2月10日は、女性解放運動の旗手、平塚らいてうが生まれた日(1886年)だが、テニス・プレイヤーのビル・チルデンの誕生日でもある。
ビル・チルデンは、米国ペンシルベニア州のフィラデルフィアで、1893年に生まれた。本名はウィリアム・ターテム・チルデン2世。父親は羊毛を扱う商人で政治家でもあった。母親はピアニストだった。
召使のいる大きな屋敷で育ったビルは、5歳からテニスをはじめた。
18歳で母親は失い、22歳で父親と兄を失ったチルデンは、数カ月間深いうつ状態となったが、同居していたおばに励まされ、テニスに打ち込むことで危機的な状態から脱した。
ペンシルヴェニア大学を中退し、テニス・トーナメントに出場したチルデンは、1メートル88センチの長身から放つ弾丸サービスを武器に、20歳のときにメアリー・ブラウンと組んで混合ダブルスの全国大会で優勝し、25歳のときにはシングルスで全国大会で準優勝。27歳から32歳まで、6年連続で全米のシングルス・チャンピオンとなった。
27歳のとき、全英ウィンブルドンに出場し、初優勝を遂げた。このとき、挑戦者決定戦の決勝で対戦したのが、日本の商社マン・テニスプレイヤー、清水善造である。
チルデンはアマチュア選手として数々の国際大会で優勝し、27歳から33歳までデビスカップの米国代表チームのエースとして活躍し、米国のデビスカップ7連覇に貢献した後、38歳のとき、プロに転向した。
アマチュア、プロ時代を通じてチルデンは、シングルスでは全英で3回、全米で7回優勝し、ダブルスでも全英と全米で優勝6回、混合ダブルスでは全仏、全米で5回優勝という大記録を残した。さすがのチルデンも40代半ばからは優勝から遠ざかり、テニスの個人レッスンをして収入を得ていた。
もともと出身が裕福だったチルデンは、プロ選手時代の初期のころに大金を稼いだが、ニューヨークの最高級ホテルのスウィートで暮らし、自分がプロデュースしたブロードウェイ・ミュージカルに大金を注ぎ込み、またセレブたちと派手なつきあいをし、資産は見る見るうちになくなっていった。
チルデンは同性愛者で、53歳のとき、ビヴァリーヒルズにとめた自動車のなかで14歳の少年といちゃついていたところを逮捕され、半年以上刑務所に入っていた。
56歳のときにも同様の事件を起こし、保護観察下の彼は個人レッスンで収入を得ることを禁止され、暮らしはいよいよ苦しくなった。親友の映画監督チャールズ・チャップリンはそんなチルデンに援助の手を差し伸べた。そのチャップリンも、赤刈りで1952年に米国から追放された。
翌年の1953年6月、チルデンはロサンゼルスのアパートで、心臓発作により没した。60歳だった。賞金目当てにテニス・トーナメントへ出かけようとしていたところだった。
チルデン著『チルデンのベターテニス』は中学生時代からの愛読書で、チルデンはジョン・マッケンローと並んで、もっとも崇敬するテニス・プレイヤーである。
チルデンの人生を振り返ると、人間とは業を背負って生きていく存在である、との感を深くする。業を背負わず苦闘せずに、器用に難を避けて可も不可もない人生を通ったとして、その人生に意味があるのかどうか。
(2021年2月10日)
●おすすめの電子書籍!
『アスリートたちの生きざま』(原鏡介)
さまざまなジャンルのスポーツ選手たちの達成、生き様を検証する人物評伝。嘉納治五郎、ネイスミス、チルデン、ボビー・ジョーンズ、ルー・テーズ、アベベ、長嶋茂雄、モハメド・アリ、山下泰裕、マッケンロー、本田圭佑などなど、アスリートたちの生から人生の陰影をかみしめる「行動する人生論」。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.jp
ビル・チルデンは、米国ペンシルベニア州のフィラデルフィアで、1893年に生まれた。本名はウィリアム・ターテム・チルデン2世。父親は羊毛を扱う商人で政治家でもあった。母親はピアニストだった。
召使のいる大きな屋敷で育ったビルは、5歳からテニスをはじめた。
18歳で母親は失い、22歳で父親と兄を失ったチルデンは、数カ月間深いうつ状態となったが、同居していたおばに励まされ、テニスに打ち込むことで危機的な状態から脱した。
ペンシルヴェニア大学を中退し、テニス・トーナメントに出場したチルデンは、1メートル88センチの長身から放つ弾丸サービスを武器に、20歳のときにメアリー・ブラウンと組んで混合ダブルスの全国大会で優勝し、25歳のときにはシングルスで全国大会で準優勝。27歳から32歳まで、6年連続で全米のシングルス・チャンピオンとなった。
27歳のとき、全英ウィンブルドンに出場し、初優勝を遂げた。このとき、挑戦者決定戦の決勝で対戦したのが、日本の商社マン・テニスプレイヤー、清水善造である。
チルデンはアマチュア選手として数々の国際大会で優勝し、27歳から33歳までデビスカップの米国代表チームのエースとして活躍し、米国のデビスカップ7連覇に貢献した後、38歳のとき、プロに転向した。
アマチュア、プロ時代を通じてチルデンは、シングルスでは全英で3回、全米で7回優勝し、ダブルスでも全英と全米で優勝6回、混合ダブルスでは全仏、全米で5回優勝という大記録を残した。さすがのチルデンも40代半ばからは優勝から遠ざかり、テニスの個人レッスンをして収入を得ていた。
もともと出身が裕福だったチルデンは、プロ選手時代の初期のころに大金を稼いだが、ニューヨークの最高級ホテルのスウィートで暮らし、自分がプロデュースしたブロードウェイ・ミュージカルに大金を注ぎ込み、またセレブたちと派手なつきあいをし、資産は見る見るうちになくなっていった。
チルデンは同性愛者で、53歳のとき、ビヴァリーヒルズにとめた自動車のなかで14歳の少年といちゃついていたところを逮捕され、半年以上刑務所に入っていた。
56歳のときにも同様の事件を起こし、保護観察下の彼は個人レッスンで収入を得ることを禁止され、暮らしはいよいよ苦しくなった。親友の映画監督チャールズ・チャップリンはそんなチルデンに援助の手を差し伸べた。そのチャップリンも、赤刈りで1952年に米国から追放された。
翌年の1953年6月、チルデンはロサンゼルスのアパートで、心臓発作により没した。60歳だった。賞金目当てにテニス・トーナメントへ出かけようとしていたところだった。
チルデン著『チルデンのベターテニス』は中学生時代からの愛読書で、チルデンはジョン・マッケンローと並んで、もっとも崇敬するテニス・プレイヤーである。
チルデンの人生を振り返ると、人間とは業を背負って生きていく存在である、との感を深くする。業を背負わず苦闘せずに、器用に難を避けて可も不可もない人生を通ったとして、その人生に意味があるのかどうか。
(2021年2月10日)
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さまざまなジャンルのスポーツ選手たちの達成、生き様を検証する人物評伝。嘉納治五郎、ネイスミス、チルデン、ボビー・ジョーンズ、ルー・テーズ、アベベ、長嶋茂雄、モハメド・アリ、山下泰裕、マッケンロー、本田圭佑などなど、アスリートたちの生から人生の陰影をかみしめる「行動する人生論」。
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