したがって、注釈書の根本部分がアビダンマ本文と密接に関連した形で作成され、アビダンマと一緒に後世に伝わり、アビダンマ本文が変化することはなかったが注釈には「これでおしまい」というスタンプはないので修正や敷衍が行われたと考えるのは不合理な話しではない。
このことを念頭に置いて、アビダンマ自体では知られていないか、または目立っていないような、注釈書独特のアビダンマ概念について、いくつか簡単に触れておく。その一つは認知プロセス(cittavīthi)を詳細に記述している点である。この概念は、三蔵の中で暗示的に認めることができるが、注釈書では、それを抽出し、それ自体を説明の道具として用いている。アビダンマではチッタ(心)の働き、様々な意識タイプが指定されているが、時間とともに、チッタ自身がその働きによって規定されるようになった。
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