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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月27日・メアリ・ウルストンクラフトの先見性

2014-04-27 | 歴史と人生
4月27日は、『ローマ帝国衰亡史』を書いたエドワード・ギボンが生まれた日(1737年、ユリウス暦による)だが、英国のフェミニズム作家、メアリ・ウルストンクラフトの誕生日でもある。自分は本で彼女のことを知った。フェミニズム(女性解放論)のパイオニアのひとりである。

メアリ・ウルストンクラフトは、1759年、英国イングランドのロンドンで生まれた。資産家の家庭で、メアリは7人きょうだいの上から2番目だった。
父親は投機的な投資を重ねて、しだいに家の財産を失い、しまいにはメアリが成人した際に受け取るはずの信託財産にも手をつけた。父親は暴力的で、酒に酔っては母親を殴るため、メアリは子どものころ、母親を守るために、親の寝室のドアの前で寝ていたという。
18歳のころ、女性王族の世話をする仕事を得て独立。家を出て暮らすようになり、21歳のときに母親が亡くなった後は、きょうだいや父親の面倒もみた。
28歳のとき、メアリは『少女の教育についての論考』を書き、出版されると好評を得た。以後、彼女は執筆を職業として評論、翻訳などに力を入れた。
ウルストンクラフトが30歳のとき、フランス革命が勃発。
33歳のとき、時代を二百年ほど先取りした代表作『女性の権利の擁護』を発表した。
34歳のとき、フランス革命の状況を見学しに訪ねたフランスのパリで、米国人実業家と恋に落ち、同棲。一女をもうけた。異国の地で子育てをしながら、革命の進行について記録して出版した。しかし、しだいに家庭的になっていくウルストンクラフトに疲れ、米国人の恋人はやがて離れていき、英国ロンドンで新しい女性を見つけた。ウルストンクラフトはロンドンへ追っていき、よりを戻そうとしたが、拒絶され、彼女は36歳のとき、テムズ川に身を投げた。
川から救助され、一命をとりとめたウルストンクラフトは、その後、38歳のとき、アナキストの思想家と恋に落ち、子どもをもうけた。
彼女は娘を産んだが、その際の産褥熱のため、出産から11日後の1797年9月に没した。38歳だった。このとき誕生した娘が、後に詩人シェリーと結婚し、みずからも女流作家として怪奇小説『フランケンシュタイン』を書いたメアリ・シェリーである。

ウルストンクラフトが生まれたのは18世紀の旧体制の時代だった。
まだ王権が君臨していて、ほかの人間の存在は、王のしもべにすぎなかった。
人間の自由と平等を訴え、フランス革命の理論的支柱となったルソーでさえ、主著『エミール』のなかで、男の子には教育が必要で、女の子には従順になるような教育が必要であると、明白に男女差別していた。そんな時代に、ウルストンクラフトは、男の言いなりでなく、対等に意見を言う女性の権利を昂然と訴えていた。
なるほど、フランス革命は「自分たちにもパンを」と、台頭してきた市民たちが叫んだ、自分らの生きる権利を訴えた市民革命だったが、こうしてみると、厳密には「男たちの権利のための革命」だったとわかる。
ウルストンクラフトは、現代から考えると、大変な苦労をして若死にした人だけれど、フェミニズムの源流であり、現代に生きる全女性の恩人とも言える。その思想の先見性にはまったく脱帽する。
(2014年4月27日)



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