ソー・ーー・・●●、・>ソー│
     <ラー・<ドー、・・<レー・<ミ<ファ│
     <ソー・ーー・・●●、・ソー│
     <ラー・<ドー、・・『>シー・>ラ>ソ』、│
     <ドー・ーー・・●●、・>>ソー│
     <ラー・<ドー、・・<レー・<ミ<ファ│
     <ソー・ーー・・ーー、・ソー│
     <ラー・<ドー、・・『>シー・>ラ>ソ』、│
     <ドー・ーー・・ーー、♪
木管群とホルン4管の2分音符刻みの和音は、
4拍子の前半2拍を「主和音」、後半2拍を「属7(第5音省略)」、
というように繰り返す。ただし、『』部分だけ、
旋律が導音を奏でるため、その導音の美しい音色を損なわないように、
導音である第3音を回避して第5音を吹く、
という属7の稀な使われかたの例である。ともあれ、
この単純な「主和音」と「属7」の繰り返しが、この主題の後半への
劇的な転調をさらに効果的にするための伏線ともなってるのである。
舌を巻くお見事な運びかたである。
チャイコフスキー、万歳!
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