池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

バーラドヴァージャ(スッタニパータのエピソード)

2022-04-15 12:52:53 | 日記

托鉢の列にいたブッダに、バーラドヴァージャは尋ねる。
(以下、正田先生の訳文を拝借)

「道の人よ。わたしは耕して種を蒔く。耕して種を蒔いたあとで食べる。あなたもまた耕せ、また種を蒔け。耕して種を蒔いたあとで食べよ」

まあ、早い話が「あんたは何も労働しないのに、労働した人から食べ物をもらっているじゃないか。ものを食べたいのなら、托鉢なんかしないで働け」ということだろう。

それに対してブッダは「私も耕して、種を蒔いて、食べる」と答える。

バーラドヴァージャが「あんたは耕作の道具も何ももっていないじゃないか」と言うと、ブッダは詩の形式で答える。

77.

世尊は答えた〕「信が、種子です。苦行が、雨です。わたしのばあい、知慧(般若・慧)が、軛[くびき]と鋤[すき]です。恥〔を知る思い〕(慚)が、轅[ながえ]です。意[おもい]が、結び紐です。わたしのばあい、気づき(念)が、鋤先と刺し棒です。


78.

身体[からだ]が守られ、言葉が守られ、腹において食が自制された者として、〔わたしは〕真理という草刈りを為します。わたしのばあい、温和〔な心〕が、解き放ち(放牧)です。



以下、ずっとこの調子で続く。
つまり、ブッダが耕作しているのは田畑ではなく「心」である。
食べ物より心が重要なのである。
食べて生き延びるだけなら、落ちているものを拾ってでも生きていけるが、心を耕作し、きちんと収穫するのは並大抵ではない。
心を優先したがために飢え死にしてもかまわない。それが出家の覚悟なのだから。

昔、日本の住職が、寺の墓地を抵当に入れて大量に宝くじを買い込み、ぜんぶ外れて大損をこき、檀家から怒られたという話を聞いたことがある。なんとも・・・
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