池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

アビダルマ哲学要諦(6)

2024-05-10 16:23:03 | 日記

アビダンマが現実世界の性質を把握しようとする場合、西洋の古典的科学とは正反対に、中立的な観察者の立場から外界を観測するというやり方をしていない。アビダンマの主たる関心事は経験の性質を理解することであり、したがって現実とはいっても、アビダンマは意識的な現実、経験として与えられる世界、最も広い意味で我々が「知っている、わかっている」世界に焦点を絞っている。このため、アビダンマの哲学的企ては、現象論的心理学の様相を帯びている。我々が経験する現実を理解しやすくするため、アビダンマは、内観的な瞑想において露わになった心の精巧な分析に乗り出す。意識は様々なタイプに分類され、各タイプの要素と働きが指定され、その対象や生理学的基盤と関連づけられ、様々なタイプの意識が相互に、あるいは物質的現象とどのように結びついて我々の持続的な経験プロセスを成り立たせているかが示される。

このような心の分析は、思索的な好奇心からやっているわけではなく、苦しみからの解放に至るという、他の全ての優先するブッダの教えの実践的目的がその動機付けとなっている。ブッダは、苦しみの原因を我々の汚れた気持ち(強欲、憎しみ、妄想を根元とする心の傾向)としているため、アビダンマの現象論的心理学も心理的な倫理学という性格を持っている。ここで「倫理学」というのは、道徳的な規範という狭い意味ではなく、心を清浄にし人格を向上させるための包括的指針という意味である。このようなことから、アビダンマは、健全なる心とそうでない心、きれいな心的成分と汚れというように、主に倫理的基準に基づいて心を区別している。

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