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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月25日・ガロアの流儀

2016-10-25 | 科学
10月25日は、画家パブロ・ピカソが生まれた日(1881年)だが、天才数学者エヴァリスト・ガロアの誕生日でもある。

エヴァリスト・ガロアは、1811年、フランスのパリ郊外の町ブール=ラ=レーヌで生まれた。父親は寄宿学校の校長だった。エヴァリストは3人きょうだいのまん中で、上に姉、下に弟がいた。
学校では成績優秀ながら反抗的で、やがて数学に熱中しだし、ほかの教科をかえりみなくり、中学生のときには難解な数学書を小説でも読むようにすらすらと読んでいた。
17歳で最初の論文「循環連分数に関する一定理の証明」を書き、数学の学者に託したが、それは黙殺され紛失してしまった。また同時期に父親が、教会から誹謗中傷を受けてノイローゼにおちいった末、自殺した。
そんなときに、理工科学校の入学試験を受けたエヴァリストは、口頭試問の試験官に腹を立て、試験官の頭にチョークを投げつけて退出してしまった。
ガロアは師範学校に進み、奨学金を受けてそこに通いだした。
勉学のかたわら、ガロアは数学の論文をフランス学士院に提出したが、それが担当者が亡くなる不運にみまわれ、また紛失してしまった。
ガロアは荒れ、不満を現行の政治体制にぶつけるべく、急進的な共和派の政治結社に加わり、政治活動に力を入れだした。
学校の体制にも批判的だったガロアは、19歳のときに放校処分となった。彼は書店で週に一度、代数学の講義を開きながら、さらに政治活動に身を入れた。
ガロアは解散させられた国民軍の制服を着て歩いたために逮捕され、禁固刑を受けた。刑務所内でも数学の論文を書いていたガロアは、20歳のとき仮釈放された。
出所したガロアは、若い女に恋をした。彼は言い寄ったが、女に拒絶され、女の情夫と、女の従兄との二人から決闘を申し込まれた。
死を予感したガロアは、決闘を前に徹夜し、数学論文を推敲し、数学のさまざまなアイディアをノートに書き綴った。その最後の余白にこう記して決闘場所へ向かった。
「もう時間がない」(L・インフェルト著、市井三郎訳『ガロアの生涯』日本評論社)
早朝の決闘で腹部を撃たれたガロアは、その場に放置され、数時間後に通りかかった農婦によって病院へ担ぎ込まれた。病院へ駆けつけた弟にガロアはこう言った。
「泣くな。ぼくも、ずいぶん、勇気が要る。二十歳で、死ぬんだ、からな。」(同前)
ガロアは決闘の翌日の1832年5月31日に没した。弱冠20歳だった。

数学の芸術的作品とされるガロアの群論は、あまりに時代に先駆けていたために当時の数学者たちには理解できず、ガロアの論文が評価されはじめたのは、彼の死後ようやく半世紀がたってからのことだった。

当時はフランス産業革命の時代であり、王政と市民がぶつかり、仏国内は騒然としていた。ガロアが熱烈な共和主義者だったこと、彼がたてつづけに2件の決闘を予定していたこと、負傷して放置されたことなどから、謀殺説も存在する。
それにしても、はげしい生きざまだった。秀才ならいざ知らず、天才とはかくも生きるのがむずかしいものか。
(2016年10月25日)



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