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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月11日・アート・ブレイキーの話

2024-10-11 | 音楽
10月11日は、「コムデギャルソン」のファッションデザイナー、川久保玲が生まれた日(1942年)だが、ジャズドラマー、アート・ブレイキーの誕生日でもある。

アート・ブレイキーは、1919年、米国ペンシルベニア州のピッツバーグで生まれた。未婚の母の子どもで、その母親もアートを産んですぐに亡くなった。母親の友だちだった家族に引き取られて育ったアートは、学校でピアノを習い、十代のころにはクラブでピアノを弾いて働きだした。あるとき、クラブの経営者が彼にピストルをつきつけてきて、べつのピアニストと代わるよう命令された。以来、アート・ブレイキーはドラマーに転向した。
23歳のころ、ニューヨークへ移り、マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカーなどと共演した後、35歳のころにジャズ・メッセンジャーズを結成。以後、メンバーを入れ替えながらも、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズとして、ライブ演奏やレコード録音をした。
彼が39歳のときに発表した名アルバム「モーニン(Moanin')」のタイトル曲「モーニン」は、世界中で大ヒットし、日本でもジャズを知らない人も道を歩きながら口ずさむほど流行し、ジャズ・ミュージックを代表する名曲のひとつとなった。
ブレイキーは、日本にもジャズ・メッセンジャーズを率いて何度も来日し、人気を博した。
日本は、黒人である自分を差別せず、人間として迎えてくれたうれしい国だとし、大の日本びいきだった。
ブレイキーは、1990年10月、肺ガンのため、ニューヨークで没した。71歳だった。

ずっと昔の夜、米国ニューヨーク市、マンハッタンのグリニッジヴィレッジにジャズを聴きに行った。ジャズバーの地下1階はとても広く、テーブルにつき、マンハッタンやトムコーリンズをお代わりして待っていると、やがて、ピアノやダブルベース、トランペットなどの楽器奏者がでてきて、最後に白髪の黒人の老人がドラムセットの奥にすわり、演奏がはじまった。生まれてはじめて聴くジャズのライブだった。
何曲か白目を出してドラムをたたいた後、老人が立ってきて、スタンドマイクの前に立って、語りだした。
「ジャズというのは、クラシックやポピュラーなど、ほかのジャンルの曲とちがって、いま、この瞬間しかない音楽です。今日、この場所で、この瞬間のミュージシャンの感覚で演奏する音楽で、それは過去にも未来にも二度とないものなのです。それがジャズ音楽の特徴であり、尊いところなのです」
そう言って、またドラムのほうへもどっていき、演奏をはじめた。そうやって説明された上で聴いてみると、これがすばらしく聴こえる。ああ、この瞬間は二度と帰らないのだ、すごく貴重な瞬間なのだ、と。ドラマーの名は、アート・ブレイキー。当時64歳だった。
アート・ブレイキーのジャズ論は、そのままわれわれの人生にもあてはまる。
(2024年10月11日)



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