1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2/17・雪国から莫言

2013-02-17 | 文学
2月17日は、島崎藤村(1872年)や、梶井基次郎(1901年)など有名作家が生まれた日だが、中国の文豪、莫言(モーイエン)の誕生日でもある。
莫言は、言わずと知れた、2012年度ノーベル文学賞の受賞者である。
自分が「莫言」の名をはじめて知ったのは、2000年ごろの新聞のインタビュー記事のなかでだった。インタビューで、莫言は、
「川端康成の小説『雪国』を読んでいて、文学に目覚めた」
という旨を告白していた。『雪国』のなかに、犬が温泉の湯をなめていると書いた一節があって、それを読んだとき、自分は文学に目覚めたのだ、と。
それですぐに原稿用紙に書いたのが、『白い犬とブランコ』の冒頭の一文だという。
「そうか、『雪国』には、そんな覚醒作用があるのであったか」
自分は驚いた。中学生のときから『雪国』をいく度か読んできて、その都度、さまざまな思いを抱いては、感嘆してきてはいたのだが、「目覚めた」覚えはついぞなかった。そもそも、そんな犬、でてきたかしら?
自分は、莫言の『白い犬とブランコ』を読んでみた。
おろしろかった。なにより「熱さ」があった。
それは、メリメの「マテオ・ファルコネ」や、ジャヤカーンタンの「誰のために哭いたのか」に通じる「熱さ」だった。
これは、すごい。もっと広く読まれるようになるといいなあ、と思い、それから莫言は、ジャヤカーンタン、ミラン・クンデラ、ジョン・アーヴィング、村上春樹といった作家たちと並んで、自分が心の内で推すノーベル文学賞候補作家となった。選考委員でもなんでもない自分が推しても、意味はないわけなのだけれど、まあ、気持ちとして。
だから、2012年の10月に、莫言が受賞すると、うれしかった。もう10年以上も、ひそかに応援してきた作家だったわけなので。

莫言は、1955年、中華人民共和国の山東省高密市で生まれた。本名は管謨業(コワン・モーイエ)。ペンネームの莫言は「言うなかれ」という意味で、作家の名として、また中国という特殊な国にいる者の名として、二重にしゃれている。
60年代の文化大革命のために小学校中退を余儀なくされ、21歳のころに人民解放軍に入隊。軍に在籍しながら執筆活動をはじめた。『赤い高粱(コーリャン)』『豊乳肥臀』『酒国』『白檀の刑』などの作品があり、映画化されたものもある。
米国の作家、フォークナーが米国南部のヨクナパトーファ郡という架空の土地を舞台にしていて「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる作品群を書いたのにならって、莫言は高密県東北郷という架空の農村地区を舞台にして、作品を積み上げている。

川端康成作品の英訳者であるエドワード・サイデンステッカーは、『雪国』は世界一美しい小説だと思う、といっていたが、自分もまったく同感で、どうしてこういうものが書けるのか不思議に思う。
で、莫言を文学に目覚めさせた問題の箇所は、小説『雪国』の前半中の、雪国の温泉町の風景を描写したこんなくだりである。
「雪を積らせぬためであろう、湯槽(ゆぶね)から溢れる湯を俄(にわか)づくりの溝で壁沿いにめぐらせてあるが、玄関先では浅い泉水のように拡がっていた。黒く逞しい秋田犬がそこの踏石に乗って、長いこと湯を舐めていた。物置から出して来たらしい、客用のスキイが干し並べてある、そのほのかな黴(かび)の匂いは、湯気で甘くなって、杉の枝から共同湯の屋根に落ちる雪の塊も、温かいもののように形が崩れた」(川端康成『雪国』新潮文庫)
このなかの「黒く逞しい秋田犬が……」という一文を読んだとき、莫言の頭に新しい着想が浮かび、ただちに原稿用紙にこう書いたのだという。
「高密県東北郷原産のおとなしい白い犬は、何代かつづいたが、純血種はもう見ることが難しい」(莫言『白い犬とブランコ』日本放送出版協会)

川端から莫言へ。
雪国から高密県東北郷へ。
黒い犬から白い犬へ。
莫言は、中国共産党のネット検閲を容認するなど、体制側の作家だとして、そのノーベル賞受賞が批判されることもあるが、思い返せば、ノーベル文学賞の先輩、川端康成も、べつに戦時中に反戦や反体制を訴えたわけではない、軍国体制容認派だったのだし、ノーベル文学賞は、体制側と反体制側のどちらの陣営かということとはべつのところで決まるべきものなのだろう。

それにしても、『雪国』の一節を読んで、猛烈な勢いで書きだす、という、その感性がうらやましい。
自分もまねして、
「玄関を開けると、茶色い犬がそこにいて、じっとこちらを見つめてくるのと目が合ってしまった」
と書いて見るけれど、後がつづかない。
(2013年2月17日)


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『12月生まれについて』

『新入社員マナー常識』

『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』

『ポエジー劇場 天使』

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