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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月27日・アイザック・シンガーの前向き

2014-10-27 | ビジネス
10月27日は、ポーップアートのロイ・リキテンスタインが生まれた日(1923年)だが、ミシンを改良したアイザック・シンガーの誕生日でもある。

アイザック・メリット・シンガーは、1811年、米国ニューヨーク州のピッツタウンで生まれた。父親はドイツ系ユダヤ人だった。
19歳で最初の結婚をしたアイザックは、ニューヨーク州内の機械工場で働くなどした後、28歳のとき、岩盤掘削機械を発明し、この権利を2000ドルで売った。この利益で彼は、俳優一座を立ち上げ、米国各地を旅興行をしてまわった。
5年ほどの役者時代の後、シンガーはオハイオ州の印刷工場に勤めた後、35歳のとき、ペンシルベニア州のピッツバーグに引っ越し、木工所をはじめた。看板や木型を製作する工場だったが、ここで彼は「木や金属を彫刻する機械」を発明した。39歳のとき、マサチューセッツ州ボストンに行き、現地の工場で自分が発明した機械を組み立てていると、彼はそこでミシンの機械を組み立てている現場に出会った。彼はそのミシンをもっと使いやすく改良する方法を思いつき、曲がった針を使っていたのをまっすぐなものに変えるなど改良点を特許申請して、40歳のときに認められた。ミシンはそれ以前にもあったが、シンガーが作ったのが、はじめての実用に耐え得るミシンだった。彼はただちに新会社、I・ M・シンガー・アンド・コーポレーションを設立し、ミシンの製造をはじめた。
はじめ、仕立屋が使う機械だったミシンは、やがて家庭でも使われるようになり、世界的に普及していった。
大富豪となったシンガーは、フランスのパリ、英国のロンドンなどに住み、1875年7月、心臓病と気管の炎症のため、英国イングランドのペイトンで没した。63歳だった。

画期的発明であるミシンは、当初、シンガーの会社を含む5つの会社が発明の権利を主張していた。5社のあいだで法廷闘争が続いた後、シンガーが45歳のときに、5社の代表が一堂に会して話し合い、その席で、法廷で権利闘争をするよりも、特許をこの席にいるみんなが使えるようにしようという取り決めをおこなわれた。各社はミシンの大量生産に乗りだした。これが、パテントプールというやり方の世界最初の例で、さまざまな特許が集まって構成されているパチンコ台、コンピュータなど現代の精密機器の多くがこの方式で生産されている。

シンガーは19歳で結婚したのを皮切りに、生涯を通じて5人の女性に24人の子どもを産ませている。同じ成功した発明家でも、ダイナマイトを発明したノーベルと比べると、みごとなまでに対照的な恋愛遍歴で驚かされる。俳優一座を立ち上げた経歴からしても、おそらく、シンガーは楽天的な精力家で、後ろを振り返らない、前向きな性格だったのだろう。

シンガーは言っている。
「人生は神が書いた小説である。彼にもっと書かせようではないか。(Life is God's novel. Let him write it.」(Search Quotes: http://www.searchquotes.com/)
(2014年10月27日)



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